Mr.コンティのRising JAPAN

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スペイン戴冠 オランダでは......

2010-07-26 | 夏季五輪

Dutch media blame ‘ chump ‘ referee Howard Webb for defeat

AD Sportwereld – Oranje lay blame on referee
オランダ代表はワールドカップ決勝戦で非業の死を遂げた – 主審に騙されたおかげで 。心をとりこにする戦いであった。緊張感のある試合であったがペリシア人達は物議をかもした England からの主審 Howard Webb に助けられた。
彼は手にカードを持ちながらピッチを駆け回りその度にいらいらしながら犯罪人の名前を書くことを望んでいた。両チームとも最高級の主審を望む権利があったが Webb はそうでは無かった。 スペインの決勝ゴールは理解できる。スペイン選手達は熱狂的に祝っていた。しかしそれは Webb の大失策によるものだ。その直前のプレーで彼は明らかにオランダに CK を与える事を見逃した。

De Telegraaf – “ Third trauma for Orange “
ワールドカップ南アフリカ大会はオランダのフットボール史上3度目のトラウマとなるだろう。ついに世界王者となった日にはオランダは何を得られるであろう。 

Algemeen Dagblad – Plunged into deep mourning “
スペインの Anders Iniesta の延長後半の決勝ゴールはオランダ代表とオランダ国民を深い嘆きに突っ込んだ。Soccer City で行われた血の沸き立つような決勝戦でオランダはあと一歩でタイトルを逃した。
スペインは素晴らし過ぎた。例え延長後半になって決勝ゴールを挙げられたが。
失望した後は誇りを持てるだろう。例え決勝戦の敗戦は無作法な終わり方であったかもしれないが、この週末国民を楽しさの支配下においたオランダ代表チームは誇りを持って帰国できるであろう。

“Oranje cry “ という大きな見出しで Wesley Sneijder が両腕で顔を覆いピッチに伏せ倒れている写真が掲載されていた。

NOS – The Dream is over
The Dream is over, オランダは世界王者にはなれなかった。
悔し泣きにくれる Sneijder の写真と共にこういう見出しが付けられていた。

Volkskrant – The Spanish were better
“まだ届かなかった。 スペイン選手達の方が優れていた。 “
とこの紙面では認めていながらも
”オレンジ色のユニフォームを着た今大会のオランダ代表選手達は屈する事を知らない戦闘マシンであった。“

NRC Next – And Now the hangover “
そして今、余波が。オランダ football の新しい世代達がここ南アフリカにおける4週間の活躍で世界に名前を知らしめた。しかし決勝戦での少々の敗北は長きに亘り共鳴されるだろう。“

Dutch point finger of blame at referee Webb

試合終了後、オランダの Robben と Nigel de Junge は Webb 主審のところに詰め寄った。試合終了7分前にスペインゴールに迫った Robben は Puyol に後方から肩を掴まれ充分な態勢でシュートが撃てなかった。
“選手として常に前に進もうとするが試合終了4分前の失点は厳しかった。 我々を大変な窮地に落としいれた。 我々は試合で何かを得ようとした。しかし控室は失望の場所であった。我々は控室に座りただ審判のいくつかのレフェリングに就いて話し合った。いくつかの点に就いて激しく話し合った。しかし今となっては何も話す事は無い。”
Robben は試合後以上の様に語った。 Puyol は既にイエローカードを受けていた。ここでイエローカードを出されていれば彼は退場となっていた。しかし De Joung がXavi Alonso の胸にスパイクを突き刺してもイエローしか出されなかった。
スペインが決勝ゴールを挙げる直前のプレーで Sneijder のシュートが相手DFに当たってゴールラインを割ったのでCKが与えられるべきだった。 しかし主審はGKを与え、そこから直接 Iniesta の決勝ゴールに繋がった。

“いくつかのおかしな判定があったがそれが football だ。我々は前進をし戦い続けねばならないしかしそれは難しい事だ。Webb 主審はいくつかおかしなジャッジを下した。特に終了間際のスペインのプレーで。あれはスペイン選手に当たって外に出たので我々のCKであるはずだった。しかし我々はCKを得られなかった。 
主審を非難する事はいつも容易なことだ。しかし我々はゲームを支配出来なかった。 いつものやり方で試合に臨まなかった事は重要な事だったしかしそれはただ我々がやったやり方だった。 長いシーズンだった。そして多くの事を我々は学んだ。 ”  De Jong はこう語り下記のコメントも付け加えた。
“今や主審のプレッシャーは大変なものだ。 彼らは FIFA に何をするかを言われている。 これは決勝戦だ。誰もがどんな事があっても勝ちたい試合だ。それは両チームとも同じだ。 こちらもファールをしたし相手もファールを何度かした。これは人生に一度あるかの出来事だ。 Football は football だ。恐らく私は小さな古い自動だ。しかし将来この試合を振り返れば、決して警告を受けなかった酷いファールもあった事を思い出すだろう。”
   


Beauty was rewarded in the end – Vicente del Brosque
スペインは Howard Webb 主審がオランダの Johnny Heitinga への二つの警告を含む14枚のイエローカードを出した手に負えない試合から途中出場の Cesc Fabregas のクレバーなパスから Andres Iniesta が決めたゴールで打ち勝った。 
もしよだれが出てきそうな期待を持った試合なのに何にもなかったとの失望があったなら、 Del Bosque は自分達のチームの成功にその慰めを見つけた。

“私は football における美しい事に就いて話しに来たのである。均衡した非常に激しい試合だった。ラフであったと同時にそれが football でもあった。 彼らは我々を思い通りにさせなかった。 両方のチームがプレッシャーをかけ続けたが football は前に進むスポーツだ。 この日の報酬は beautiful football だった。
私は控室から自宅に試合終了後電話を掛けようとしたが、誰もが忘我状態であったので話すのが難しかった。大変やかましかった。しかしスペインは一国としてこの栄誉を得るに値する。これはもうスポーツの域を越えている。 誰もが我々を国から指示してくれたそして我々は彼らに喜んで勝利を報告する事が出来る。“
我々は質が高く、才能に恵まれた素晴らしい選手達がいる。そしてそれらがこの報酬に値している。 彼らはピッチに立ったら全てを見せた。これは2年前に ( Luis Aragones の指揮下の元 ) 成し遂げた事を継続した事だ。 全ての選手達はこの日もたらされた栄誉と報償を受ける権利がある。” 

  


Iniesta の試合後のインタビューは Puyol, Pique そして Fabregas らの勝利の雄たけびによって阻まれてしまった。この Barcelona のMFは得点後昨シーズン開幕前に心臓まひで突然亡くなった Espanyol の主将 Dani Jarque へのメッセージを示す為にジャージーを脱いだために警告を受けてしまった。
“私は彼に敬意を捧げたかった。これが一番良い機会だとおもったのでそうした。 私は本当に信じられない。我々は打ち負かされなかった。 私は少ないながらこの大変タフでラフな試合に貢献が出来た。ピッチ上では全ての事が起こり得る。しかしスペインはワールドカップの勝利に値するチームだった。我々が大変誇りに思うべき事で信じられない事でもある。”  Iniesta はこう語った。

スペインは2007年2月に Old Trafford でEngland に敗れて以来まだアメリカ戦とスイス戦の2回しか敗れていない。 それら2試合とも南アフリカで行われた。そして世界王者の称号を2年前ウィーンで勝ち取った欧州王者のタイトルに加える事が出来た。

Casillas true hero as Iniesta steals headlines
Anders Inisestaはドラマティックな延長後半の決勝ゴールで新聞の一面を独り占めにするだろうが真のmatch-winner は GK の Iker Casillas である。
Football のGKは危なくて同時に孤独な存在だ。シュートを止める役割は英雄よりも悪名となり得る事が多い。 しかし国際GK クラブはスペイン主将の Casillas によって重要な訴訟参加をするであろう。
50分には Robben のシュートを何なく防ぎ 62分には Wesley Sneidjer が Robben から1インチの狂いも無いパスを受けてDF陣を切り裂きシュートの持ち込まれたがCK に逃れ、 試合終了7分前には Carles Puyol のマークを外れた Robben が中央からゴールに迫ろうとしたが Puyol に後ろから引き倒された。もしこれらのチャンスのいずれかを Robben が決めていれば彼がこの試合の英雄だった。
ワールドカップ優勝の立役者の一人となった事で Casillas はイタリアの Gianluigi Bufon よりも上のランクに置かれるであろう。 



1999/2000 シーズン, Real Madrid の正GK はドイツ代表の Bodo Illgner であったしかしシーズン終了までに当時10代のスペイン人選手がゴールを守る機会が与えられた。 Casillas が最初に世界に名前が知られるようになったのはこのシーズンの UEFA Champions League の Old Trafford でのManchester United とのゲーム。 この試合を 3-2 で勝利を収めた Real Madrid が欧州王者に就く事に。 Valencia との決勝戦も出場を果たし当時19歳だった Casillas は Champions Leageu 決勝戦の最年少出場者となった。そしてそのシーズン出場機会は無かったが EURO2000 のスペイン代表メンバーとなった 。
2シーズン後調子を落とした彼はベンチを温める日もあったが再び UEFA Champions League 優勝の立役者となった。 Cesar Sanchez が負傷の為 Bayer Leverkusen との決勝戦は Casillas がゴールを守る事となりファインセーブを連発し 2-1 でチームを勝利に導いた。 

今大会、初戦のスイス戦を 0-1 で落とすとマスメディアはゴール裏に陣取った Casillas の Girl Friend であり TV プレゼンター である Sara Carbonera のせいで集中が削がれたと批判された。しかしそれでも Casillas は今大会ミスは見られずワールドカップのタイトルを欧州王者と 3度の UEFA Champions League そして4度の La Liga のタイトルに付け加える事が出来た。

 

オランダのマスコミは主審の判定に不満を隠さない。たしかにテレビで視ていて決勝ゴールを決められる直前の Sneijder のシュートの後のシーン。私もCKかと思った。しかしGKとされそこから繋がれて決勝ゴールが決まったのだが、もしCKが与えられていれば結果は違ったかもしれない。ただ Iniesta のゴールが決まった時は “これでPK戦で勝者が決められなくよかった。”と思った。
今大会の決勝戦の試合内容から見るとスペインの方が王者に値していたと思う人は多いだろう。

1978年アルゼンチン大会、終了7分前の Naninga のゴールで同点に追いついたのはオランダだった。そして延長戦に入り、120分で勝負がつかない時は再試合になるとテレビで言っていた。しかし勝負はアルゼンチンがケンペス、ベルトーニの連続ゴールで決めてしまった。
大会前地元アルゼンチンは優勝のチャンス有りと予想されたがクライフが抜けたオランダが決勝までいけると予想する人は少なかったのを覚えている。

この試合、主審の判定がかなり地元のアルゼンチンよりと欧州のマスメディアからは言われたらしい。

Rene van de Kerkhof の包帯が長すぎると Passarella 主将が抗議したがそれはGonella主審が Pasarella に促した為だった。 Gonella 主審はこの試合球をそのまま自宅に持って帰ってしまった。 FIFA が出場選手のサインボールと交換に還す様に“頼んだ”けどその後どうなったのだろう….



今大会のスペイン優勝に最も安堵を感じているのは del Brosque 監督だろう。前任の Aragones 監督が欧州王者という大きな“置
き土産”を置いて行った後任はさぞプレッシャーがかかった事だろう。後任はどうなるのだろう?次に監督をする人も大変だろうなぁ…… 欧州では既に Exhibition Match が始まっている。選手達の休息は本当に束の間なんだろうなぁ…..



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