『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第56回
乃之螺の家族、親戚を紫揺は地下の牢屋で見ていない。 だがマツリから一人の文官が地下に行くのを見たと聞いた。 その相貌を聞いた四方が乃之螺ではないかと思い、一応今回その身を押さえてはいるが、まだマツリに確認をさせていなかった。
あの時はこれほど早く事が動くと思っていなかったからだ。 極力漏洩を防ぎ怪しまれず徐々に進めていく予定だった。
だがこれは大きい。
地下の者を問罪するのは当然であったが、いくら地下の者が証言しようとも「言いがかり、落とし込められている」 などと言われればどうしようもない。 何の証拠もなく乃之螺を問罪若しくは拷問になど出来ない。
紫揺たちが来る前に従者から聞いた話では、他の文官と厨の女は大人しく入れられた部屋で座っているということだったが、乃之螺だけは不平不満を四方の従者に向けているということだった。
地下の者の証言ではすっとぼけるのは目に見えている。
「預かっておく」
「はい」
手巾を畳んで横に置く。
「他には」
「なにも」
四方が紫揺から目を外し杠を見た。
「杠は」
「はい」 と言い、一度頷くように頭を下げた杠が懐から紙を出した。 それを広げて四方の前に置く。 先程まで手巾が置かれていた場所に。
紫揺から待っているようにと言われた部屋で見つけた紙である。
四方が紙を手にし目を這わせる。 読んでいくうちに表情が段々と変わっていく。
「これは・・・」
そこには光石の横流しのことが書かれていた。
誰がどこでどうやってなど、受け渡しの日時も書かれている。 その日付は二日後になっている。
紫揺からの報告で地下のことが上手くいけば、地下の者に吐かせたり光石の採掘場を探ろうとしかけていた。
全てかどうかは分からないが、少なくともここに数名の名が書かれている。 動かぬ証拠だ。
四方の様子を見て紙に書かれていることに理解したのを見計らって杠が言う。
「城家主の屋敷の一室で拾いました」
「拾った?」
こんなに大切な物が落ちていたというのか?
「はい。 よくは分かりませんが、畳の敷かれた部屋に布団が一組ありましたから、多分そこで寝て起きた後にでも落としたものかと。 落とした者が光石に関する者か、城家主に関する者なのかは承知しておりません」
足元でかさりと音をたててこの紙を見て驚いた。 すぐに他にないかと押入れの中と天袋の中を見たが他に見あたるものはなかった。
「この書きようでは・・・採掘場か加工場か、そのどちらかが書いたのだろう。 それを受け取った屋敷の者が気付かなかったということか」
落としたことに。
持ってきた者が落としていればすぐに気付いて探すだろう、若しくはその時に気付かずとも渡そうとして無ければその時にも探すはず。
「ああ・・・」
杠が返事をしようと思った時に、得心したような声を紫揺が漏らした。 この紙のことは事前に杠から聞いていなかったが、いま杠の口から光石と出た。 光石に関することは昨夜、紫揺も話していた。 紙には光石に関することが書かれているのだろう。
杠が四方を見ると四方が頷く。 杠から紫揺に訊けということだ。
「何か知っているのか?」
杠が紫揺を見て問う。
「あの部屋でしょ? 私が待っててって言った」
「ああ、そうだ」
「あの部屋に・・・房にだけ・・・だけかどうかわからないけど、畳が敷かれていた。 ほら、宇藤さん達って板間で寝てたでしょ? それにあの部屋にはお布団が一組。 あそこは特別な人とか、特別な何かがある時にしか使わないかと思ってた。 やっぱりそうなんだ。 お客さんが使ってたんだ」
城家主の漢字を教えてもらった時に宇藤の漢字も教えてもらっていた。
紫揺はお客さんというが、城家主が気を利かせて迎え入れる客など居るはずはない。
少しの間があった後に、四方がわざとらしくコホンと咳をした。 杠が四方を見て笑いをかみ殺す。 先ほどの紫揺の言葉に互いが同じことを考えている。 それが一番理屈が通る。
特別な何か、誰か。
「それで?」
「泊まりに来た人があそこで寝ていて、最後に発つときに落としたとか?」
「いくらなんでもそんなヘマはしないと思う。 俺は城家主か手下・・・そうだな、喜作あたりが落としたと思う」
「どうして?」
「どうしてだろうな」
両の口の端を上げるだけだ。
「杠?」
「紫揺はまだ知らなくていい」
もう二十三歳だが。
あ、と気付いて、シキが顔を赤くして下を向いた。 光石に関係する者が男とは限らないのだった。
「どういう意味?」
「紫、わしも杠と同じように考える。 わしも杠も紫がさっき言ったことを参考にしておる。 だが、どちらが落としたかは関係ない。 これが動かぬ証拠となる。 杠、これは大きい。 よくやった」
杠がキレよく礼をする。
上手く四方が話を逸らせてくれたと考える杠。 四方に話を逸らされたと考える紫揺。
恨みがましい目を杠に向けるが杠は笑んでいるだけだ。
「他には?」
「これだけで御座います」
「そうか」
従者に目をやった。 従者が立ち上がり懐から手巾を出すと四方の前に置き元の位置に下がる。
「これなのだがな」
手巾を広げる。
「紫、見覚えは無いか?」
広げられた手巾の中には見覚えのある物があった。 それは屋根裏の雑多に置かれていた物の中から拾ってきた物の一つであった。
杠が眉根を寄せた。
「あ、地下で布の中にくるんでいた物の中の一つ・・・」
それは袈裟懸けにしていたショルダーの中に入れていた物であった。
「そうらしいな。 他にも色々あったそうだが、何処からこれを持って帰ってきた」
「持って帰って来たって言うか、地下で・・・牢屋の鍵を開けるのに使おうと思って。 屋根裏にあった目ぼしい、道具になりそうな物を集めただけです。 屋敷から出る時に捨ててくるのを忘れただけです。 結局使わずに終わりましたけど」
捨て置くつもりだったのかと、シキと四方それぞれがそれぞれに思うところがある。
「牢屋を開けるのに使う?」
「はい。 その他に針金とか鍵を叩き壊せるようなものとか。 音を押さえるように分厚い布とか。 それでそれも鍵穴に突っ込んでどうにかならないかなと思って」
紫揺が言ったそれ、手巾の中にある物は平べったく小指の第二間接くらいまでの長さで、金で出来たのったりとした歪(いびつ) な形をしたものだった。
日本で暮らしていた紫揺にとっては、鍵に見られる鋭角に曲がるデコボコになっている所の形こそ全く違うが、見ようによっては鍵に見えなくもない。
紫揺が何をどう思ってこんなもので、いや、これで牢の鍵を開けようとしていたのか四方には理解できない。
これが何なのか分かっているのかいないのかにしても、どうやったらこんな形状のもので鍵が開くというのか、思うのか。 いったいこの紫揺の頭の中の構造はどうなっているのか、思わず四方の口からため息が漏れる。 そしてちらりと杠を見て先を訊けと顎をしゃくる。
「牢屋はちゃんと鍵で開けていたな?」
四方に一つ頷いた杠があの時のことを思い出しながら紫揺に訊ねた。
「うん。 色んなものは、屋根裏に閉じ込められてた時に集めた物だったけど、屋根裏を抜け出た後に鍵を見つけたから」
「見つけたって・・・」
はぁっと息を吐いた。 鍵など簡単に見つけられるものではないだろう。 何か危険をおかしたに違いない。
四方も同じように考えているようで、かなり顔を顰めている。
「台ど・・・厨にあった。 ほら、見つかりかけて杠と最初に逃げ込んだところ」
杠はそんなことはどうでもいい、というように頷くだけだが、四方は二度目の “見つかりかけて” という所に気がいって、肘をつくと額を抱えるようにしている。
二人の状態の意味が分からない紫揺。 話を手巾の中の物に戻す。
「それがどうかしたんですか?」
単なるのったりとした平べったい塊が。
四方が息を一つ吐いて頭を上げる。 これはな、と言いながらその塊を指さす。
「金貨を作っている中で出来る零れ金だ」
「へぇー、じゃ、それって金で出来てるんだ」
今の説明で金貨の意味がよく分かっていないようだ。
「そうだが・・・それだけではなく」
そこまで言うと杠を見た。 四方の視線に杠が頷いてみせる。
「いま四方様は金貨を作る中で出来た零れ金だと仰った。 それがどういう意味か分かるか?」
眉をひそめて首をコキンと曲げる。
「金貨は一枚一枚型にはめて作る。 その時、型に入れ過ぎ溢れ落ちたものが零れ金となる。 たとえ零れ金でも金は持ち出し禁止だ。 また溶かして使うのだからな。 それが城家主の屋敷にあった。 屋根裏に。 屋根裏には他に色々あっただろう? 金目の物が」
途中でマツリに止められたが四方に報告しかけていただろう、と目顔で言っている。
「あ・・・。 ってことは、これがあるってことは、金貨を作ってる人たちの中に、城家主と繋がっている人がいるってこと?」
杠が頷く。
「もしかして、あの沢山の金貨も?」
紫揺が杠に問をかけるが、それに答えたのは四方。
「全てとは限らん。 だがマツリから聞いた話からするとあまりにも多すぎる。 地下の者から巻き上げただけではないとすれば、それが流れてきた物ならかなりの人数が関わっているということになる」
「すみません・・・」
四方と杠、シキがキョトンとした顔をする。 紫揺と話していると否応なく百面相が作られる。
それにシキと杠は何でもないかもしれないが、四方にしてみれば口先だけではなく殊勝な面持ちで紫揺が謝るなどと考えられない事だ。
「な、なにがだ?」
どこか背中に怖気を感じながら四方が問う。
「大変な時に大変なものを持って帰って来て。 どうしてあの時、地下に捨てるのを忘れたかな・・・」
四方と杠が目を合わせた。 杠が笑いを堪える。 それを見た四方がもうやってられないというように溜息をつくとまた顎をしゃくった。
「紫揺、そうじゃないだろう。 紫揺がこれを持って帰って来なければ明らかにならなかった。 たとえ屋敷の者が問罪の中で言ったとしても何の証拠もない。 それに悪いことをする輩だ、白状せずとも証拠をつきつけない限り何も言うことは無いだろう。 紫揺が謝らなければならない話ではない」
その時、襖戸が僅かに開けられた。 外からの連絡だ。
襖内にいた従者が手を出すとそこに巻紙が置かれた。
今が良い間合いかと、従者が四方の横にくるとその名を呼ぶ。
「なんだ」
「早馬からで御座います」
「こちらに」
従者が手にしていた巻紙を渡す。
四方が巻紙を広げ心の中で読んでいく。
その間に紫揺と杠の会話は進んでいる。
「そうかなぁ・・・」
「ああ、四方様のお役に立てた」
四方が巻物を置きそして紫揺を見て言う。
「武官が屋敷に入って屋敷の中を見て回っても、これ程小さな物には目がいかなかっただろう。 紫、よくやった」
巻物を確認し終えた四方が紫揺に言った。
納得しがたい顔をしたままペコンと頭を下げる。
この証拠がどれほど大きなものかシキと杠は見当がついているが、ペコンと頭を下げた紫揺はそれほど重要だとは分かっていない。 それどころか、分かっていないことすら分かっていない。
四方が杠と紫揺に目を送る。
「地下にこちらの武官が向うことが出来たのは五十名余り。 捕らえたのは七二名。 屋敷に居た者全員捕らえた。 紫から聞いていた地下に囚われていた者達も誰一人欠けず地下牢から出したということだ。 尾能の母御も治療を受けておる」
そう言うと巻き物を巻きなおす。
「良かった」
思わず紫揺から出た。
「武官も負傷しているようだ。 何人がその宇藤という者と屋敷を出たのかは分からんが、一人も逃さず全員捕らえるにこれが限界の人数だったであろう。 紫、杠、よくやった」
杠が顎を引き、紫揺がまたもやペコンとした。
「では杠はマツリを待つが良い。 ・・・ああ、そうだったか。 紫もマツリを待たんといけなかったか」
「一人で大丈夫ですけど」
「一人で歩かせるわけにはいかん。 特に山の中は。 紫もマツリを待つよう。 もう戻ってくるだろう」
もう戻ってくるとは言ったものの、とうに戻っていなくてはいけない筈であった。 何かあったのだろうか。
四方の自室を辞した二人。 早朝にいたと同じ部屋でマツリを待つことにした。 常ならシキと共に居る紫揺だが、シキが四方の部屋から出てこなかった。
当のシキは紫揺との時をとりたいし紫揺と杠のことは気になるが紫揺と杠のことは “最高か” と “庭の世話か” に任せることにした。
「父上、マツリは一体どこに行ったのですか?」
「ああ、地下には行っておらん」
「迂遠なことを仰らないで下さいませ」
四方が眉を上げ続けて言う。
「危険な所には行っておらん。 紫と杠の方がよほど危険だった。 マツリは段取りを組むだけでその他は単なる連絡役だ。 だからすぐに戻ってくると思っていたのだが・・・」
「どういうことですの?」
「時がかかり過ぎておる。 なにか意想外のことが起きたのかもしれんが武官の方からも連絡がない」
「わたくしが飛びましょうか?」
「何を言っておる。 シキはもうお役御免となった。 走らなければならんのならわしが走る」
山猫である供と走るのか馬で走るのかは分からないがもういい歳をしている。 馬ならまだしも供と走るのは避けて欲しい。
「それより・・・」
シキが顔を上げる。
「紫は意外だったな」
「なんのことで御座いましょう?」
「あの様に素直だとは思わなかった」
「紫は素直で正直者ですわ」
「そうか? わしはそう思わなかったがな」
「父上に見る目が御座いませんのではありませんか?」
紫揺のことになると舌鋒気味になるようだ。
四方は紫揺との出会い方が悪すぎた。 そのお蔭で紫揺から良いように思われていなく、紫揺からの風当たりがきつい。 その上マツリとの舌戦を聞いている。
「マツリと居る時と違って杠の前では大人しい・・・と言うか、あの二人はよく気が合っておるようだな。 口にせずとも分かり合っている所もあるようだ。 その上で口にしなければならんことも心得ておる。 紫と杠は互いの衣装を褒めておったしな、その様なことも必要であろう。 マツリが気にしている杠だ、紫が本領の者なら杠の奥に推したいくらいだ」
「なっ! 何を仰います!!」
「なんだ? シキは杠と紫が合っておるとは思わんのか?」
―――思っている。
それどころか、紫揺が杠に心惹かれているのではないかとさえ感じている。 それに二人の空気感の報告も受けているし、自分も見た、その柔らかい空気感を感じた。
「杠は良い男だ。 飲み込みもいい。 何よりわしの前に出ても気おくれすら感じられん、堂々としたものだ。 あれくらいの度量があれば紫をゆるりと愛おせよう」
尤も、尤も、ご尤も。 それを危惧しているから焦っているのだ。
襖戸の向こうの気配に気づいた従者がそっと襖戸を開けた。
「マ、マツリ様!」
四方とシキが襖戸に目をやる。
外に居た従者が中に声を掛けようとしたのを漏れ出てくる話し声にマツリが止めたのだった。
従者が大きく襖戸を開ける。
「遅かったな。 何かあったのか?」
「紫はどういたしましたか」
シキがチラリとマツリを見る。 四方の問いに答えていない。 紫揺のことが心配なのだろうが、それにしても四方に対する話口調もいつもと違う。
早い話、疑問符が付いていない。
「ああ、とうに戻って報告も受けたところだ。 杠と二人よくやってくれた」
マツリの眉がピクリと動く。
(完全に・・・杠に妬心しているのかしら。 さっきの話を襖戸の向こうで聞いていたということかしら)
「マツリも驚くような情報を持って帰ってきた」
「宇藤という者と仲間を逃がすだけなのにですか」
「ああ。 杠は己(おの)が役目上、目端が利くが紫もなかなかのものだ。 少し前に早馬が来た。 地下の屋敷の者たちは一人残らず捕らえたということだ」
「杠も地下に行ったのですか」
「ああ、紫一人で行かせるわけにはいかんからな」
「武官でも良かったのではないですか」
「杠が言うに武官は新顔となる。 その様な者が城家主の屋敷あたりにまで行くことはないようだ。 それに新顔は夜に地下に入ってくるらしい」
「そうですか」
それはマツリも知っていること。
「杠なら安心して紫を預けられよう。 あれは紫のことを上手く受け入れているようだし紫に合わせて話も出来る。 紫も杠のことを信用しているようだ」
「父上! そんなことよりマツリの報告を」
マツリの顔色が変わってきているのを四方は分かっていないようだ。
この二人・・・四方とマツリ。 どれだけ鈍感なのか計り知れない。
シキがこめかみをグリグリと押さえる。 だがそれを波葉が聞いたならば心の中で “シキ様もでしょう” と言うだろう。
客観的に見て鈍感は家系のようだ。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第56回
乃之螺の家族、親戚を紫揺は地下の牢屋で見ていない。 だがマツリから一人の文官が地下に行くのを見たと聞いた。 その相貌を聞いた四方が乃之螺ではないかと思い、一応今回その身を押さえてはいるが、まだマツリに確認をさせていなかった。
あの時はこれほど早く事が動くと思っていなかったからだ。 極力漏洩を防ぎ怪しまれず徐々に進めていく予定だった。
だがこれは大きい。
地下の者を問罪するのは当然であったが、いくら地下の者が証言しようとも「言いがかり、落とし込められている」 などと言われればどうしようもない。 何の証拠もなく乃之螺を問罪若しくは拷問になど出来ない。
紫揺たちが来る前に従者から聞いた話では、他の文官と厨の女は大人しく入れられた部屋で座っているということだったが、乃之螺だけは不平不満を四方の従者に向けているということだった。
地下の者の証言ではすっとぼけるのは目に見えている。
「預かっておく」
「はい」
手巾を畳んで横に置く。
「他には」
「なにも」
四方が紫揺から目を外し杠を見た。
「杠は」
「はい」 と言い、一度頷くように頭を下げた杠が懐から紙を出した。 それを広げて四方の前に置く。 先程まで手巾が置かれていた場所に。
紫揺から待っているようにと言われた部屋で見つけた紙である。
四方が紙を手にし目を這わせる。 読んでいくうちに表情が段々と変わっていく。
「これは・・・」
そこには光石の横流しのことが書かれていた。
誰がどこでどうやってなど、受け渡しの日時も書かれている。 その日付は二日後になっている。
紫揺からの報告で地下のことが上手くいけば、地下の者に吐かせたり光石の採掘場を探ろうとしかけていた。
全てかどうかは分からないが、少なくともここに数名の名が書かれている。 動かぬ証拠だ。
四方の様子を見て紙に書かれていることに理解したのを見計らって杠が言う。
「城家主の屋敷の一室で拾いました」
「拾った?」
こんなに大切な物が落ちていたというのか?
「はい。 よくは分かりませんが、畳の敷かれた部屋に布団が一組ありましたから、多分そこで寝て起きた後にでも落としたものかと。 落とした者が光石に関する者か、城家主に関する者なのかは承知しておりません」
足元でかさりと音をたててこの紙を見て驚いた。 すぐに他にないかと押入れの中と天袋の中を見たが他に見あたるものはなかった。
「この書きようでは・・・採掘場か加工場か、そのどちらかが書いたのだろう。 それを受け取った屋敷の者が気付かなかったということか」
落としたことに。
持ってきた者が落としていればすぐに気付いて探すだろう、若しくはその時に気付かずとも渡そうとして無ければその時にも探すはず。
「ああ・・・」
杠が返事をしようと思った時に、得心したような声を紫揺が漏らした。 この紙のことは事前に杠から聞いていなかったが、いま杠の口から光石と出た。 光石に関することは昨夜、紫揺も話していた。 紙には光石に関することが書かれているのだろう。
杠が四方を見ると四方が頷く。 杠から紫揺に訊けということだ。
「何か知っているのか?」
杠が紫揺を見て問う。
「あの部屋でしょ? 私が待っててって言った」
「ああ、そうだ」
「あの部屋に・・・房にだけ・・・だけかどうかわからないけど、畳が敷かれていた。 ほら、宇藤さん達って板間で寝てたでしょ? それにあの部屋にはお布団が一組。 あそこは特別な人とか、特別な何かがある時にしか使わないかと思ってた。 やっぱりそうなんだ。 お客さんが使ってたんだ」
城家主の漢字を教えてもらった時に宇藤の漢字も教えてもらっていた。
紫揺はお客さんというが、城家主が気を利かせて迎え入れる客など居るはずはない。
少しの間があった後に、四方がわざとらしくコホンと咳をした。 杠が四方を見て笑いをかみ殺す。 先ほどの紫揺の言葉に互いが同じことを考えている。 それが一番理屈が通る。
特別な何か、誰か。
「それで?」
「泊まりに来た人があそこで寝ていて、最後に発つときに落としたとか?」
「いくらなんでもそんなヘマはしないと思う。 俺は城家主か手下・・・そうだな、喜作あたりが落としたと思う」
「どうして?」
「どうしてだろうな」
両の口の端を上げるだけだ。
「杠?」
「紫揺はまだ知らなくていい」
もう二十三歳だが。
あ、と気付いて、シキが顔を赤くして下を向いた。 光石に関係する者が男とは限らないのだった。
「どういう意味?」
「紫、わしも杠と同じように考える。 わしも杠も紫がさっき言ったことを参考にしておる。 だが、どちらが落としたかは関係ない。 これが動かぬ証拠となる。 杠、これは大きい。 よくやった」
杠がキレよく礼をする。
上手く四方が話を逸らせてくれたと考える杠。 四方に話を逸らされたと考える紫揺。
恨みがましい目を杠に向けるが杠は笑んでいるだけだ。
「他には?」
「これだけで御座います」
「そうか」
従者に目をやった。 従者が立ち上がり懐から手巾を出すと四方の前に置き元の位置に下がる。
「これなのだがな」
手巾を広げる。
「紫、見覚えは無いか?」
広げられた手巾の中には見覚えのある物があった。 それは屋根裏の雑多に置かれていた物の中から拾ってきた物の一つであった。
杠が眉根を寄せた。
「あ、地下で布の中にくるんでいた物の中の一つ・・・」
それは袈裟懸けにしていたショルダーの中に入れていた物であった。
「そうらしいな。 他にも色々あったそうだが、何処からこれを持って帰ってきた」
「持って帰って来たって言うか、地下で・・・牢屋の鍵を開けるのに使おうと思って。 屋根裏にあった目ぼしい、道具になりそうな物を集めただけです。 屋敷から出る時に捨ててくるのを忘れただけです。 結局使わずに終わりましたけど」
捨て置くつもりだったのかと、シキと四方それぞれがそれぞれに思うところがある。
「牢屋を開けるのに使う?」
「はい。 その他に針金とか鍵を叩き壊せるようなものとか。 音を押さえるように分厚い布とか。 それでそれも鍵穴に突っ込んでどうにかならないかなと思って」
紫揺が言ったそれ、手巾の中にある物は平べったく小指の第二間接くらいまでの長さで、金で出来たのったりとした歪(いびつ) な形をしたものだった。
日本で暮らしていた紫揺にとっては、鍵に見られる鋭角に曲がるデコボコになっている所の形こそ全く違うが、見ようによっては鍵に見えなくもない。
紫揺が何をどう思ってこんなもので、いや、これで牢の鍵を開けようとしていたのか四方には理解できない。
これが何なのか分かっているのかいないのかにしても、どうやったらこんな形状のもので鍵が開くというのか、思うのか。 いったいこの紫揺の頭の中の構造はどうなっているのか、思わず四方の口からため息が漏れる。 そしてちらりと杠を見て先を訊けと顎をしゃくる。
「牢屋はちゃんと鍵で開けていたな?」
四方に一つ頷いた杠があの時のことを思い出しながら紫揺に訊ねた。
「うん。 色んなものは、屋根裏に閉じ込められてた時に集めた物だったけど、屋根裏を抜け出た後に鍵を見つけたから」
「見つけたって・・・」
はぁっと息を吐いた。 鍵など簡単に見つけられるものではないだろう。 何か危険をおかしたに違いない。
四方も同じように考えているようで、かなり顔を顰めている。
「台ど・・・厨にあった。 ほら、見つかりかけて杠と最初に逃げ込んだところ」
杠はそんなことはどうでもいい、というように頷くだけだが、四方は二度目の “見つかりかけて” という所に気がいって、肘をつくと額を抱えるようにしている。
二人の状態の意味が分からない紫揺。 話を手巾の中の物に戻す。
「それがどうかしたんですか?」
単なるのったりとした平べったい塊が。
四方が息を一つ吐いて頭を上げる。 これはな、と言いながらその塊を指さす。
「金貨を作っている中で出来る零れ金だ」
「へぇー、じゃ、それって金で出来てるんだ」
今の説明で金貨の意味がよく分かっていないようだ。
「そうだが・・・それだけではなく」
そこまで言うと杠を見た。 四方の視線に杠が頷いてみせる。
「いま四方様は金貨を作る中で出来た零れ金だと仰った。 それがどういう意味か分かるか?」
眉をひそめて首をコキンと曲げる。
「金貨は一枚一枚型にはめて作る。 その時、型に入れ過ぎ溢れ落ちたものが零れ金となる。 たとえ零れ金でも金は持ち出し禁止だ。 また溶かして使うのだからな。 それが城家主の屋敷にあった。 屋根裏に。 屋根裏には他に色々あっただろう? 金目の物が」
途中でマツリに止められたが四方に報告しかけていただろう、と目顔で言っている。
「あ・・・。 ってことは、これがあるってことは、金貨を作ってる人たちの中に、城家主と繋がっている人がいるってこと?」
杠が頷く。
「もしかして、あの沢山の金貨も?」
紫揺が杠に問をかけるが、それに答えたのは四方。
「全てとは限らん。 だがマツリから聞いた話からするとあまりにも多すぎる。 地下の者から巻き上げただけではないとすれば、それが流れてきた物ならかなりの人数が関わっているということになる」
「すみません・・・」
四方と杠、シキがキョトンとした顔をする。 紫揺と話していると否応なく百面相が作られる。
それにシキと杠は何でもないかもしれないが、四方にしてみれば口先だけではなく殊勝な面持ちで紫揺が謝るなどと考えられない事だ。
「な、なにがだ?」
どこか背中に怖気を感じながら四方が問う。
「大変な時に大変なものを持って帰って来て。 どうしてあの時、地下に捨てるのを忘れたかな・・・」
四方と杠が目を合わせた。 杠が笑いを堪える。 それを見た四方がもうやってられないというように溜息をつくとまた顎をしゃくった。
「紫揺、そうじゃないだろう。 紫揺がこれを持って帰って来なければ明らかにならなかった。 たとえ屋敷の者が問罪の中で言ったとしても何の証拠もない。 それに悪いことをする輩だ、白状せずとも証拠をつきつけない限り何も言うことは無いだろう。 紫揺が謝らなければならない話ではない」
その時、襖戸が僅かに開けられた。 外からの連絡だ。
襖内にいた従者が手を出すとそこに巻紙が置かれた。
今が良い間合いかと、従者が四方の横にくるとその名を呼ぶ。
「なんだ」
「早馬からで御座います」
「こちらに」
従者が手にしていた巻紙を渡す。
四方が巻紙を広げ心の中で読んでいく。
その間に紫揺と杠の会話は進んでいる。
「そうかなぁ・・・」
「ああ、四方様のお役に立てた」
四方が巻物を置きそして紫揺を見て言う。
「武官が屋敷に入って屋敷の中を見て回っても、これ程小さな物には目がいかなかっただろう。 紫、よくやった」
巻物を確認し終えた四方が紫揺に言った。
納得しがたい顔をしたままペコンと頭を下げる。
この証拠がどれほど大きなものかシキと杠は見当がついているが、ペコンと頭を下げた紫揺はそれほど重要だとは分かっていない。 それどころか、分かっていないことすら分かっていない。
四方が杠と紫揺に目を送る。
「地下にこちらの武官が向うことが出来たのは五十名余り。 捕らえたのは七二名。 屋敷に居た者全員捕らえた。 紫から聞いていた地下に囚われていた者達も誰一人欠けず地下牢から出したということだ。 尾能の母御も治療を受けておる」
そう言うと巻き物を巻きなおす。
「良かった」
思わず紫揺から出た。
「武官も負傷しているようだ。 何人がその宇藤という者と屋敷を出たのかは分からんが、一人も逃さず全員捕らえるにこれが限界の人数だったであろう。 紫、杠、よくやった」
杠が顎を引き、紫揺がまたもやペコンとした。
「では杠はマツリを待つが良い。 ・・・ああ、そうだったか。 紫もマツリを待たんといけなかったか」
「一人で大丈夫ですけど」
「一人で歩かせるわけにはいかん。 特に山の中は。 紫もマツリを待つよう。 もう戻ってくるだろう」
もう戻ってくるとは言ったものの、とうに戻っていなくてはいけない筈であった。 何かあったのだろうか。
四方の自室を辞した二人。 早朝にいたと同じ部屋でマツリを待つことにした。 常ならシキと共に居る紫揺だが、シキが四方の部屋から出てこなかった。
当のシキは紫揺との時をとりたいし紫揺と杠のことは気になるが紫揺と杠のことは “最高か” と “庭の世話か” に任せることにした。
「父上、マツリは一体どこに行ったのですか?」
「ああ、地下には行っておらん」
「迂遠なことを仰らないで下さいませ」
四方が眉を上げ続けて言う。
「危険な所には行っておらん。 紫と杠の方がよほど危険だった。 マツリは段取りを組むだけでその他は単なる連絡役だ。 だからすぐに戻ってくると思っていたのだが・・・」
「どういうことですの?」
「時がかかり過ぎておる。 なにか意想外のことが起きたのかもしれんが武官の方からも連絡がない」
「わたくしが飛びましょうか?」
「何を言っておる。 シキはもうお役御免となった。 走らなければならんのならわしが走る」
山猫である供と走るのか馬で走るのかは分からないがもういい歳をしている。 馬ならまだしも供と走るのは避けて欲しい。
「それより・・・」
シキが顔を上げる。
「紫は意外だったな」
「なんのことで御座いましょう?」
「あの様に素直だとは思わなかった」
「紫は素直で正直者ですわ」
「そうか? わしはそう思わなかったがな」
「父上に見る目が御座いませんのではありませんか?」
紫揺のことになると舌鋒気味になるようだ。
四方は紫揺との出会い方が悪すぎた。 そのお蔭で紫揺から良いように思われていなく、紫揺からの風当たりがきつい。 その上マツリとの舌戦を聞いている。
「マツリと居る時と違って杠の前では大人しい・・・と言うか、あの二人はよく気が合っておるようだな。 口にせずとも分かり合っている所もあるようだ。 その上で口にしなければならんことも心得ておる。 紫と杠は互いの衣装を褒めておったしな、その様なことも必要であろう。 マツリが気にしている杠だ、紫が本領の者なら杠の奥に推したいくらいだ」
「なっ! 何を仰います!!」
「なんだ? シキは杠と紫が合っておるとは思わんのか?」
―――思っている。
それどころか、紫揺が杠に心惹かれているのではないかとさえ感じている。 それに二人の空気感の報告も受けているし、自分も見た、その柔らかい空気感を感じた。
「杠は良い男だ。 飲み込みもいい。 何よりわしの前に出ても気おくれすら感じられん、堂々としたものだ。 あれくらいの度量があれば紫をゆるりと愛おせよう」
尤も、尤も、ご尤も。 それを危惧しているから焦っているのだ。
襖戸の向こうの気配に気づいた従者がそっと襖戸を開けた。
「マ、マツリ様!」
四方とシキが襖戸に目をやる。
外に居た従者が中に声を掛けようとしたのを漏れ出てくる話し声にマツリが止めたのだった。
従者が大きく襖戸を開ける。
「遅かったな。 何かあったのか?」
「紫はどういたしましたか」
シキがチラリとマツリを見る。 四方の問いに答えていない。 紫揺のことが心配なのだろうが、それにしても四方に対する話口調もいつもと違う。
早い話、疑問符が付いていない。
「ああ、とうに戻って報告も受けたところだ。 杠と二人よくやってくれた」
マツリの眉がピクリと動く。
(完全に・・・杠に妬心しているのかしら。 さっきの話を襖戸の向こうで聞いていたということかしら)
「マツリも驚くような情報を持って帰ってきた」
「宇藤という者と仲間を逃がすだけなのにですか」
「ああ。 杠は己(おの)が役目上、目端が利くが紫もなかなかのものだ。 少し前に早馬が来た。 地下の屋敷の者たちは一人残らず捕らえたということだ」
「杠も地下に行ったのですか」
「ああ、紫一人で行かせるわけにはいかんからな」
「武官でも良かったのではないですか」
「杠が言うに武官は新顔となる。 その様な者が城家主の屋敷あたりにまで行くことはないようだ。 それに新顔は夜に地下に入ってくるらしい」
「そうですか」
それはマツリも知っていること。
「杠なら安心して紫を預けられよう。 あれは紫のことを上手く受け入れているようだし紫に合わせて話も出来る。 紫も杠のことを信用しているようだ」
「父上! そんなことよりマツリの報告を」
マツリの顔色が変わってきているのを四方は分かっていないようだ。
この二人・・・四方とマツリ。 どれだけ鈍感なのか計り知れない。
シキがこめかみをグリグリと押さえる。 だがそれを波葉が聞いたならば心の中で “シキ様もでしょう” と言うだろう。
客観的に見て鈍感は家系のようだ。