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松沢裕作『生きづらい明治社会』(その5)

2018-10-15 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年10月15日(月)10時58分42秒

『生きづらい明治社会』に私が抱く多くの疑問のうち、二番目の製糸工女に関する問題に移ります。
大倉喜八郎については、史料の一部だけ引用することにより読者、特に「岩波ジュニア新書」が対象とする若年の読者が誤解する可能性が極めて高いにもかかわらず、意図的かどうかはともかくとして、その誤解を放置するのは教育者としていかがなものか、という疑問でした。
そして、こちらは、史料の背後にある世界を著者がどれだけ正確に理解しているのか、という著者の歴史研究者としての資質・能力に直接関係する問題です。
最初に問題となる記述を引用しておきます。(p114以下)

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 日本の近代史のなかで、女性が働く場合の典型的な事例としてとりあげられることが多いのは、繊維産業の女性労働者、いわゆる「女工」です。特に、生糸をつくる製糸業では、若い女性が苛酷な条件で働いていたことはよく知られているでしょう。労働時間は長く、提供される食事は貧しく、そして彼女たちは寄宿舎に閉じ込められて生活していました。
 なぜそのような条件で彼女たちは働いているのでしょうか。次の史料をみてください。(中村政則『労働者と農民』より引用)。

製糸工女約定書
          スワ〔諏訪〕郡長池村 番地
             戸主 八幡伴蔵 長女
一金五円成約定金     工女 同 ヤス
                    十八年
右の者、貴家製糸工女として明治三十年三月より同年十二月まで、製糸開業中就業の約定致し、前記の約定金正に請け取り候。しかる上は成規・御家則固く遵守致すべく候。期間中は何等の事故出来候とも決して他の製糸家へ就業致さず候。万一右約定を違変候節は、違約より生ずる損害金は御請求に応じ、必ず弁償いたすべく、後日のため約定書、よってくだんのごとし
 明治三十年六月二日     右戸主 八幡伴蔵
 片倉兼太郎 殿

 これは、製糸業の中心地、長野県の諏訪地方で、片倉という有名な製糸業者のもとで働くことになった八幡ヤスという一八歳の女性についての契約書です。昔の文章で読みにくいかもしれませんが、解説すれば次のようになります。ヤスは、明治三〇年、すなわち一八九七年の三月から一二月まで、一定の期間、片倉のもとで工女として働くこととなり、その契約が成立した代金として、片倉は五円を、ヤスの父八幡伴蔵に支払った。こうした契約を結んだ以上は、どのような理由があっても、ヤスは、片倉の工場での規則を守り、また片倉以外の工場で働くことはない。もし契約違反があった場合には、損害賠償金を支払う。のちのちの証拠のためにこの文書を作成する、ということです。
 ここで注意してほしいのは、この契約は、製糸業者の片倉と、工女ヤスの父親で、八幡家という家の当主(「戸主」)である八幡伴蔵とのあいだで結ばれていることです。ヤスは、伴蔵をあるじとする「家」のために、「家」の収入を増加させる目的で、製糸工場に働きにいったのです。
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途中ですが、いったんここで切ります。
まず、単純な事実の問題として、「長池村」は誤りで、正しくは「長地(おさち)村」ですね。
著者は中村政則『労働者と農民』(『日本の歴史』第二九巻、小学館、1976)を参考にしたとのことなので、同書(但し、小学館ライブラリー版、1998)を見たところ、やはり「長池村」となっており(p105)、中村氏の誤りを松沢氏がそのまま承継したようですね。
長地村(合併により現在は岡谷市内)は片倉の工場のあった平野村に歩いて通える距離ですから、ヤスが「寄宿舎に閉じ込められて生活」していたかには若干の疑問があります。

長地村

ま、これは些細な話ですが、「その契約が成立した代金」という表現はもう少し深刻な問題です。
果たしてこれで理解できる読者がいるのか。
そもそも著者がこの契約、そしてその背後にある世界を理解しているのか。

>筆綾丸さん
>題名自体がマヌケなような気がします。
確かに辛気臭いタイトルですが、ネットでの評判は概ね良好で、けっこう売れているみたいですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

岩波シニア古書 2018/10/15(月) 10:43:00
小太郎さん
https://www.iwanami.co.jp/search/g8317.html
岩波ジュニア新書でいうジュニアとは、普通に考えれば、中学生以下でしょうが、そんな少年たちを対象に、『生きづらい明治社会』という変なタイトルの本を出す、著者の了見がわかりません。学校でイジメが横行する時代、明治も「生きづらい」社会だったのだから、君たち平成の少年も我慢して生きてね、とでも言いたいのかな。題名自体がマヌケなような気がします。
『岩波シニア古書』というシリーズを新設してで出版すべき題名ですが、人生に疲れた爺さん婆さんは、まあ、誰も読まんでしょうね。
コメント
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