五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

魂を信じると・・・

2012年09月02日 | 第2章 五感と体感
先日、NHKで「お迎え」についての特集が放映されました。

「お迎え」、つまり死を迎える人に現れるお迎え現象をどこかの大学が統計を取ったものを素材に番組を構成していました。

登場していたお医者さんは「幻覚」という言葉を使っていましたが、ターミナルケアーのカウンセリングの立場からすると、死を迎えようとしている人が実際に見ている「リアリティ」として捉えます。

見えるものは、その人にとっての真実なのですから。

日本では「死」忌み嫌い、古来からモガリという風習がありますが、ヨーロッパではラテン語で「メメントモリ」という言葉が古来からあり、メメントモリ=死を想うことで、死という自分の身に必ず起こる現実を受容することで天国をイメージしてきたと私は解釈しています。
ヨーロッパの教会の地下にあるカタコンベに入ると、これ見よがしに骸骨と大腿骨が美しく整然と並べられていたりします。

平安時代の画の中に、あの世を信じ、今まさに死を迎える怖さを和らげるために天井から紐をぶら下げ、それを握って逝去する様子を描いたものがあります。

それぞれの環境において生まれ育ち、そして老い、自分が信じている「あの世」とは、何なのか、自分が死んだらどうなるのか、、、。これらのことを思い巡らしている人は、もしかしたらお迎えの時に会いたい人に会えるのかもしれないし、リアリティとしての風景が見えてくるのではないか、とふと思ったりしています。

だからこそ、メメントモリは、自分が死にゆくための大事な儀式であるように思います。

私の祖父は、東京のビルに囲まれた病院の窓を見て「あやちゃん、ほら、桃源郷が綺麗だよ。桃の花のピンクが綺麗。あやちゃんの口紅の色も綺麗だな」と、仕事帰りに化粧もはげボロボロの顔で見舞いに行った私にそう言いました。
そう言いながら、右手に筆を持っているかのように、キャンパスに描くしぐさを始めました。

そのとき、私は、おじいちゃんは、本当に見えているんだな。。。と、思いました。

一緒に「桃源郷綺麗だねぇ~」と言葉を返し、別れの言葉のやり取りは、なんとも美しい思い出となっています。

私のお迎えは、神仏混合キリスト教ではないか。。。と、思ったり、若い頃旅をしたインドのサドゥ達が賑やかにヨガをしながらお迎えに来るかもしれないし、、、でも、理想と云えば、宇治の平等院の雲中供養菩薩が雲に乗って現れ、その中にマリア様が混じっていることを期待しているのですが。。。

想像することを今から楽しみ、神様、仏様、キリスト様、マリア様、ヒンドゥーの神々に手を合わせていると、自分が死を迎える時に、きっと誰かが迎えにいらっしゃることは、しっかりと信じている私が居ます。

見えるもの、見えざるものを、どう解釈するか。。。これは、やっぱり自分自身の生き方に繋がる、ということになりそうですね。

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