五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

紅葉の花

2013年05月15日 | 第2章 五感と体感
我が家の近所には、地元に代々住まい、住宅地が切り売りされる中、自宅の大きな庭を維持している家が何軒かあります。
第二次世界大戦での空襲で焼けなかった地域でもあり、未だに尾根道中心に細かい道路が張り廻り、お天道さまの位置を確認しながら歩かないと遭難しかねない住宅地が広がっています。

御近所のKさん宅は、只今薔薇の花が満開の時期で、最近では珍しい生垣から庭を覗くと色とりどりの薔薇がノビノビと咲いています。
昨日、生垣から道路にはみ出している紅葉の葉を立ち止り見つめていると紅葉の花が咲いているのに気付きました。ツツジやサツキ、藤に薔薇と気を取られている間に、紅葉はしっかりと花を咲かせていたのでした。プロペラの形のようなので、一見、木に巻き付いた蔦かと思うくらいの地味な花です。

犬の散歩に出かけようと家から出てこられたKさんに、紅葉の花を指差し話題にすると、「この紅葉はね、〇さんのとこも、×さんのとこも、同じ紅葉なんですよ。いつからか、家にもあった、って、感じでね。。。きっと、どこかの家から種が飛んできたんだろうね」と仰いました。

細い指のように伸び、しかもフリルのような葉の形状は、他ではあまり見ることはありません。
横浜の古い街のこの紅葉は、プロペラみたいな花に付いた種をブンブン飛ばしながらあの家、この家に根付いて育ってきたのかもしれません。
東海道や綱島街道から、一歩外れたかつての村の独自の進化を垣間見たようで、一見失われたように思う歴史の一面が浮き上がり、嬉しく思いました。

地元の方々の言霊を聞くと、その土地のアイデンティティが見えてきます。御近所の方々との井戸端会議は文化人類学的にも比較文化的にももっとも貴重な情報源です^^。

「平素の暮らしの積み重ねが特有の個性を生み出す」ことの面白さを改めて感じました。今日も紅葉の花を探しながら駅まで歩くとします。


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感情の取り扱い

2013年05月14日 | 第2章 五感と体感
自分の感情の取り扱い方には何らかの傾向があります。

もし、自分の感情の取り扱い方に傾向があることに気付いたならば、それが、「自分の学び」の大切な素材になっていきます。

なんでこの人は、こういう解釈をするのかなぁ~

なんでこの人は、いつもこういう言葉で返してくるのかなぁ~

他者の事は見えても、自分の事を振り返ってみると案外直ぐには見えてこないのが普通かもしれません。

なんでこの人は、こういう解釈なのか?いつもこういう言葉で返してくるのか?と、思った時の自分の感情も、まさしく「湧き出す感情」です。

違和感を感じることが、自分と他者との間に距離があることの証拠でもあるのです。

幼い時から、慣習や風習、気候の違いの違和感、つまり「私と他者」という距離と向き合うことを余儀なくされた私は、同じ場所で生まれ住み続けている人々の揺るぎの無い考え方や誇りを注目し捉えていく術を自然と身につけてきたように思います。
そのお陰で、比較宗教、比較文化の学びの中で、それぞれのフィールドに立つことに極度に躊躇しない傾向が育まれたようです。
知らない場所や知らない人々の中に身を置くことは、同じところに留まることよりも楽さを感じます。そうは言いながらも、同じ場所に根付き、風習を当たり前だと思う様な心持になってみたいという憧れはあります。でも、根付かない環境で育った私は、それは永遠の理想であることも承知しています。
だからこそ、永遠普遍の神と仏に手を合わせることで、普遍的な安定感を得ているのだと思っています。

自分の感情の取り扱い方に失敗すると、他者をどんどん追い込んでいきます。
無防備な状態で他者の感情の放出を受けると受けた側は、得も知れない不快感や疲労感に襲われ、更には罪悪感まで湧いてきます。
場所を選ばず自分の感情を顕わにしていると、刺客に遭うこともあるでしょうし、自分が気付かないうちに静かに人が去っていきます。それによる孤独感は、ますます自分の傾向を強化していくように思います。

自分の考え方、そして、考え方があるがゆえに湧き出してくる「自己の感情の取り扱いの傾向」を自分自身が意識化することは、他者との関係を上手くするための最初の関門かもしれません。

昨日の「生き甲斐の心理学」保護者勉強会にご出席の皆様、大変お疲れ様でした。五年目となりリピーターの方も多く、しかも一年生だけでなく他の学年の保護者の方々が多く初参加されたことに感銘を受けております。学びのきっかけを掴み、より良く生きようと心掛けていらっしゃる皆様のお言葉を嬉しく思いました。共に学び、共に自らを育み、和気あいあいと宜しくお願い致します。

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共に学ぶ

2013年05月13日 | 第2章 五感と体感
今日から関わる学校の保護者勉強会が始まります。

今年度は5年目となり、第五回保護者勉強会となります。

中学一年生が高校二年生になったのと同じ時間の経過です。

お子様が卒業されても保護者の参加が許されているお陰で、年を経る毎に初参加の皆様の馴染む時間が早くなってきたように見受けられます。
そして、年々学びを重ねてゆくことで、今まで見えてこなかった何かに気付くこと、腑に落ちることがあり、参加される個々の皆様の人生を「自ら丁寧に生きること」を意識するきっかけをつくるお手伝いもできているようにも思っています。

健やかな暮らしの条件は、個性の美です。他者と同じではありません。

自分自身が健やかな暮らしを体感していると子供もそれに習います。

自ずから自然に習うことで、自分の個性が強化されていきます。

中学生になり、少し時間が経過すると、段々と孤独感を感じることで他者と自分との距離感が離れていることを体感することに悩む時期が訪れることがあります。

自分と他者を意識することは自我の目覚めのひとつの形であるかもしれません。

今まで仲の良かった友達との間に違和感を感じたり、他者の事を気遣い仲間に入れなかったり、感情の起伏が激しくなったり。。。
大人になる関門で、厳しい現実を体験しなくてはならなかったりすることもままあります。

生き甲斐の心理学の学びは、参加者皆様ご自身のための学習です。しかし、自分という「個」を意識し出した時に起こる様々なことを見守るのは、身近な保護者の役目でもあります。そのときに、親として、または保護者として、どのような役割を担うか、も、この学びで共に思索していただけると、学びが一層深まること確信しております。

勿論、私も一人の人間として学ぶ機会の場として参加させていただきます。毎度のことですが、生き甲斐の心理学の植村先生と共に楽しく進行していく所存でおりますので、よろしくお願いいたします。

勉強会での出会い、再会を楽しみにしています。


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心と身体の疲労を意識する

2013年05月12日 | 第2章 五感と体感
冬の気候が苦手な私は、冬の間、風邪をひいたり体調を崩さないよう気を遣い生活しています。

でも、大抵、その緊張感から解放された春に体調を崩す傾向があります。今年こそはと、思うのですが、こればかりは自分の傾向なので諦め気味です。
というわけで、例年にもれず連休後半は、頂いたホタテ貝にあたり、散々な目に遭ったというわけです。

就職したての息子の一カ月の緊張感も一緒に背負いこんだことも理由の一つかもしれず、ともかく免疫力が低下するような疲れは出ていたのでしょう。なので、ホタテ貝さんのせいばかりにするのは、ちょっと可哀想です。(私以外は何事も無く元気だったのですから^^;)

入学したてのお子様と暮らしているお母様方も、きっと同じことが言えるかもしれません。もちろん、学校での新しい環境で生き抜くために一所懸命のお子様方も同じですね。

連休が終わり一週間が経ちました、そろそろいつもの生活が戻りつつあることでしょう。
緊張感が解れ、疲れが意識化されたら、休むことが大切なことのようです。

疲れたら休んで、身体を整えていくと次への気力が湧いてきそうです。

疲れたら休むことは当たり前のことなのですが、私も疲れていることを自分自身ときちんと向き合わないと意識化できないようです。

「少し休んだら?」と他者から言われるのも癪に障るので、自分自身で気付いて意識化していきたいものです。

明日から保護者の勉強会が始まります。新しい出会いと再開を心待ちにしています。

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三山謡う

2013年05月11日 | 第2章 五感と体感
昨日の能の稽古で、三山を習いました。

大和三山をモチーフにした三山(ミツヤマ)は、香久山(夫)と妻である畝傍山、耳成山。この三角関係が火曜サスペンスを生んでいきます((笑))

笑ってはいますが、人の持つ普遍的な感情を改めて自分のものとして湧き立たせながら謡っていると、抑圧していた感情がどこからかひょこっと顔を出しては消えていくことを体験します。謡いの中から湧き出す感情は、ほろほろと優しく浮き上がってくるから不思議です。

潜んでいる感情を湧き立たせ、謡っているうちに五感が鍛えられていくことが、たぶん止められない一つの理由かもしれません。もっともっと謡いたくなっていきます。

人の持つ不安感、孤独感、嫉妬、独占欲、悲しみ、哀しみは、幸福感や平安感よりも生まれやすく、「生き甲斐の心理学」では「不安は人の本質」だと初めて教えていただいた時、自分の内から安堵感が湧きあがった事を鮮明に記憶しています。

久しぶりに師匠と弟子二人で謡い、心地の良い宵を過ごしました。

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持統天皇と二上山

2013年05月10日 | 第2章 五感と体感
大津皇子を謀反の罪を着せ殺してしまう持統天皇。

自分の息子草壁皇子を次期天皇に立てるために、才能も人望もある大津皇子に謀反の罪を着せるのです。

結局、身体の弱い草壁皇子は天皇になることなく、即位するのは本人でした。

能に「三山」という演目があります。二人の娘が一人の男を巡り嫉妬に狂い殺してしまう内容です。大和三山の畝傍山、耳成山、天香久山の山を人に置き換え古事記と交えたような内容ですが、隠喩を隠喩したような内容であると思うと面白くてなりません。

持統天皇は、二上山の頂上に大津皇子の墓を造ります。自分の権力を誇示するための見せしめと解釈されていますが、その二上山を巡り、いろいろな伝説も生まれます。

後世になり折口信夫が書いた「死者の書」は、歴史と文化と伝承が時空を超えて入り混じる物語です。それだけではなく、日本語の美しさに改めて酔い知る体験も同時に体感することとなりました。
明日香の時代から今日までに育まれた現代日本語の表現を二上山に献上したようにも思うのです。、

大和の眠りを未だ継ぐ吉野の山も緑深まる頃です。
持統天皇が吉野の山で何を考えたかも想像を巡らしたいものです。

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日本の色と奈良の色

2013年05月09日 | 第2章 五感と体感
高畑から春日大社に抜ける原生林の路は、春になると馬酔木(あせび)の花が咲き、日陰の路が白い炎で灯されたようにほの明るくなります。

奈良を歩くと日本人が育ててきた色の原型に出合います。

若草山もそうです。立春前に山焼きを終え、暫く経つと、徐々に土色の山から黄緑色の色気が差してきます。

土塀を辿りながら、黒い瓦の屋並みを歩けば、天平の頃に時空が飛びます。

そのような色を愉しみながら散策すると、道端に生える雑草さえ古(いにしえ)の色合いのように見えてきます。

藤の花もそろそろ終わりの頃でしょうか。春日大社の巫女さんが差す藤のかんざしと緋色の袴にドキドキする鼓動を思い出しながら、連休明けの助走に少し速さを加えるとしましょうか。。。

6月の奈良の旅が待ちきれない気分を押さえつつも、この時期にしか見ることのできない色に出合いにゆきたしと、、、。

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心地良い場所の体感

2013年05月08日 | 第2章 五感と体感
私の居心地の良い場所といえば、東大寺本殿裏の講堂跡から二月堂にかけてなのですが、黄土色の土塀の路を歩くと、時空の浸透圧を感じ魂が顕わになるような体感を覚えます。

昨日は鎌倉腰越の勉強会でした。

江の島と富士山を望むお宅で一日を過ごすことも身体をリラックスさせて頭を切り替えるにはもってこいの場所です。

いつものように江の島の先に富士山が見え箱根や伊豆の山々が見渡せると、それだけで安心します。

いつものように見えないと、何か損したような気分になります。

自宅もそうですし、実家も同じです。いつもあるから安心できています。

自分にとっての普遍的な場所が居心地良ければ、それだけで満足します。

でも、それがままらないこともわるわけです。

帰りたくても帰ることのできない場所。
戻したくても戻すことのできない場所。

目で見るものは、知らず知らずのうちに身体全部を使って観ているのです。

匂いも。
音も。
触れることも。
味も。

五感の記憶は、目で見ているものは体感として深く記憶されていくのです。

もし、ままならないことがあるならば、自分の中に在る「体感の記憶」を呼び起こすことは可能です。

叶わないと思うのは、自分の心が自分に鍵をかけているだけのことかもしれません。

心のなかにある自由は、宇宙と同じくらい広いのです。広いはずなのです。

心地良い場所の体感を五感を使ってひとつひとつ大切に意識化することは、将来の自分を活かすエネルギーになるように思います。

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連休もおしまい

2013年05月06日 | 第2章 五感と体感
連休最終日。
お休みできたでしょうか?
休日に仕事のある方は、ようやく一息つくことができそうですね。

連休中に遠出をすることは避けつつも、観光地であるみなとみらいあたりを歩くと、観光客の人でいっぱいでした。

昨日は横浜能楽堂での師匠の「富士太鼓」も無事終わり、能で始まった連休は能で締めくくりです。

4月に始まった新しい環境での生活の緊張が解け、段々と馴染む人がいる中、一カ月の疲労感が出てそれが消化できない人もいるはずです。
新しい環境に違和感を感じ、適応できないことに悩んでいる人もいるかもしれません。

疲労感が出ているなぁ~~、と思ったら、今日はのんびりすることに終始することを心がけてみるのも良いかもしれません。

私も今日はのんびりと休みます。。。のんびりとのんびりと。

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明日の神話を創る者

2013年05月04日 | 第2章 五感と体感
昨日の朝、文芸春秋社から発行(2011年8月臨時増刊号)した「つなみ」(被災地のこども80人の作文集)を基にして制作された番組が放映されました。

自分の「言葉=ことだま」を発する時間を持つことは、今自分が生きている意味を改めて確認する機会に繋がっていきます。

「言葉に出すと、それがほんとうのことになる」故、ほんとうに納得しないと言葉に出さない傾向に日本らしさを感じます。

好きか嫌いか。
やるかやらないか。
欲しいか欲しくないか。

一旦出した言葉が後戻りできない様な気分になることもありますが、後戻りできない言葉を大切にするからこそ、自分と自分、自分と他者の関係性が優しい境界線となるのかもしれません。

それが日本人のアイデンティティの一つであるように思います。

昨日の番組では、つなみの文集に登場した子供達が数人取材に応じている場面がありました。

私は、震災直後のひとりひとりの子供達のことだまをページを捲りながら付箋を付けました。

彼らは二年という時間が経過した今の自分をしっかりと語っていました。
思い浮かべながら、考えを巡らせながら、言葉を紡ぐ子供達の表情が二年間の蓄積を経ての表情だと思うと、いっそう深く愛おしく思いました。

文字を書く。
言葉を発する。

何度も書いていることですが言葉はことだまです。

自分が生きる意味を考えるのは、生き抜く術だと解釈しています。

ことだまを育むことは、生き抜く術を強化することに繋がるはずです。

番組を拝見しながら人々が経験した二年間の思いと解釈が時間の流れの中で、生き抜く力になっていることを信じたいと感じました。

「今」という時空を切り取ることで「今」を表現し、それを連鎖していくことは明日の神話を創ることの作業にほかなりません。

私もその作業者の一員であり続けたいものです。

明日の神話を創る者は、自分自身なのです。

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感情の整理編

2013年05月03日 | 第2章 五感と体感
自分が湧き出す感情をどのように解消するか?

自分がその湧き出す感情が不安感のひとつであろうなら、その感情は、どんな感情なのでしょう。

その感情からどのように解放されたいのでしょうか?

ほんとうに解放されたいのでしょうか?解決したいのでしょうか?

この問いかけに

「解決したい」という意思が感じられるか、感じられないか、という分岐点に達するまで時間がかかる場合があります。

自分はほんとうにどうしたいのか・・・

自分自身の心に留めて見ても、それが見えない場合のほうが、意外と多いように思います。

何故「解決したい」という思いが湧き上がってこないのでしょう?

人は、生まれてから今日までの生育史を持っています。その生育過程のなかで育まれた生き抜き方は、人それぞれです。
それぞれの生き抜き方は、同時に個性と言う事ができます。生き抜いてきた自分を自分自身が慰労するには、何らかの防衛機制を自らが自らの力で解放しない限り、心底解決したい渇望の感情は湧いてこないかもしれません。

「生き抜き方」を別の言い方で表現するならば、「自分の傾向」とも云う事ができます。

湧き出す感情には、生育過程において学習した生き延び方がぴったりとくっついています。

それは、裏打ちされた紙のようです。

何かに囚われ、湧き出す感情をどう取り扱うかで彷徨っているのであれば、まず自分がどうやって今日まで生き延びてきたかを振り返ってみることがよいようです。
自分で振り返ってみると思い浮かぶことに何らかのパターンがあるかもしれません。
そのパターンに気付くと、自分の考え方や解釈から湧き出す感情が明確に見えてくる場合が多いようです。
もし、それが囚われの考え方や解釈であることを自らが受容した時に、「五臓六腑に沁み渡る納得」の体感が得られるようです。

相談に乗ってくれる人や傾聴者に答えがあるのではありません。
もし、聴いてくれる人の解釈や指摘に惑わされ、一層モヤモヤしているのであれば一旦離れてみると良いかもしれません。

答えは自分の内にあるのですから。

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富士山

2013年05月02日 | 第2章 五感と体感
「あーたまーをくーもぉのうーえにだぁし~♪」

小学生のころ覚えた歌です。

四国~北陸と移り住みながら、東京へは親に連れられプロペラ機や出来たてホヤホヤの新幹線で帰京していた頃、子供ながらに窓から富士山を見るとどこからかエネルギーが溢れてきて、ワクワクした気分になることを未だに覚えています。
私は乗り物に乗ると静かに鎮座していた無口な子供でした。じぃーっとして、森羅万象を眺めるのが好きな子供でした。五感で感じたことを言葉にしない分、今になって体感の記憶としてたくさん蘇ってくるのかもしれません。

いつの頃からか富士山は私にとって無くてはならない活きるためのエネルギーの源になっていたようです。

小学校1年生から湘南茅ケ崎に住み、お天気の良い日は富士山を望み、見るたびごとに風情の違う姿を確認し、暮らしの中に溶け込んでいたように思います。

今でも仕事先の藤沢や鎌倉に行くと横浜からよりも大きく見える富士山にほっとした気分になり、実家から見える富士山も見えにくくはなったものの私にとっては大切な風景の形です。東横線の多摩川を越えるあたりは丹沢山系を見渡すこともでき、山々の向こうにそびえる富士山を確認した日は、得をしたような心持になります。

都内に住んでいた頃は、お隣の日本舞踊の大先生が毎朝、木戸を開け路地に佇み富士山に向かって手を合わせていらっしゃいました。

我が家の周辺では富士山の見える場所は富士塚という地名が付いており、そこには新横浜から我が家あたりまでの鎮守様である神社があります。

「…ふーじはにっぽんいちのぉやま♪」
唱歌の最後は、この歌詞で締めくくりです。
最初はモヤモヤと歌う子供達も、この部分だけは大きな声となっていたことをふと思い出しました。

富士山。自分が愛すべく存在であり、自分は富士山から愛される存在であるようにも思うのです。

源氏物語の中に登場する富士山は、けむくなるくらいの香の焚き方をすると、光源氏が「富士山の噴火ではあるまいし、そうもくもく焚くでない」と叱責したりします。源氏物語の中で私の好きなシーンの一つです。

富士山は、みんなのこころに住まうおやまです。

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休息の達成感

2013年05月01日 | 第2章 五感と体感
大型連休のさ中ですが、今年は平日が3日間挟まっているため連休が分断しています。
昨日の4時ぐらいの下りの電車で小学校一年生の男の子が「完璧に爆睡」している姿に心配し、一旦起そうかどうしようか迷いつつ、知らないおばさんにいきなり声を掛けられるショックのリスクを思い浮かべ、起こすことを止めました。
この光景、海外ではあってはならないことですが、無防備に電車で眠る人に犯罪が起きないことを信じている安心な日本の象徴的光景なのです。
見かけたことの無い制服なので、もしかしたら埼玉辺りから乗り越して来ちゃったかもしれません。
東横線が南北繋がったことで、電車通学している小学生にとっては充分あり得る経験です。

新しい環境に飛び込んで一カ月。

連休が続くと、気持が緩み、疲れが身体に表われる頃でしょう。

急かさずに、連休を思う存分楽しむことに集中できると、休んだことの満足感が得られ、これから夏休みまでの長丁場を頑張ることができそうです。

「次はこれ!」というニンジンをぶら下げるよりも、「次を考えず今を休む」ことに集中することで「休んだ達成感」が得られます。

休んだ達成感は、諸々に対する達成感に繋がります。

緊張を解して、自分を休ませることを大切にしたいものです。


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