大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第51回

2022年04月04日 21時05分55秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第51回



「どうして泥を拭かせた」

「はぁ?!」

「聞こえんのか! どうして泥を拭かせたかと訊いておる!」

「マツリが付けた泥じゃない! それをキッチャナイと思ったら拭いてくれもするわよ!」

「俺がお前に付けた泥が汚いというのか!」

「誰が付けようが、泥は泥でしょうがっ!」

シキが立ち上がりマツリの元に寄る。

「マツリ、父上が出られました」

声を掛けるだけなら気付くまい。 シキがマツリの肩に手を置いて言う。
何だと! と言いかけたマツリの口が止まった。

「・・・え?」

「父上とご一緒にマツリも出なければいけなかったのではありませんか?」

「あ・・・」

「わたくしのお房に来なさい」

もう大声は出さないと思っていたのに。

「いいえ、すぐにでも父上の元に―――」

シキが首を振る。

「父上からマツリのことを頼まれました。 わたくしのお房にいらっしゃい」

「・・・」

「シキ様・・・」

「紫、紫も地下に行くなどと言わないでちょうだい」

そう言うと杠に目を移す。

「こちらは父上のお房です。 父上が居られない時に留まることは相成りません。 紫に付いている者がお房に案内します。 そこで紫を説得してください。 わたくしは紫を地下に送りたくはありません」

杠が椅子から立って直角に腰を折ってみせた。

「マツリ、いらっしゃい」

そう言ってシキがマツリを従えて四方の部屋を出た。
すれ違うように “最高か” と “庭の世話か” が入ってくる。


シキの自室に入るなり口を開く。

「マツリ、どうして紫にあんなことを言うの?」

「あんなこと?」

「紫の頬に付いていた泥のことよ」

マツリが口を曲げる。

「父上の元に行きます」

「マツリ!」

シキの声を背中に聞き、マツリがシキの部屋を出て行った。

「これはマツリ様、このようにお早く―――」

声を掛ける波葉の横を無言で過ぎていく。 波葉がマツリの後姿を追う。 シキと何かあったのだろうかという目をして。

「シキ様、マツリ様と何か御座いましたか?」

波葉の姿を見た昌耶が襖戸を開け、シキの部屋に入ってきた。 シキは椅子に座ることなく立ったままだった。

「どうしたらいいものか、もう分かりませんわ・・・」

近寄ってきた波葉の胸にしなだれる。

「いったい、何が御座いました?」

シキを椅子に座らせながら自分もそのすぐ横に椅子を引っ張り、シキをもたれかからせてやる。
シキが紫揺が帰って来た時のことから、つい先ほどまでのことを波葉に聞かせた。
すると波葉が困ったものだ、と言いながらどこか微笑を零している。

「波葉様、全く困っておられないご様子ですわね」

もたれかかりながら見上げるシキの顔を見る。

「まだ整理がつかれていないご様子」

「先日波葉様が仰っておられたことですか?」

「はい。 妬心です。 妬心を持たれておいでのご自分に気付いておられないようです。 いいえ、その前に紫さまのことを想っておられることにも、まだ気づいておられないご様子」

「妬心・・・」

「私もシキ様が他の方とお話されているお姿を見る度に心が淋しくもなり、痛みもしました」

まだ一方的にシキのことを想っていた当時のことを思い出して苦笑する。

「まぁ、波葉様はそんなことをお感じになっておられたのですか? 言って下されば宜しかったのに」

「まだシキ様に私の気持ちを申し上げる前です。 そんなことは恥ずかしくて申せません」

それに己の狭量をあらわにするだけだ。 シキから目を外し照れた顔を隠す。

「人それぞれ感情の現れ方が違うのでしょうが、マツリ様の場合は怒りとして現れるご様子ですね」

己の話しはもういい。 ついウッカリ言ってしまったが恥ずかしくて耐えられない。 マツリの話に戻そう。

「そう、ですわね。 分からなくも御座いません。 わたくしも・・・妬心を感じたことがありましたわ」

「え? いつで御座いますか?」

シキが嫉妬心を抱いてくれていたなどと露ほども思わなかった。 波葉が喜び勇んで訊ねる。

「紫が北の領土のニョゼという者に抱きついた時・・・」

あの時は妬けた。

「・・・そうで、御座いますか」

自分に対してではなかったのか。 一気にしょぼくれる波葉だった。

シキが身体を起こし波葉を見て何かを言おうとした時、カシャカシャと足音が聞こえてきた。

「失礼いたします。 ロセイがやって参りました」

襖戸外に居た昌耶から声が掛かる。

「開けてあげてちょうだい」

襖戸が開けられロセイが入ってきた。 昌耶が襖戸を閉める。

「どうでした?」

まるでロセイが来ることを知っていたかのようにシキが訊くのを見て波葉が首を傾げる。

「マツリ様のお気持ちが時折分からないと申しておりました。 紫が地下に入った時には一旦地下を出られ、時を待っておられたようですが、そこでは石を投げつけたり、理解不能なご様子でおられたようです。 他には首を傾げるばかりで」

先ほど四方の部屋で話している間にロセイに頼んでキョウゲンに話を聞いてもらっていた。
マツリが部屋を出るのを待ち、ロセイをマツリの部屋に入れた。 だから四方の部屋には遅れてやって来ていた。

「・・・そう。 キョウゲンがマツリの気持ちが分からなくなったのはいつからだと?」

「初めては北の領土で、ということで御座います」

「それは紫が北の領土に入ってから?」

「そのようです。 紫と初めて顔を合わせた時と言っておりました」

「今も分からない時があると?」

「時折。 昨日、地下に入った時もあったようです」

「そう。 ありがとう」

今はシキと波葉が居る。 ロセイが気を利かせて向きを変えると嘴で襖を開け出て行った。 閉めるのは昌耶の役目である。

「キョウゲンが何かを知っているかと思いましたけど、そうでは無さそうですわ」

「シキ様?」

「供は主が理解したことを知ります。 先程、波葉様が仰ったようにマツリは何も理解していないようですわ」

「そうですね」

「波葉様? 何か策は御座いませんか?」

「と仰られましても。 紫さまは東の領土のお方です。 下手にお勧めできるものでは御座いません」

波葉の言いたいことは分かるが・・・それでも美しいシキがプクッと頬を膨らませた。
紫揺の影響だろう。 よい影響とは言えない。
だが初めて見るシキの表情に目尻がユルユルになる波葉であった。


一室に二人の影がある。 どちらも椅子に座らず立っている。 一方は開けられた窓から徐々に明るくなっていく外を見ている。 もう一方は徐々に解凍していくリスを手に乗せ、一方の後姿を見ている。

「聞いた。 東の領土の五色の紫さまだってな」

「私の事、言いにくそうだったね」

紫さまと言う時もあればシユラと言っていた時もあった。 知らず心が決めかねていたのだろう。

「カルネラにシユラって聞かされていたからな」

その様子を見ていた “最高か” と “庭の世話か” が互いに目を合わせた。 これは危うい雰囲気だと。 四人が頷き合う。 そして二手に分かれた。

杠が振り返った。 紫揺と目が合う。

「地下にはいかない方がいい」

「どうして?」

即答ならず、即問。

「四方様も言っておられた。 結果がこうしてあるから良かったものをって。 俺もそう思う」

「結果は・・・結果って言われたら、全ての結果がどんな風になるかは分からない。 あとになってみないと。 でも私はどんな結果でも一緒」

どういう意味だろうかと、杠が首を傾げる。

「やるだけのことをする。 それは相手の力量を見て判断する。 無理だと思ったらそこには挑まない」

「地下には挑めるってことか?」

「うん、柔すぎるから」

「え?」

「根性とかって精神論じゃなくて、肉体的なこと」

「肉体的?」

「うん。 地下に居る人って、言い方悪いけど堕ちた人でしょ?」

「まあな」

「地下に行く前に精神的に負けちゃって地下に堕ちちゃったんだろうけど、共に肉体も出来てない」

「え?」

「キツイ言い方をすると、愚鈍」

「・・・」

「肉体を持て余して発散することが出来なかった。 暴れたけど暴れて負けた。 だからへこんで地下に堕ちた。 全員がそうだとは言わない。 でも私が見た限りはそういう人がいる、多い。 まず発散の仕方が間違ってるんだけどね」

「それは上手いことそんな奴にあたっただけだ。 そんな奴ばかりじゃない。 力のある者に捕まれば逃げることなんで出来ない」

「分かってる。 でもその時には私には裏の手があるから」

五色の力が。
閃光でも走らせれば逃げられる。 だがそんなことを杠は知らないだろう。

「・・・シユラ」

「うん、そう言って欲しいな。 今は紫揺って呼んでくれるのはリツソ君とカルネラちゃんだけだし。 杠さんにも紫揺って呼んでほしい」

「何があった?」

杠が紫揺を更に見る。

「・・・何もない。 産まれた時には・・・紫だって知らなかっただけ」

「話してくれないか?」

紫揺が杠を見上げる。

「お茶が入りまして御座いますーっ!」


「それは避けたい」

まだかろうじて、下働きの者が数人動き始めたところだ。 紫揺の話しからすると、厨の者の両親も囚われているということであったが、ここには宮内の厨の者は来ない。
宿直(とのい)の武官を武官長宅に走らせ、早朝に招集した四人の武官長を前にした四方。

「ですが、紫さまの仰ることが一番かと」

紫揺から聞いたことを話した。 地下であったことも紫揺の提案も。 その上で武官長から『東の領土に頼るなどと』 と言われるつもりだった。 その事が紫揺を留めさせる一策であると考えたからだ。
それなのに、誰もが首を縦に振った。

「分かっておるのか!? 東の領土の五色なのだぞ、本領の五色ではない。 それに! 武官としての矜持はないのか!」

紫揺である東の五色に頼るなということだ。

「まずは五色様ということだけであるならば、本領から出せばよろしいでしょうが、そうでは御座いません。 五色様ならそこに五色様のお力が働いておられるかもしれませんが、五色様と言うよりその個人、紫さまのお力では御座いませんか?」

「何をもって言う」

「まずは紫さまはお力を出されておられないご様子」

敢えて考えてはいなかったが、言われてみればそうだ。

「我らは必要以上の血を望んではおりません」

それは重々分かっている。
ここのところの忙しさは四方だけではない。 武官もあちらこちらに行き、山賊やら盗賊と戦っている。 その時の死傷者のことは報告を受けている。 山積みにされた書類の中にしっかりと入っている。
それに時悪くつい先日、多数の武官が辺境と六都に向かったばかりだ。

「紫さまのご発案が何よりも危険になる人数(ひとかず)を減らし、少しでも混乱を避けることが出来ようかと」

「紫は本領の者ではない」

紫揺の提案をここで言ってしまったことに今更ながら後悔する。

「四方様、今あまりにも本領が乱れております。 その根源の一つが地下で御座います」

「分かっておる」

「先ほどのお話しからしますに、山賊や盗賊が躍起になって荒しているのは、地下の者が本領に出て来て商人を襲っているからなのではないでしょうか」

元は杠からの情報である。

「それに人攫いのこともそうです」

四人の武官長が交互に言うのに四方が腕を組む。

「そのうえ今、宮都の者が囚われているのです。 いつどうなるやら分かりませぬ」

四方が囚われている者のことを言った時、全員が大きく目を開けた。 多分、紫揺から聞かされた時、己も同じ様だったのだろう。
本領の者が地下の者に攫われ、囚われるなど誰も考えない事だったのだから。 地下には地下の世界がある、地上、外とは一線を引いている。 ずっとそうだった。 それが守られてきていた・・・筈だった。

(おやっさん・・・)

四方の頭に一人の男の顔が浮かぶ。
そのおやっさんはもう居ない。 城家主と呼ばせている、あの城家主から波の向きが変わった。

「お話では百人ほどの者が地下の屋敷に居ると。 いま宮都に残っている武官は半数もおりません。 いいえ、その半数にも満たない者たちですら、全員向かわせることも相成りません。 一刻を争います。 人数が足りないと宮都を出ている者たちの招集をする時をとったが為、囚われている者に何かあれば取り返しがつきません」

杠の話しから城家主の屋敷には百人は居るということだった。 それを思うと今の武官の人数をどれだけ揃えられるのか分からない。 紫揺の力を借りて少しでも屋敷の人数を減らすのが得策だ。

「根断やしにするのが今なら、東の領土の五色様と言えどお力を頂いても宜しいかと。 失策であったならば、この本領から東に五色様を送れば良いことではありませんか」

「・・・」

「四方様! 時は今しか御座いません!」

囚われた者が地下の者ではなく宮都の者。 その者達の身にいつ何が起こるか分からない。 悠長にはしていられない。

「五色は・・・紫は使い捨てだということか」

「その様なことは申しておりません」

五色の先祖を辿ると本領領主の祖先に辿り着く。

「今しかないと申しております」

襖戸内には側付きである尾能を除く四方の従者四人が座っている。 廊下に座るとこんな早朝に四方がここに居ると知られるからだ。

尾能は部屋に戻された。 母親のことがあるからである。 母親が地下の者に協力していないという証拠は無い。 言ってみれば牢屋に入れられてもおかしくない状態だと尾能は考えるが、それを思えば四方の恩情を痛切に感じていた。

四人の武官長と話し終えたところにやっとマツリがやって来た。 どこで話しているのかが分からなく、探すのに時がかかった。 言い変えれば、誰にも此処に四方が居ると知られていないということだ。

武官長たちはそれぞれ動くため、すぐにその場を辞した。
少なくとも紫揺の情報からは、武官の者は関わっていないようだ。 いま宮都に残っている武官を集め、可能な限りの人数で準備に入る。

二人の文官と厨の女の合わせて三人、そして紫揺からの報告はなかったが、マツリが見たとされる乃之螺(ののら)、その四人は武官ではなく四方の従者が捕らえることになった。 とは言っても引っ立てるのではない。 引っ立てるのであれば武官がすればいいこと。
まるで用があるかのように連れて出る。 四人が四人とも手を貸していたとは限らないのだから。 手を貸していなければ、現段階では乃之螺を除くと単なる被害者の家族だ。 人の目のある所で引っ立てるわけにはいかない。

そして見張番はマツリの話しから完全に情報を流しているのを感じさせる。 それにこちらは文官や厨の女と違って腕が立つ。 武官に任せることとなった。
マツリは先に剛度のところに飛び、事の次第を連絡し段取りを組む役目を仰せつかった。 情報を流していたという何の証拠もない。 こちらも人目につかず事を運ばなければならない。

「承知いたしました」

「今から飛べば、そんなに目立たんだろう」

「では行って参ります」

「頼む」

宮都内は一気に同時進行で進める。 宮都からの連絡が一切届かなくなるようにしてから武官が地下に入る。
その前に地下に向かわせなければいけない者がいるが。


四方の自室に再び紫揺が呼ばれた。

「己も同席させて頂いても宜しいでしょうか」

襖戸を開けた紫揺の後ろに杠が立っていた。

「かまわん」

二人が椅子に座ると、おもむろに四方が話し出した。

「武官の矜持において、紫が地下に入ることを拒む」

紫揺が口を一文字にし、杠が安堵の表情を見せた。

「と言いたかったのだが」

紫揺が眉を顰め、杠が両方の眉を上げる。

「武官長を抑えきれんかった。 力を貸してもらえるか」

紫揺の口の端が上がり、杠は顔を下げると四方に分からないよう溜息をついた。

「武官数名を付ける。 勿論、紫とは関係のないようにして歩かせる」

「杠さんどう思う?」

四方の提案に疑問を感じる。

「どうというのは?」

「武官さんって、完全に新顔だよね。 そんな人たちがジョウヤヌシの屋敷の近くまで行くもの?」

普通に考えて、右も左も分からない新しく入ってきた者があんなに奥まで入るだろうか。 それに城家主の屋敷の周りには、手下しかウロウロしていなかったように思う。

杠が困ったという表情を見せている。
紫揺の言うことは間違っていない。 それに落ちてくる者は夜に落ちてくるものだ。

杠が四方を見る。
四方が頷いて発言を許す。

「今シユラが言った通りです。 新顔があんなに奥まで入りませんし、まず城家主の屋敷の周りには手下の者しか居りません。 それに新顔は夜に入ってきます」

杠の進言に紫揺も続いて言う。

「それと武官さんって言ったら、きっと・・・目つきが違うんじゃないですか? 落ちてくるような人の目はしてないんじゃないですか? 地下の人の目って、ボゥーッとしてたり生気がなかったり、変にギラギラしてたりしてました。 万が一にも地下の人に見つかったらすぐに分かると思います」

四方が唸る。 目、と言われれば確かにそうである。 内から出るものを隠せるほどの役者は武官たちの中には居ない。

「だからと言って紫一人行かせるわけにはいかん」

「マツリは?」

「他用に出ておる。 紫には今すぐにでも向かってもらいたい。 城家主の屋敷の者が動く前にこちらが攻めたい。 その為にも紫には少しでも人数を減らしてもらいたい」

「一人でも大丈夫ですけど?」

「それだけは絶対にいかん」

「じゃ、杠さんは?」

四方と杠を交互に見る。

「下知を頂ければ。 己もシユラを一人で行かせないことは無謬(むびゅう)かと」

時の流れる音が聞こえたような気がする。 その中に四方の嘆息が聞こえた。

「では杠、頼めるか」

「有難うございます」

杠が立ち上がり腰を折るではなく、今までに見たことの無い男らしい礼をした。 それは単に軽く頭を下げるだけだったが、紫揺にはそう見えた。

「紫の言っていたように、宇藤と共時だけに真に従う者だけを屋敷から出すよう。 よいか、紫もだが杠も出来る範囲で良い、無理はするな」

そう言い始めて後の段取りを二人に聞かせた。

「承知いたしました」

そう言ったのは杠である。 紫揺においてはそこのところを憶える気がないようで、カルネラに話しかけていた。

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