Mr.コンティのRising JAPAN

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マーライオンの国から ロス五輪予選

2006-01-29 | Football Asia
1980年モスクワ五輪出場権を逃した日本代表は思い切って若返りを図る。その指揮を振るったのは若き日の川淵キャプテンであった。当時強化部長であった川淵氏は、新監督就任後間もなくクモ膜下で倒れた渡辺正氏の後任を自ら引き受ける運びとなってしまった。川淵氏は同年末に香港で行われたスペインワールドカップのアジア地区1次予選には1月程度前にドイツでのコーチ留学を終えたばかりの森孝慈を監督に据えるつもりであったが、時間も無いことから結局川淵監督、森コーチの体制で臨むことになった。その新生代表は平均年齢21.5歳と言う若さであった。それは4年後のロス五輪予選出場を目指しての事であった。このワールドカップ予選惜しくも中国、北朝鮮の後塵を拝し2次予選には進めなかったが、その4年の間にはインドのアジア大会で強豪のイラン、韓国を連破するまでにも力をつけるようになっていた。そしてこのロス五輪予選は珍しく多くのマスコミが取り上げ、かなり期待が持てる様な雰囲気があった。スポーツ雑誌 Number も代表GKの田口光久のインタビュー記事を掲載した。この雑誌は創刊時から愛読しているが、現役日本代表のインタビュー記事が掲載されたのは初めてと記憶する。だが、今から考えればどこに期待できる根拠があったのだろう?強いて言えば同年1月に当時ブラジル代表の中心選手であったドクトール・ソクラテスを擁したコリンチャンズに2勝1敗と勝ち越した事が根拠だったか?4年前のモスクワ五輪予選の事やその年の暮れのスペインワールドカップ予選の存在自身を知らなかったマスコミが大半だったのでは彼らがそんな雰囲気が勝手に作る事も仕方なかった。そしてその開幕戦。昭和59年4月15日。当時愛するジャイアンツは球団創設50周年目で、世界の王貞治を新監督に迎えたものの開幕10戦を終えても苦戦続きで1勝しか上げられずにいた。その溜飲をこの予選大会で下げて欲しかった。試合はNHKで衛星録画中継された。期待感を持ってテレビの前に座った私が失望感に覆われるのに時間はかからなかった。開始16分タイの選手が勢いに乗ったスピードで日本のDFをあっさり振り切ってドリブルシュートを決め先制点を奪われてしまった。その青いユニフォームのタイの選手こそ ピアポン=プォン 。彼に振り切られたの白い日本代表のユニフォームを纏ったのは菅又であった。そしてゴールを守っていたのは雑誌 Number にインタビューを受けた田口であった。そのインタビュー記事の中に“タイにはユース上がりで良いFWがいると聞いた”と語っていたのが当時21歳のピヤポンであったが、名前まで出てこなかった。いや田口だけでない、専門誌でさえピヤポンの名前は事前に報道されなかった。ピヤポンの先制ゴールの瞬間、あぁ田口が言っていたのはこの選手かと思い出した。だがこれでこの暑さは相当堪えたと思う。この暑さは相当堪えたと思う。終わらなかった。25分にはピヤポンのボールキープからチャロールが追加点を挙げた。ショックだった。信じられなかった。自分自身楽観はしていなかったがタイには負けないだろうと思っていた。また代表も初戦のタイに勝って弾みをつけようと考えていた。 だが時間はまだあった。日本も前半も30分過ぎからはボールが繋がり支配率も上がってきた。2点差ならまだ同点、逆転も可能だ。だが後半立ち上がり3分そして5分と連続ゴールを決めたのはタイであった。4点目はまたもピヤポンで中央からあっさりと突破されての失点だった。ピヤポンは72分にもPKを決めハットトリックを成し遂げた。そして得点の度にスーパーマンの格好をしたタイ人サポーターが狂喜するのが映し出された。彼の姿は1987年バンコックでのソウル五輪予選の試合でも見られた。後で知ったがタイのビール会社、シンハビールの社員で、東南アジアのサッカーファンでは有名なサポーターだったらしい。彼の音頭で、そしてピヤポン率いるタイのパフォーマンスは地元観客を魅了し、タイへの声援が増えて行った。日本首脳陣はこのサポーターはともかく、ピヤポンの事も全く知らなかった。この後の日本は柱谷、木村(PK)が得点を挙げたが勝敗には影響なく初戦を 2-5で失った。この試合を解説していた当時日産自動車監督の加茂周氏も“こんなはずでは”といいた感じの口調だった。 NHK の中継アナも“まだ3試合残っています。タイがこの後勝ち続けるとも限りませんし。”と言っていたが、私は“タイは勝ち続けるかわからないが、これまで負けたことの無いタイに勝てない様では残りの3試合も…”と悲観論しか思いつかなかった。そして実際にその通りになってしまった。そしてこの4年間の強化は何だったのだろう?と思い、その夜は本当に眠れなかった。


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