学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

須田努『幕末の世直し 万人の戦争状態』

2018-10-04 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年10月 4日(木)11時22分48秒

図書館でたまたま手に取った吉川弘文館「人をあるく」シリーズの一冊、『三遊亭円朝と江戸落語』(須田努著、2015)が面白かったので、同じ著者の『幕末の世直し 万人の戦争状態』(吉川弘文館、2010)も読んでみたところ、これも分かりやすい好著でした。

-------
百姓一揆の作法が崩壊し「悪党」と化して暴力に訴える騒動勢、鎮圧に走る幕府、武装する村々。激動の幕末を襲った暴力の有様を抉る。

暴力を封印し、作法のもとに行われた百姓一揆。しかし、私慾容認の政策から経済格差は拡大、飢饉に対応できない幕藩領主への不信から、この作法は崩壊し、「悪党」による暴力・放火をともなう騒動が発生した。騒動勢を殺害する幕府、自衛のため武装する村々、そして世直しが始まった。激動の幕末社会に広がっていく暴力の有様を鋭く抉り出す。


須田氏は既に2002年に『「悪党」の一九世紀 民衆運動の変質と"近代移行期"』(青木書店)という専門書を出されていて、その内容を一般読者向けに要約したのが『幕末の世直し 万人の戦争状態』みたいですね。
近世に疎い私は呉座勇一氏の『一揆の原理』(洋泉社、2012)で百姓一揆研究の概要を知り、その後、同書で紹介されていた保坂智氏の著書・論文を少し読んでいた程度なのですが、須田氏は保坂氏等の研究を踏まえた上で19世紀における変容を追究しており、私には非常に説得的に思われました。

「首級への執着」

なお、慶応四年(1868)の「上州世直し騒動」に関する記述の中に「吉井藩(二万石)」(p160)、「小幡藩(三万石)」(p161)とありますが、いずれも江戸初期の数字であり、慶応四年の時点では吉井藩は一万石、小幡藩は二万石ですね。
また、p160の写真には「図11 辛科神社境内(高崎市高松町所在)」とありますが、正しくは高崎市吉井町です。
どうでもよいような細かい話ですが、須田氏は高崎市出身だそうなので、何じゃこれ、という感じになりますね。
ま、それはともかくとして、須田氏には『吉田松陰の時代』(岩波書店、2017)という近著があり、少し検索してみたら世間の評価がなかなか高いようなので、『「悪党」の一九世紀 民衆運動の変質と"近代移行期"』とどちらを先にすべきか迷っているところです。

須田努(1959年生)

>筆綾丸さん
>辺鄙な田舎出の水尾なんかになぜ惚れた、という作者の悔恨と怨念が隠された本当のテーマなんじゃないか、

「ソーラー招き猫事件」の謎は解明したかったのかもしれないですね。
なぜあんな素晴らしいプレゼントを彼女は拒絶したのか、と。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

水尾の思い出 2018/10/02(火) 14:44:45
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B0%BE
むかし、清滝から愛宕山に登って水尾に下り、市内に帰ろうとMKタクシーに電話したら、(当社の)地図に載ってません、と断られ、思わず絶句したことがあります。嘘のような実話です。仕方がないので、野良仕事をしている腹黒そうな爺さんに最寄り駅を尋ねると、山陰本線の保津峡駅だと教えてくれたので、数キロ、トボトボ歩きました。山登りで草臥れていたので、歩きながら、なにが柚子の里だ、なにが清和天皇陵だ、こんなところ二度と来るもんか、と腹が立ち、野良猫がいたら、蹴飛ばしていたかもしれません。
そんな訳で、『太陽の塔』を読みながら、辺鄙な田舎出の水尾なんかになぜ惚れた、という作者の悔恨と怨念が隠された本当のテーマなんじゃないか、と思いましたが、どうでもいいような話で恐縮です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする