Mr.コンティのRising JAPAN

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東アジア選手権 台風の目中国隊 初戦日本とドロー

2010-02-20 | Football Asia
ようやく掴んだこの機会。日本代表がアジアの列強と真剣勝負を繰り広げる公式大会を観戦出来る機会にようやくありつけた。 
1980年代前半までアジアサッカー界の勢力図は中東、西アジア勢が優勢であった。東アジア勢は韓国でさえアジアの壁を破りワールドカップに出場したのが1986年のメキシコ大会。(その前に1954年のスイス大会に出場した実績があるが。) しかしその時はアジア地区のワールドカップ予選が東西地区に分けられそれぞれの地区から1カ国ずつ出場枠をあてがわれた。 五輪予選ではアジアを地域別に分けずにオープンにしたロス五輪予選では最終予選が東南アジアのシンガポールで開催されたにも関わらずサウジアラビア、イラク、クウェートの中東諸国に独占されてしまった。 サウジアラビア( 1994, 1998, 2002, 2006 ) イラク ( 1986 ) クウェート ( 1982 ) UAE ( 1990 ) そしてイラン ( 1978, 1998, 2006 ) がワールドカップ出場実績があると言う事はこのペルシャ湾、中東地域にはそれだけアジアの強豪がひしめいているという事。 そこにバーレーン、カタール、オマーンが加わり、更には北アフリカのエジプト、アルジェリア、チュニジア、モロッコと云ったワールドカップ出場経験国も含めたアラブ諸国の大会が代表レベルそしてクラブレベルでも存在している。
1990年に東アジア地区の強化を目的として始まったダイナスティカップがその後東アジア連盟の設立と共に現在の東アジア選手権の前身であった事を知る人も多いだろう。 だからこの大会は非常に重要だと思うのだけど…..
近年は東アジア地域の2大勢力である日本と韓国が欧州でプレーする選手が増えて来た事から東アジア選手権にベストメンバーを派遣出来なくなって来た。 こうして考えると今年のワールドカップは東アジア勢とオーストラリアが出場権を勝ち取ったが今に立場が再逆転してしまうかもしれない。 その上オーストラリアが入って来ているのに…

今年最初の公式戦となる東アジア選手権大会。心配なのはJリーグ開幕前の選手達のコンディション。しかしFIFA ランク40位の日本は87位の中国にはメンバーがどうであれホームゲームであるから勝利を収めて当たり前の相手であるはずだった。開幕戦の中国は今大会登録メンバー23人全員が30歳未満。 
北京五輪メンバーは2人だけ。ワールドカップ予選経験者がわずかに5人。 ワールドカップ予選以降に刷新されたメンバーが中心となっている。
注目は2002年ワールドカップメンバーの曲波の復帰。2001年FIFA U-20 メンバーだった曲波は中国サッカー界を背負い選手だと思われていたが何故か外国人監督達とそりがあわず招集されない期間が長かった。
それでなくても中国サッカー界はここ数年八百長問題でゆれており、代表候補選手そして協会幹部達が多く係わっていたらしい。そしてその大元締となっていたのが中国蹴球協会の前の会長だったらしい。
八百長に関わった選手達は金を受け取るだけれなく自分のチームの試合にも賭けていた。
中国の友人に “代表クラスだったら結構給料いいんとちゃうの?それに幹部達も。” と尋ねたら “中国人は金を貰えばもらうほどもっと欲しくなるんです。” との答え。
でもそれは日本人でもおなじだけどなぁ…となんだか納得してしまった。

しかしセルビア人のペトロヴィッチ氏監督解任を受けて43歳の高洪波氏が代表監督に就任し久々の“中国人監督”に選手達のモチベーションは上がり雰囲気は好転しているらしい。高洪波氏は2004年の Asian Cup 前にオランダ人アリー・ハーン(当時)代表監督と意見対立し代表コーチ職を辞任した。現役時代はFW選手として活躍1992年のダイナスティカップ、 Asian Cup の日本戦でもプレーした。 
その中国代表のスタメンは GK は北京国安の楊智。DF は右サイドが FW登録の張琳芃 左サイドに永栄昊、CBはかつて Celtic で中村とプレーをした(1試合のみ)杜威と趙鵬。 ボランチには大連実徳の趙旭日と北京国安の楊昊MFは右から北京五輪メンバーの姜寧、真ん中が卓翔そして左にワールドカップメンバーの孫祥。オーストラリア戦ではゴールを決めた。 ワントップは北京五輪メンバーでワールドカップ予選にも出場した郜林 2005年FIFA U-20 にも出場した。 やはり今年1月に行われた Asian Cup 予選メンバーが中心。

迎え撃つホームの日本代表だが国内組ベストメンバー。
怪我と体調不良が心配された玉田、内田はスタメンに。 復帰した小笠原はベンチ
スタート。もう少し“新しい戦力”を起用するかと思ったけど。少なくともGKは川島だと思った。だがそれが結果的に良かった事は後で解る事に。
 


 FC東京のホームなので長友が紹介された時は大歓声があがった。そして更なる歓声が上がったのは控え選手の平山相太がスクリーンに映し出された時だった。
この試合いつ投入されるのかも試合の見所だった。 


 
試合は開始から地力に勝る日本が主導権を握る。開始1分56秒には内田のスルーパスを受けた大久保が杜威と競りながらシュートを放つがこれはGK楊智の正面に。8分には壁パスから抜け出した玉田が左サイドからクロスを上げるがここは中国 DF がクリアー。12分には内田が突破しクロスを入れると岡崎が落として大久保がシュートに持ち込むがゴール枠を捕えられなかった。13分には内田が左サイドを突破しアーリークロスを入れると中央で岡崎と趙鵬が競りこぼれたころを大久保がダイレクトでシュートを放つがここはクロスバーを越えた。立ち上がりから右サイドを内田、岡崎の突破が顕著で相対する孫祥そして栄昊が後手に回るシーンが目立った。序盤から闘莉王も積極的に上がっていた。そして闘莉王が上がると遠藤がきっちり最後尾をケアーしていた。
ただ中国の CB 趙鵬 184cm 杜威 189 cm と長身。クロスを入れてもすぐに跳ね返される。サイドバックでさえ左の栄昊 183cm 右サイド張琳芃 182cm と高い壁になっている。 日本もFWに一人長身がいればなぁ…平山をスタメンからテストしてほしかったなぁ…と思うのは私だけではなく周囲の人も同じだった。それでも19分にはスローインから憲剛、岡崎と渡りそのままダイレクトでクロスが入ると走り込んだ玉田がシュートを撃つがゴールを外れる。 その直後にも長友が左サイドを抉りグラウンダーのクロスを入れ、岡崎が狙うがクロスバーを越えた。28分、今度は玉田が左サイドをドリブルで上がりいれたクロスに長友がシュートを放つがポストの右に外れていった。ゴールには至らないがシュートにまで持ち込めるようになって来た。

しかし30分を過ぎたあたりから今度は中国が日本ゴール前に迫るシーンが見られる様になった。32分郜林に縦パスが入り中澤を背負いながらも振り向きざまにシュートを撃とうとするがここは中澤が撃たせない。33分には卓翔のクロスを中澤がヘッドでクリアーしたこぼれ球を拾った栄昊が強烈なミドルを放つがポストの左に外れてくれた。35分には右から左にサイドチェンジのボールが渡り前線の郜林へそして左サイドから走り込んで来た栄昊に戻しクロスを入れられるがここは楢崎がキャッチ。栄昊のオーバーラップがにわかに顕著になって来た。しかし顕著になったのは栄昊だけではなく中国の選手の動きが全体的に積極的に前に出てくるようになった。これは前の日に中国の地元紙に高洪波監督が話していた“最初の30分は様子を見させる。”と言ったコメント通り。 
中国と言えばブラジルの様な完全に格上相手以外であれば開始早々からフルスロットルで総攻撃をかけてくるという印象がある。1987年広州でのソウル五輪予選、1992年北京のダイナスティカップ。20002年ワールドカップ初戦のコスタリカ戦。そして2007年 Asian Cup のイラン戦。 だが大概はシュートミスの連発で得点に至らず、カウンターやつまらぬミスから先制ゴールを喫しそのまま自滅する試合内容。
Asian Cup のイラン戦の様に立ち上がり33分で2得点しても更に我も我もと攻撃に酔いしれ連続失点でようやく引き分けたという実績が私の頭の中に残っているのでこの日の静かな立ち上がりは意外でもあった。だが終盤の攻撃を日本は凌いで逆にまた攻勢に出る時間が続きそのままスコアレスで前半を終わった。後半に入ると中国は孫祥を下げて曲波投入し2列目右に入れて卓翔を左に回した。
曲波と言えば2001年FIFA U-20 アルゼンチン大会ではアメリカ戦と決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でゴールを決め2002年ワールドカップには当時の Bora Milutinovic 監督に見出され予選から起用され本大会でも途中交代出場ながら3試合出場した。将来はどんな選手になるだろう?と思ったがTotteenham の入団が決まりかけたが労働ビザ問題で御破算になり、以降将来を嘱望されながら実績はいまいち。怪我などもあり2004、2007年の Asian Cup にはメンバー入りできず2006年ワールドカップ予選には1試合も招集されなかった。2008年に入りワールドカップ3次予選では5試合に出場するなどまた代表でのポジションを確保しつつある。今年の Asian Cup 予選にも出場している。

だが後半開始からは再び日本が中国陣内に攻め込む時間が続く。
開始早々には憲剛からスルーを受けた長友が送ったクロスをファーサイドの大久保がフリーでヘッドを撃つがGK正面。48分には右サイドから大久保が入れたクロスに岡崎、玉田が絡むがシュートに持ち込めない。49分に得たFKを遠藤が入れる。闘莉王が飛び込むがここもDFにクリアーされた。54分には稲本からのロングフィードを受けた内田がそのまま抜け出してドリブルシュートを放つがポストを叩く。 
あぁ惜しい、と私も点を仰ぐが逆にその直後、曲波が入れたグラウンダーのセンタリングを中澤がうまくクリアーできずあわやオウンゴールとなるところを闘莉王が必死で掻きだしてくれた。後半に入って中国は縦へのミドルパスが増えてきた。
そして62分大歓声に包まれ“地元”東京FC所属の平山相太が玉田に替って投入され1トップに入り、2列目が左から大久保、憲剛、岡崎が並ぶ。 内田、長友のサイドバックも良いので彼に良いクロスが入れば、と願う。平山対策か?その2分後中国ベンチはボランチの趙旭日を下げて冯潇霆を入れた。この二人の身長差は 2cm しかないんだけど (趙 184cm冯 186cm )  折角平山が投入されたのだが今度はなかなかボールが入らない。平山もチームの方針だから仕方がないのだけど右に左に移る。 真中でがんと張っていれば相手はそこにマークに行かねばならないのでその分他の選手にスペースが出来ると思うんだけど…. 69分辺りからようやくクロスが上がる様になるが平山にうまく当たらない。こういう戦術を代表が取らなくなって何年経つんだろう….
中国は70分過ぎから郜林が左サイド寄りに位置し姜宇、曲波が前線に顔を見せる様になって来た。 そして深い位置からでもロングボールばかりではなく中盤を経由して前線に繋ごうとする様になった。
80分この試合最大の見せ場が訪れる。左から姜宇がゴール前に上がって来た曲波めがけてボールを出す曲波がトラップを浮かしてしまい弾んだボールが右からマークに入った長友の上腕に当たりそれがハンドと取られPKを与えてしまった。ただトラップが決まればそのままフリーでシュートが決まっていた可能性も高かった。オーストラリア人のデロフスキー主審がアドヴァンテージを見ておりすぐにPKを宣告しなかったので少し誤解を招いたようだった。
残り時間とこれまでの日本の攻撃を思い出し、ここで決められればかなり痛いなぁ….と思っていながら楊昊がボールをセットするのを眺めているとGK楢崎がドンピシャのタイミングで右に飛んでそのPKを阻止した。絶体絶命のピンチをよく救ってくれた。このシーンがこの日1番観客が湧いたシーンだった。



83分中国ベンチは郜林を下げて楊旭を入れて 前線を楊旭と卓翔の2トップにする。内田からのアーリークロスを左に平山が流れてヘッドで落とすと趙鵬にあたりすこし方向が変わったが落ち際を大久保がバレーを放つが冯潇霆の膝に当たってゴールラインを割ってしまったが本当に惜しいシーンだった。そしてこれが唯一平山の高さが生かされたシーンだった。
日本ベンチは84分に憲剛と玉田を下げて金崎と佐藤を入れ、佐藤と平山の2トップにし2列目左に金崎、右に大久保を置いた。 そして時折闘莉王も上がってくる。しかし両社得点は生まれずスコアレスドローの男子開幕戦となった。 終了のホイッスルと同時に寒さが限界に達しそうだったのですぐに飛田給駅に向かった。それにしてもここはなんて観戦しにくい競技場なのだろう?東京FCのサポーターには悪いが入場料金の半額は返して貰いたくなった。 そしていつまでも日本サポーターのブーイングと中国サポーターの歓声が鳴り響いていいた。

ほんまに寒い夜やった......



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