五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

防衛機制を考えてみる 其の二

2019年07月20日 | 第3章 無意識の世界

photo 仙洞御所 sentougosho kyoto


14の防衛機制

抑圧

生き甲斐の心理学のテキスト86ページ
第8章 心をのびやかにする方法
大テーマ 14の防衛機制

このテーマの冒頭には、
「いうまでもなく人は生涯、幸福に
生きるべき存在です。」
人はできれば、誕生から昨日までの
過去の自分に囚われることなく、
将来の不安におびえることなく生きるために、
個の14の防衛機制を学習しましょう。」
と、書かれてあります。

「防衛する」ための自分の心の動きは、
自分をよりよい方向に生き延びるための
知恵と行動にも繋がっていきます。

ここで、14の防衛機制を一つ一つ
考えていきたいと思います。

今日は、抑圧をテーマにします。
防衛機制「抑圧」
「人からの非難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、
何らかの感情、自己主張を我慢する事」

喜怒哀楽の感情が素直に湧き上がり、
それを自分の感情として受け止めている人と、
喜怒哀楽の感情、特に不安や怒り、憎悪、孤独感、愛情、
憂鬱、などの不安な感情を意識に上げず、言語化せず、無意識に
押し込めて、冷静を装い続けていると、
ある日、身体症状にでてきたり、極端な言動や行動で人を驚かせたり、
する現象が起こるようです。
抑圧を続けている事で、
自分の本音の感情を意識化、受容していないことが、
他者を傷つけ、かき回したり、
家から出る事が出来なくなったり、
人と関わることが出来なくなったりして、

益々、自分の状態を心の奥底に
押し込んでいくのです。

人生を振り返り、
自分が、どんな育てられ方をして、
どんなふうに育って、
どんな環境に置かれていたか、
を思い返してみることで、
うっすらと自分の抑圧の傾向が
見えてくることがあります。
過去の自分のありのままを受容できてくると、
抑圧からの解放の道筋が見えてきます。
過去の自分のありのままを受容できていないと、
抑圧をどんどん深めて、自分だけでなく、他者へと
投影されていくのを度々目にします。

フロイトの14の防衛機制で、
一番大事な「抑圧」。
無意識の意識化は、とても難しいことでしょうが、
長く生きていると、薄々と自分の認めたくない傾向が
見えてきて、いつしか、自分自身受容納得する時期が
来るかもしれません。

自分が怒り、他者を攻撃しているとしたら、
自分の欲求不満が、不安を通り越し、
怒りまでの感情に押し上げている事を認め、
受容していることから、まずは自問自答していかない限り、
ずっと、気に入らない人に攻撃を続けることになるやもしれません。

自分における抑圧を、素直に自問自答できるとしたら、
幸いな事でありましょう。

テキスト 生き甲斐の心理学 引用・参照



・・・・・・・

「生き甲斐の心理学」

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2019年 9月3日 鎌倉腰越勉強会

2019年9月11日 小金井勉強会
小金井・桜町病院の修道会 修道院が会場です

4月5日~7日  二泊三日 
琵琶湖の畔でのんびりと 唐崎勉強会  終了

7月13日~15日 二泊三日
宝塚 売布神社のお隣の修道院にて勉強会 終了

10月11日(金)~13日(日)
東京 町田勉強会 会場:マリア会修道院


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NPOキュール「 ♯生き甲斐の心理学 」講座
 
東急セミナーBE講座
2019年 7月19日  13:30~15:30雪谷校
2019年 7月26日  10:30~12:30たまプラーザ校


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生き甲斐の心理学 防衛機制を考えてみる 其の一

2019年07月19日 | 第3章 無意識の世界

photo kyoto sentougosho 京都御所 仙洞御所

生き甲斐の心理学・防衛機制を考えてみる 其の一

年齢的に、20代、30代までは、
社会に出て、色々な人に出会ったり、
仕事をしたりしている中で、
他者との関係性において、
親が自分をどう育ててきたかが、
よく見えてきますし、
親にこうして欲しかった、ああして欲しかった、
という思いも強くなったり、
他者と自分を比べての諸々の感情に
振り回される時期でもあるように
思います。
その反面、自分の個性の美を
育ててくれた生育史に
感謝する感情も湧いてきます。
感謝する対象が、親であったり、友人であったり、
先生であったり、街で見かけた人であったり。。。
思い返してみると
自分が生きていくために
色々な知恵を授けられてきたように思います。

人を育てる立場になってくると、
自分の個性が、他者に影響を
与えるようにもなっていきます。
そのような立場になってくると
自分が育てた相手が、
まるで鏡のように投影されていくことに
気付かされたり、
思わぬ反撃を受けたりしながら、
段々と、自分自身の傾向を客観的に
捉えられるようになってくるようです。

そのようなわけで、
何歳から大人であると言えるのかは
わかりませんが、
大人としての感覚が、
段々と身についていくのも、
死ぬまで体験する「自己成長」とも
言えるように私は思っています。

そのようなことをツラツラ
考えながら、テキスト生き甲斐の心理学
フロイトの14の防衛機制86ページ
何回かにわたって書いていこうと思います。
8月は、お休みの講座も多いので、
おさらい兼ねて、私も改めて
言語化していきたいです。


・・・・・・・

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パンダの自立

2018年11月16日 | 第3章 無意識の世界

上野動物園の入り口ふきn




パンダの自立    2018年11月16日

展覧会を観るために上野に行きました。
都立美術館での展覧会を観終えて、外に出ると、
上野動物園の入り口付近が黒山の人だかり。
「なになに?」と思い、遠くから眺めているうちに、
「子パンダと母を分離させる」ニュースを思い出しました。
「ああ、これね。。。」
つまり、私が上野を訪れた日とパンダの親子を
同じ場所で観る事ができる最後の日であったのです。

人の成長過程において、子供も親も互いに分離することを
不安がる時期があるそうです。
そんな時に、お母さんに過度に甘えたくなったり、
反抗したりして、段々と自立心が芽生えてくるのですが、
親に関しても、子と分離することの不安感が、
色々な形で出てくるようです。
「母と娘の母子分離」は、案外母親が出来ずに、
長きにわたって尾を引いたり、
子供も分離できない母を離せずに、
母に取り込まれていくことに気付かなかったり、、、。
そこが人の心の複雑なところかもしれません。

パンダの母子分離という記念日に
上野動物園の前を通りかかり、
パンダの親子の最後の姿を見るために
動物園に入る人々を
俯瞰した気分で撮影しているうちに、
動物園という「枠」に入ろうとしている親子連れの人々の姿が
「親子分離前の人の姿」として、
興味深い心持になったのでした。

親からの自立。
子供からの自立。
考えさせられた一日でありました。

::::

講演会のお知らせ;

11月18日八王子市生涯学習センター(クリエートホール)14時~16時
市民自由講座「生き甲斐の心理学」
「自分自身の問題を解決するために」というテーマで、
生き甲斐の心理学を分かりやすく解説する講座を行います。

申し込みが必要なので、
詳細は八王子市教育委員会 八王子市生涯学習センターに直接お申し込みください。
問い合わせ:042-648-2231

八王子市での講演会は昨年に続き二回目となります。
皆様のご参加をお待ちしております。

・・・・・・・・・・・・・

「生き甲斐の心理学」

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///
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繋げる繋がる

2018年05月21日 | 第3章 無意識の世界

写真:お寺ではありませぬが法隆寺を思わせる某聖堂

繋げる繋がる        2018年5月21日

個と個が結びつくと何かが生み出されていき、さらにそれが何かに繋がって展開してゆくことを考えると、いつも南方熊楠の立体曼陀羅が思い浮かびます。

或る個人を、或る個人に繋げたら面白そうだな。

そんなことを思い、繋げる事を実現させていきながら、又は、繋げられながら、関係性を育み、自分の個性を強化させてきて、半世紀以上生きてきました。
中には、若いうちから、自分の個性を花開かせている人もいますが、大抵の場合、ある程度の歳を重ねて、ようやく自分の個性に見合った人間関係から自分らしい人間関係が構築されていくように思います。

私自身、出会う人には恵まれていても、自分の個性が安定せず、取り逃がしたような経験してきたのですが、40代になってから、ようやく自分らしい繋がりが持ててきたようです。
義務的な繋がりは、そう長くは続きませんが、そういった社会的環境における経験してきてこそ、他者の個性の美と、自分の個性を繋ぎ合わせたらどうだろうか、という希望的観測が見えるようになってきたかもしれません。

類は友を呼びますが、類ではない対象を面白いと思えるようになるまでは、多少の人生経験を積まなくては至らないでしょう。
また、一貫した個性の美を揺るぎなく表しているような人には、繋がりを持ちたい個性が繋がりを求めていくのも自然な成り行きのように感じます。

自分がどんな個性の美と繋がっていくかは、自分次第であり、たぶん、抑圧的な人間嫌いでない限り、それなりに自分らしい繋がりで繋がっていくはずです。

自分と他者の関係性が一つの銀河系だとすると、自分が存在している以外に無数の銀河系があって、更には自分の内にも銀河系が内在していて、もしかしたら、その繋がりを体外で体現していることが、人との繋がりであるかもしれないと、思ったりするのです。
既にデザインされている関係性があって、もしかしたら、自分はそこに向かっているのかもしれない、ともツラツラ考える今日この頃です。

そのうち、到達する「死」という体験が、この世に生きている自分の最後の解釈になることも、人間に与えられた人間の意味でもあるかもしれません。

禅問答のようになってきたので、この辺でやめておきます((笑))


::::::


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2018年6月5日 鎌倉腰越講座
2018年6月15日 つつじが丘勉強会
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         6月11日、25日

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自他分離

2017年09月10日 | 第3章 無意識の世界


自他分離                           2017年9月10日

私の問題なのか。他者の問題なのか。

私の問題であるのか。親の問題であるのか?
子である自分の問題なのか?両親二人の問題なのか?
私の問題であるのか。子供自身が考えていく問題なのか?

つまり、「自己の問題であるのか?他者の問題であるのか?」これが混同していると、自分の望みなのか他者の望みなのかの判別が付きにくくなるようです。

親が子を育てる、また、子が親に育てられている時、そのあたりが混同しているからこそ、
子育てができるのかもしれません。
でも、親子が混同している時期はそれで良くても、子供が段々と社会に出向くようになっていくと、自分と他者の違いが段々といろいろな形で見えてきます。
いろいろな形で見えてきたものをどう感じ、解釈するかは、育てられてきた環境が比較考察する感情として湧き出してくるようです。
いつまでも、私とあなたを混同していると、あたかも私であるかのように、子供と向き合うようになりますが、子供も同じでしょう。親が今までの全てを考えてくれていたとしたら、当たり前のように親を当てにするわけです。
でも、学校に行くようになり、中学生ぐらいになると、様々な個性を意識し、自分と他者を比較考察できるようになっていきます。
その時に、独立した個性を育む力を備えていないと、他者が「一層怖い対象」となり、学校の中で居場所を見つけるのも苦労する事でしょう。

親子の上手な分離に、正しい答えは無いように思いますが、自他を分離することを人生の先輩である自分が先に気付いたら、自分の生育史で育んだ知恵を参考にすれば、それが自分自身のやり方として自信を持てば良いのかもしれません。
親や学校に反発できる子供は、自我に目覚め、無意識に自他を分離する作業過程であり、健やかに生育している証拠でありましょう。
「私は嫌われているかもしれない」という思い込みによる感情の表れも、自己と他者の分離を意識しているからこその感情でありましょう。

答えを与えてくれる他者よりも、自分で探す答えを共に歩いてくれる身近な人に出会えたら、きっと、生涯のよき友になるのではなかろうか、と、思います。
自他分離の扉を開くと、自由意思と自己責任から自立の感覚が見えてくるかもしれません。


/////

2017年公開講座のご案内

ユースフルライフ研究所


9月5日 鎌倉腰越講座
10月3日 鎌倉腰越講座

10月13日から15日 町田ワークショップ

NPOキュール東急セミナーBE講座

9月15日13:30~15:30雪谷校
9月22日10:30~12:30たまプラーザ校

10月8日日曜日 八王子市主催講演会 詳しくは八王子市のホームページをご覧ください。

(NPOキュール会報もしくは東急セミナーBEのホームページをご覧ください)




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相手が変だ

2017年05月13日 | 第3章 無意識の世界


相手が変だ 2017年5月13日

こんな人が、職場にいたらどうでしょう。。。
自分よりも弱いと感ぜられる他者を、面と向かって非難したり、猛烈に怒ったり、搾取的に貶めたり、、、
時を経て、それが重なると、部下や同僚の心身がどんどん病んでいきます。

テキストやDSMをお持ちの方は、その個所を読んでいただけると幸いです。
「生き甲斐の心理学 P6~P23」
「DSM-IV-TR 発行:医学書院 P233」

まるで、何をやっても相手から強く否定されていくと、ますます自分が無能でないかと思え、萎縮していきます。やられる相手は取り付く島もありません。気づくと、自分自身、誰とも会いたくなくなり、何もする気が無くなってしまいます。

相手の人格を勝手に特定することは、絶対にやってはいけないことですが、自分の生命を守るために、知識を得ることは大事な事です。

上記の本を読んでみると、
自分のせいではなく、相手が変であることに気づくこともありそうです。

相手の異常性に気づくと、自己否定でうんざりしていた自分を取り戻すきっかけになるかもしれません。

自分のストレスを他者に聴いてもらうだけではなく、「相手を知る」ことは、もしかしたらほかの何よりも即効性のある特効薬であるかも。。。

「相手が変だ」
と、思える余裕を持つことも学びの一つです。

・・・・
2017年公開講座のご案内

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5月23日 つつじヶ丘講座
6月6日 鎌倉腰越講座

NPOキュール東急セミナーBE講座

4月28日たまプラーザ校
5月19日雪谷校
5月26日たまプラーザ校

(NPOキュール会報もしくは東急セミナーBEのホームページをご覧ください)





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のしかかる

2016年11月26日 | 第3章 無意識の世界
のしかかる2016年11月26日

圧し掛かる。
伸し掛かる。
熨しかかる。

どの漢字で読み取っても、息が出来ないくらいの圧力を感じます。

のしかかる母。
のしかかる父。
のしかかる子。
のしかかる妻。
のしかかる夫。
のしかかる仕事。
のしかかる同僚。
のしかかる上司。
のしかかる立ち場。
のしかかる役割。
のしかかる相手。

自分の役割が当たり前だと思っていても、実は、この「のしかかられる状態」に気付かないうちに巻き込まれている自分がいる場合があるようです。
生まれてから今日まで気付かずにいても、「あれ?何かがおかしい」と、感じ始めたら、もしかしたら自他分離が成されてきた序章かもしれません。

自他分離が成されていると、「あなた」と「私」の区別が付き、自分の責任、自分の役割が現実を受け容れながらできるようになってくるように思います。

のしかかられることの抑圧が、今度は自分が誰かにのしかかることで知らず知らずのうちにバランスを取っているとしたら、重なりの深い抑圧を他者に与えている可能性もあるはずです。

のしかかっている。のしかかられている。「のしかかる」ことについて、つらつらと思索してみると、自分の自立の状態と依存の状態が見えてくるかもしれません。
私は、のしかかられている立ち場だ。。。と、思ったとしたら、逆に誰かにのしかかっているかもしれないことをちらりと心によぎらせてみる事もよき気付きになるやもしれません。

:::::

今後の予定

表装:

中島史子展 
12月10日土曜日~22日木曜日 横浜中華街 ギャラリー1010
私が表装した作品も展示予定です。

::::

勉強会予定:
ユースフルライフ研究所 公開講座
12月6日火曜日 腰越勉強会
12月20日つつじヶ丘勉強会

NPOキュールの勉強会
11月18日金曜日 東急セミナーBE雪谷大塚校
11月25日金曜日 東急セミナーBEたまプラーザ校
12月16日金曜日 東急セミナーBE雪谷大塚校
12月23日金曜日 東急セミナーBEたまプラーザ校


生き甲斐の心理学講座 NPOキュール主催
2017年1月21日日土曜日13時~15時半 
場所:渋谷区神宮前 渋谷のIMA
料金:3千円








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アインシュタイン

2016年08月16日 | 第3章 無意識の世界
アインシュタイン2016年8月16日

標高によって時間の速度が違う事を利用した測定器があるそうな。
相対性理論の研究の一つのようです。

低いところに住んでいる方が時間の速度が遅い事を利用した測定は、地底の変動研究にも繋がっていくそうです。

遠いところを走る電車を見ていると悠久の時間を感じますが、目の前を走っていく電車は電光石火。あっという間に過ぎていきます。

もしかしたら、最近の高層マンションブームは人の歳の取り方にも影響を及ぼすのでしょうか?
目の前の事を集中してやり続ける人生を過ごしている人の方が、若さを保っているような気がする事を相対性理論で証明できるのだろうか、、、と、ぼんやりと考えていたこともあり、面白い実験に興味津々です。

温かい国に住む人は、のんびりとした時間の中での暮らしがあるようにも思い、寒い国の人々ほど一所懸命時間を惜しんで働く事を考えてみると、寒さ、暑さによる食物補給の環境だけが理由ではないのかもしれません。

毎日を電光石火の如く過ごしている人の方がもしかしたら老化が遅いかもしれない?毎日、暇を感じるような暮らしをしていると老化が早いかもしれない?それと時間の経ち方はどう違うんだろう?

朝のニュースのおかげで、頭の中はアインシュタインのお顔でいっぱいです。



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終戦の日に思う

2015年08月15日 | 第3章 無意識の世界
終戦の日に思う2015年8月15日

猛暑が続いたせいか、少しでも涼しい風が吹くと嬉しくなります。
寝る時にクーラーは付けない習慣でしたが、さすがに今年は数回利用し、何とか寝苦しい夜を回避する事はできました。
終戦の日は、じりじりと暑いイメージがあり、70年前の今日の朝はどんな気候だったのだろうと思いながら70年後の今朝、命を繋がれて生きている私はパソコンに向かっています。
朝晩の涼しい風は日中の暑さを忘れさせ、夜の凌ぎ易さは安堵の心地をもたらします。
戦争に翻弄された青春の不安感を今際の際に表わし7月に亡くなった伯父を思うと、その湧き出す感情を目の当たりにした私自身、この夏の新盆は、今までとは違う正された思いの強い日々を過ごしています。

戦争を知らない私達に戦争によって育まれた傾向を見せてくれる人々が段々と少なくなってきました。
戦争の体験を直接聞くことも大事な事ですが、戦争を体験した事によって分化された個人の強い傾向を窺い知ることは、体験談をピンポイントで聞くことよりもリアリティを感じます。
そして、戦争を体験した人々によって育てられた私達は、知らず知らずのうちに何かの考え方を自分のものにしていることも忘れてはならないのです。

つまり、戦場又は戦争を体験した人々の遺伝子は、私達の内に息づいており、それが何かの拍子に「感情」として表れることは当然のことでありましょう。
祖先が見てきた事、体験した事、そして両親が見て体験した事は、何かの形で私の内に生きているのです。

戦後70年の節目に長岡の花火を見る事ができたことも、私自身の節目にも繋がるように思います。

終戦の日が被昇天マリアの日であることを心に留めて今日を過ごします。

戦争とお金に惑わされない日が訪れる事を願い、。

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老いの渦中

2015年08月10日 | 第3章 無意識の世界
老いの渦中2015年8月10日

自分の老いについて他者から指摘されることは、嫌なものです。
何を言われても「そうだねぇ~」と言うことができるようになれば、もう人としての修行にやることはないかもしれません。でも、どんなに年齢を重ねても他者からあれこれ言われることを大らかに受け容れることは、かなりのお手上げ状態でなければ、難しい事なのかもしれないと思います。

先日、年上のシスターから「老いは円熟」というお医者さんが書いたエッセーをプリントした冊子を頂きました。
家に帰り、読んでみると確かに老いと向き合う渦中の人々のために、思いやりとユーモアをこめて書かれてあります。もしかしたら、どこかで講演したものを編集したものであるかもしれません。
先日、実家に行く際、この冊子を持っていこうかと思いましたが、思うように行かなくなればなるほど、他者に対する言葉に敏感になっている両親には読ませられないな、と、思い、持っていくのを止めました。

案の定、実家に行くと、思うようにならないために起こした数々の出来事を娘に言わずに隠していたことも判明し、実の親だからこそ言えていたことをそろそろ引き気味に見守った方が良いのかもしれないと感じながらその日を過ごしました。
つまり、こういうことを子供に思わせることこそ、老いの渦中に入っている証拠なのであり、講和めいた話を聞かせても、返って本人が傷ついてゆくようです。

よくよく世間を見渡してみると、お歳を重ね本を出版し、ベストセラーになっている著者の皆様は一筋縄ではいかない意思の持ち主ばかりです。他者から言われる前に、自分で言っちゃえ!と云わんばかりの強さを感じます。
どう考えても、他者の話を「うんうん」と素直に聞きそうもありません。

「歳とったらこうはなりたくないねぇ」と言えている自分の将来を「こうなった時」に「思考と感情と行動」がせめて現実吟味する力を備えておきたいと願うのですが、はてさて、老いの渦中、自分はどうなることやら…。

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親族団欒曼荼羅

2013年01月03日 | 第3章 無意識の世界
facebookでは、晦日あたりから各々皆様の親族団欒の様子がアップされ、頼もしく拝見拝読させて頂いています。

親族集合やおせち料理、初詣の様子、案外多いのはおみくじネタ。。。自分の幸せを見せたいなぁ~読んでほしいなぁ~と思う「人の思い」は、普遍的なものだと、微笑ましく思います。

宇宙から地球を眺めたら、世界中の笑顔が輪唱するように光っているんじゃないかと思うくらい、頼もしく感じています。

天の神様、仏様は、「おーーー、よしよし」と、呟いていらっしゃることでしょう。

おばあちゃん、おじいちゃんを囲み、孫やひ孫までが集う様子は、とてもとても幸せな団欒です。

我が家の親族団欒曼荼羅図も、例外にもれず、犬のミーナさんも含めて喜怒哀楽交えた金剛界曼荼羅及び胎蔵界曼荼羅のような図でございました。色々な宴が当分続くわけですが、天から見ると光の色に違いがあるかもしれません。

笑ったり、憂いだり、、、人の喜怒哀楽は、森羅万象に含まれます。

それぞれの曼荼羅図を描きながら、今年も宇宙の地球を舞台に自分を活かしていきたいものです。

本日は、謡い初めです。食べ過ぎのお腹を引き締めてご挨拶に伺わせていただきます^^。


告知:
2013年1月13日から2月9日まで、銀座プロムナードギャラリー(銀座三越下~東銀座までの地下通路・歌舞伎座の手前)において、「江戸表具を愛する会」に参加します。新歌舞伎座の見物の際は、ぜひ地下通路をご利用くださいませ。



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自分という主役

2012年11月05日 | 第3章 無意識の世界
週末は、友達の結婚式、そして、大学生活最後?の我が子のサークル「スペイン語研究会」のフラメンコショーをそれぞれ心ゆくまで喜び楽しみました。

学生時代含めて、自分の中の違和感ゆえに、自分が自分でありきれなかった私は、傍から見ると好きなことを思いのままにしているかのように見えていたかもしれませんが、決して思いのままに自分の身体と心を使ってはいませんでした。

自分の心と身体を使ってはいない。つまり、自分である自分を自分として没入することができていなかったのです。

いつも、自分は対岸を見ていて、大きな川の流れの向こうで芒と眺めているような、そんな感じでした。

自分の身体と自分の心と自分の魂をほんとうに責任持てるようになったかというと、案外、未だにそうでもないかもしれませんが、少なくとも、主役である自分自身を悔いなく使おうという意思については、対岸を眺めている時よりは、確かに自分の中にその意識があるという感触を持っています。

自分という箱に納められている自分は、自分という主役であり、主役は自分でしかあり得ないのです。
だからこそ、現実から逃げたくなったり、見たくなかったりするのでしょうが、自分という箱を活かしていくことは自分であるということに納得できた時期が遅かった私は、なんともったいなことをしていたのだろう・・・、という気持に苛まれながらも、案外それが私らしい成長の仕方で、決して嫌な道程ではなかったかな、と受容したり反省したりという感情が巡る二日間を過ごしたわけです。

主役である自分が一所懸命になることは、他者の幸福にも繋がっていくようにも思います。

週末は、他者である自分が、それぞれの主役の皆様との交流の中で、心底幸福感を頂きました。

清々しい週明けです。

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振り回されている

2010年02月05日 | 第3章 無意識の世界
私に限って、そんなことはない。振り回されているわけがない、、、という思い込みが、自分の軸をぶらせていきます。

先日、私もそのような体験をしました。
「私に限って、人に振り回されるわけがない」
こんな思い込みの強い人ほど、「今日は俳優になりたい、明日は警察官になりたい」という人に振り回されたり、オレオレ詐欺にだまされたり、するのだ、と自分でも反省しました。
それでも、心理学の学びをしていたおかげで、私がヘンなのではなく、相手がヘンなのだ、という自信を持った結論に達しました。身内の集まりほど、現実吟味力が低下していくのです。。。私の場合、そこが落とし穴でした。

悩みの深い人が、「ピアノを習いたい!」と言えば、家族は喜んで、ピアノの先生を探します。でも、数日経つと、その夢も覚め、今度は、「俳優になる!」と閃き、また家族は、俳優になるための学校を探したりします。それも、数日経つと、違う夢にすり替わっています。

確かに悩みの深い人のアイデンティティを考えることは、とても大切なことです。

でも、その前に、関わる人のアイデンティティをじっくり自己確認してから関わったほうがよさそうです。家族といえども、同じ体と心を共有しているわけではありません。

二人の関係の中で、関わる人の「統合性」はとても大事なポイントだと思います。

関わる人が、一緒に揺らめいていたら、悩み深い人は、一層揺らめいていきます。

一緒に悩みの淵に落ちる前に、気付いた人から勉強し、カウンセリングの理論の知識を身につけたほうがたほうがよさそうです。

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ほめること信頼すること

2010年01月27日 | 第3章 無意識の世界
相手ときちんと向き合い、正面向いて話を聞いていく姿勢と、相手を信頼している状態が、相手にきちんと伝わっているかどうか?

悩みの深い人に眉間に皺を寄せて、深刻な表情をして対応しても、緊張感は緩みません。

「話を聞く」立場である時は、いつも、そんな自分自身の姿を幽体離脱しているように自らを観察する必要があります。それだけ気を遣います。でも、「相手を信頼する」気持ちがあれば、聞く立場の人は自然と表情が柔らかくなり、おのずから自然体になっていきます。

世の中、ほめられたい人が多いらしい。。。

では、「ほめられたい」人は誰かを「ほめている」かな?

「する」「される」は、あなたと私という関係性の中で成り立つものです。

ほめる人が増えれば、ほめられる人も同じように増えていきます。

一方通行では、相互関係は生まれません。

ほめることは、相手を信頼することと同じです。

「非難したりネガティブな考え」は、「ほめたりポジティヴな考え」よりも安易に湧いてくるようです。
人の本質は、不安感だといわれています。

信頼しほめることを意識する訓練を積んでいきたいものです。

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無関心

2009年12月02日 | 第3章 無意識の世界
無関心さは、どこから芽生えてくるのかな。。。

昨日の新聞記事に、子供の暴力が増えていることが書かれてありました。
記事に反応はしても、「自分と子供の関係は、どうなんだろう?」と改めて自問自答した人はどのくらいいるんだろう?

社会的な事象に関心があっても、いざ、自分の子供のこととなると「遠い太鼓」のように響いてくる方は多いと思います。それはある意味で「無関心」と同じことだと私は思います。

社会問題は、まずは「私」と「あなた」の関係という基本から始めていきたいものです。

ガンジスの砂粒のように、「あなたと私」の関係から繋がりは広がっていくのですから。

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