Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

日本とデンマークの友好の懸け橋に…..

2010-06-28 | 夏季五輪

今年2月頃、デンマーク大使館に勤めておられる I さんから連絡を頂いた。ワールドカップでは日本とデンマークが同じ組になるので試合の日には大使館でイベントを催す予定なので是非参加して下さい、とのお誘いだった。
I さんとは仕事上の関係でもう10年近く前に知り合った方、何とか北欧市場の開拓にと当時一度資料を貰おうと話を聞いて貰ったのが付き合いのきっかけだ。
残念ながら弊社の機械、製品はドイツやフランス、英国と比較してまだそれほどデンマークには売れていない。それは市場のサイズもあるが私の怠惰もある。
それでも I さんに頂いた情報や資料を元にデンマーク市場を開拓する機会に恵まれたのは事実だ。だからもっと成果を出さないとなぁ……

日本とデンマークがワールドカップで対戦する事も70年代から Football Junky を続けて来た私は隔世の思いだ。 デンマークとて1977年にバロンドールを受賞するアラン=シモンセンと云う欧州でも屈指の選手がいたが代表となると他の欧州列強には歯が立たなかった。しかし欧州選手権フランス大会予選では England をシモンセンのPK で破り遂に大舞台への出場を決めた。 
しかしその初戦。シモンセンはフランスDFルルーと激突し足を骨折。シモンセンの欧州選手権は20分もしないうちに幕を閉じた。しかしチームは準決勝まで進出。スペインにPK戦で敗れたが欧州列強の仲間入りとなり2年後のワールドカップメキシコ大会にも出場を決めた。ラウドルップ、エルケーア=ラルセンそしてオルセン(現代表監督)らが台頭してきた活躍した。だがシモンセンの出場は西ドイツ戦の19分程度であった。
以降ワールドカップでは欧州地区予選で敗退する事もあったがユーゴスラヴィアの代理で出場した EURO92 では準決勝でオランダをPK戦の末退け勝戦はドイツを2-0 で破り優勝するなど欧州でも中堅以上の位置づけとなっている。しかし80年代半ばまではワールドカップは遠い存在だった。

いよいよ試合の日がやって来た。 大会が始まる少し前からクフランツ=ミカエル・スキョル・メルビンデンマーク大使のブログに目を通してきた。けっこうサッカーが好き、と云うよりも詳しい方だ。I さんによると自らよくボールを蹴っているとの事。 指導者としてのライセンスも持っているとか… これは本格的だ。

そして日に日に当日が楽しみになって来た。 だが一つだけ問題があった。試合開始時刻が午前3時半。 イベントの為の開門午前0時半頃なので最終電車でお越しください。とI さんが言ってくれたが、その日は当然仕事があり、職場から直行しようかいったん帰宅してから行こうかが思案のしどころだったが結局仕事を定時で切り上げ一旦帰宅し夕飯とシャワーをすませてから現場に向かう事にした。
自宅近くの最寄り駅から電車に乗り込んだのは午後11時頃であったが、ちらほらと青い日本代表のレプリカを着る人達がいた。そういえばさいたまスタジアムでも Public Viewing が開催される予定であった。しかしその数は都心に行けばいくほど増えて行った。国立競技場でも P.V. が開催されていた。そして後で知ったけど都心の居酒屋やパブ等いたるところでデンマーク戦の観戦企画が立ち挙げられていた。
そればかりかカラオケボックスでも中継を楽しむ人達も。日本列島がこの試合に注目していたんだなぁと改めて思った。 大使館に到着して受付を済ませ、まず I さんに挨拶をと探す。敷地内は既に多くの人達で賑わっている。 テレビで紹介されていた和歌山の Roligan の方達も。 
すぐに I さんは見つかり、案内を頂いた御礼を何度も。そしてメルビン大使に挨拶させてほしいと頼むと、大使はすぐ近くにおられ私を紹介してくれた。 そして私が持ち込んだ“小道具”を渡した。
EURO88 のデンマークの試合、そしてワールドカップフランス大会のデンマーク対ブラジル戦の DVD を手渡そうとしたけどこの4試合全てデンマークの負け試合。機嫌を悪くされないか?とこの時になって心配になったけど、
“このブラジル戦は good game でした。”と大使の方から言って頂き、快く受け取って頂いた。更に私が持っていたEURO92 のサッカーマガジンの特集号を見せ、表紙にサインをした頂き、一緒に記念撮影までして頂いた。そして少しばかりこの日の試合の事を。
今日のFIFA のホームページに Molten 監督のインタビューがあったけど Bendner は使わないかもと語っていましたが…..
恐らく彼の情報操作でしょう。 きっとプレーすると思います。
それは大変です。どうかお手柔らかに。
いえいえ、日本は very good team ですから。

本当に親切で気さくでそれでいて高貴な雰囲気も放つ欧州のジェントルマンな方だなぁと感じさせた。だから大使が務まるのだろう。 70年代からずっとサッカーフリークを続けていてよかったとこの時思ったけど、大使が一番欲しかったのはあのサッカーマガジンじゃなかったかな……

I さんにも改めて御礼を言う。しかしまだまだ受付業務等に追われそうなので敷地内(といっても庭のところだけど。)を1人でぶらつく事に。“楽しんでくださいね。”と言って頂いた。庭にはデンマークバーガーやビール、コーラ等のジュース類が無料でふるまわれている。 Danish Burger を作るのは初老の(おそらく)デンマーク人の方。大使に頂いたサイン入りの雑誌を見せると、驚いた表情で私に親指を立てる。 そして Danish Burger を手渡してくれた。 

設置された大スクリーンではイタリア対スロヴァキアの生中継が放映されている。
何とスロヴァキアが 1-0 でリードだ。しかし私が気になるのはもうひと試合のパラグアイ対ニュージーランド。もしこのままスロヴァキアが勝って All Whites が勝てば、
All Whites が奇跡の決勝トーナメント進出となる。そうなれば日本が All Whites と対戦に….なんて胸算用をしているとスロヴァキアの Vittek がこの日2点目のゴールを決めてリードを広げる。
スロヴァキアとてFIFAランクは日本より上位の34位。 選手も DF Skrtel ( Liverpool ) Durica ( Hanover ) Pekarik ( Wolfsburg ) MF Hamsik ( Napoli ) ら欧州のトップクラブでプレーする選手も揃っている。だがアズーリも底力を見せる。Di Natale が決めて再び 1点差に。引き分けならイタリアが決勝トーナメント進出だ。1982年大会でも1次リーグは3引分けで2次リーグから調子を上げて優勝を果たした。更にDi Nataleがスロヴァキアゴールネットを揺らすシーンが出て来たがここはオフサイド。イタリアの総攻撃の前にスロヴァキアは防戦一方だが89分途中出場の Kopunek が決めて再び2点差に。これで勝負あり、と誰もが思ったがロスタイムに入った92分 Quagliarella が決めて三たび1点差に。そして Paraguay vs New Zealand 戦はスコアレスドローに終わったとの結果が紹介されりイタリアが追い付けば決勝トーナメント進出となるとの説明も。
そして93分スロヴァキアゴールに迫り左サイドからペペが放ったシュートはサイドネットを直撃。イタリアベンチから飛び出した選手達が頭を抱える。そしてゴールが入る度に歓声が上がった試合はタイムアップ。アズーリが早々と大会を後にする事に。大会2連覇は厳しいと思っていたけどこんなに早く姿を消すとは思わなかった。
気になったのはLippi 監督の服装の色だが、これが赤色だったこと。
イタリアなら青じゃなきゃいけなくないか?次のデンマーク戦にも指揮を執るのか?と隣で観ていたデンマーク人に云うとけっこう受けた。
そして“ Lippi はデンマークには要らない。”と言われた。

スロヴァキア対イタリア戦が終わって、デンマーク戦までまだ2時間以上ある。それまでどうやって過ごそうかと思う。殆どの人は私の様に1人では無く、グループや2人連れで来ているのでそれぞれの連れや仲間と話している。私はところ無げに座る場所を何とか見つけて待機する事に。すると一角で小競り合いが始まり大声が漏れてきた。 どうやら普通に庭園内を通ろうとした人がカメラの邪魔になったらしく TV Crew から“邪魔だ”とか言われたらしい。 怒った人はTV Crew のシャツを握って離さない。 シャツを握られているのはさっきから仕切りまくっていたディレクターか、チーフクラスか?周りのメンバーも必死に謝るがこの人の怒りは収まるどころか増大していく。“謝り方に誠意が感じられない。”と言っていたがそれはこの人の言うとおりだ。TV Crew 達はスクリーンで映し出されている試合を見ている間もカメラの位置やレポーターの位置の確認に終始しこちらの目の前を何度も遠慮会釈なく通ったり立ち止まったり迷惑を極めつける。 テレビと云うのは社会に与える影響が大きいから番組作りをする人間は偉いと思っているのが多いと聞いたけど、それはここで再確認できた。 挙句は勝手にストッカーを開けてビールやコーラを持ち出す。常識も持ち合わせていない。女性レポーターも自分を可愛いか綺麗と自負しているので何をしても許されると思っているんだろうなぁ…

スクリーンの前では次のイベントが始まった。PSPでこの試合の模擬試合“デンマーク対日本”が始まった。日本は俊輔が出ているが実際に使われるのか?
この試合は Bendner のゴール等で2-0 でデンマークが勝った。ゴールの度にデンマーク人達から歓声が上がる。そして試合終了後更に彼らから歓声が上がった。何だか不吉な予感。 この為に息子を連れてくれば良かったかなぁ……

その次にメルヴィン大使が壇上に上がりデンマークチームの分析とこの試合のプレビューを。同時通訳するのはかつての代表監督トルシエ氏の専属通訳であったフローラン=ダバディー氏。 デンマークの、例えばライン際等でトライアングルを形成したり、カメルーン戦のゴール前で Tomasson が観えないところで相手DFに触れてマークを意識させて他の選手の為にスペースを作ったりとかのシーンを実にうまく英語で説明している。そしてダバディー氏が解り易く日本語に通訳している。共にサッカーを知っていればの説明と通訳だ。 最後に日本がデンマークに勝つためには特色であるスピード。それもデンマーク選手にはあまり見られない一瞬のスピードを生かす事とデンマーク選手の上背を気にしすぎない事と上げていた。 それが実際に反映されるとはこの時誰が思っただろう……



その次に日本人女の子のポップデュオ“バニラビーンズ”の歌が始まった。彼女達は北欧カルチャーの発信を売りにしている次世代アイドルらしい。デビューしてもう3年にもなるとの事。さすがに芸能人だけあって彼女達が大使館入りした瞬間からオーラが醸しだされていた。 彼女達のパフォーマンスが始まるとまたまたテレビカメラが前列に殺到し、後ろで座って見ている人達が良く見えなくなってしまった。

こうしてイベントのプログラムが進み時計の針は午前3時を過ぎて来ていよいよキックオフの時間が近づく。そして試合前の両選手の様子が映し出される。かつて浦和レッズで指揮していたホルガー=オジェク氏が日本選手達の陣中見舞いに赴き阿部、長谷部らと抱擁している。闘莉王はどうしただろう?
そして選手入場、国歌斉唱に続く。デンマーク、日本それぞれ国歌が流れると合唱を始める。大歓声の中キックオフの笛が吹かれた。立ち上がりはデンマークが積極的に出てくる。日本ゴールに迫る度にデンマークサポーターの歓声と日本サポーターの悲鳴が聞こえるが得点はまだ入らない。気になる Bendner はスタメン出場して来たがポジションはやや下がり目。 今回のワールドカップは自分の部屋にある14型のテレビ観戦が中心なので大スクリーンだとピンチもチャンスもより迫力がある。 
そして18分、本田がFKを直接決めて日本が先制する。一斉に日本サポーター達から大歓声があがる。前に座っていた中学生くらいのデンマーク人の子供達がたまらず他の友人達の一団の方に移って行った。
先制されたデンマークは Bendner をトップの位置に戻した。そして試合中に Tomasson と Rommedahl のポジションを何度か変えてマークをずらそうとするが決定機をなかなか掴めない。
30分 Kroldrup がゴール正面で大久保を倒しイエローを受け絶好の位置でFKを得た。 ちょっとデンマークにファールが目立つと思いだした時だった。このFKを遠藤が直接決めて日本がリードを2点に広げた。 デンマーク大使館なのに日本のゴールで歓声が上がるなんてちょっと悪い気がした。大使を見るとさすがに紳士の様相は崩していない。やっぱり違うなぁ……

こうして2点リードと云う願ってもいない展開で前半を終えた。ハーフタイム中にトイレに急ぐ。庭園内に簡易トイレが建てられている。色々な準備がなされているのだなぁと感心する。 待っている間前後に並んでいたデンマーク人の人達と話をする。彼らはちょっと降参気味。 後半3点を取らねばならなくなった。 日本のFKは素晴らしい。直接入ったのは今大会初めてだ。ってな話を。

そしてトイレの話も。日本は女性のファンが多いからトイレが大変だ。スタジアムなら男女分かれているからいいけど。 欧州では男性のサポーターが圧倒的だから…とか話して、ようやく順番が回って来た時は既に後半が始まっていた。 そしてもう空が白々と夜が明け始めて来ていた。

後半はデンマークが開始から総攻撃を仕掛けてくる。ハイボールをガンガン入れられたら危ないなぁ…と思うもそれほどでもなかった。日本DF陣は落ち着いて対応している。これも2点リードのおかげだ。デンマークは攻撃的な選手を入れてくる。 しかし20分を過ぎると日本がカウンターで効果的にボールを繋ぎデンマークゴールに迫る。次に1点を取ってくれ。そうすれば試合を決められる….と願い続けた。だが81分 デンマークはPKを得る。ちょっとこの判定厳し過ぎないか…川島にはスーパーセーブを期待する。そして Tomasson の蹴ったPKを倒れ込んでナイスセーブ!と思いきやこぼれ球が一直線に詰めて来たキッカーの Tomasson のところに跳ね返りそのまま押し込まれてしまった。歓喜と落胆の歓声が入り乱れる。時間はあと10分あまり。ひょっとしてあと1点許しても引分けで終わればここにいるみんなが幸せになるんじゃないかな? と想像するが同点にされ、更に1点を失う事を考えすぐに自分の中で打ち消した。
そして次の得点を決めたのは日本。長谷部のスルーパスを受けた本田がデンマークのマーク二人を外し、右に走り込んだ岡崎に送り、岡崎はそのまま押し込んだ。 まずオフサイドは無いか?と心配したがゴールインが認められておりこの時点で勝負を決める事が出来た。もう日本人サポーター達は狂喜乱舞だ。 こういう結果になるなんて誰が想像できただろう….そしてタイムアップ。デンマーク大使館の敷地なのにこんなに日本人だけが幸福になっていいのかなぁ…とすこし複雑に思った。



試合が終わって空を見上げるともうすっかり夜が明けている。勝利の余韻に浸りながら、デンマークの人達と記念撮影をしながら試合を振り返る。誰もが日本は素晴らしい。勝つべくして勝った。と言ってくれる。そして私も“今日は日本が Lucky だった。 反対のスコアーもあった。”と云ったが、みなFKの素晴らしさを語り、“あれはデンマークには出来ない。”と言っていた。
あるテレビ局はバニラビーンズ二人組に“正直どちらを応援していましたか?”と間抜けな質問をしていたけど彼女達はきっぱりと“デンマークでした。”と答えた。さすがプロ意識を持っておられる。 一緒に写真を撮ってもらおうとお願いしたら快く応じてくれた。 そしてデンマークには何度か行かれたのですか?来月には私も仕事で行くんです。お客に貴方達を宣伝しておきます。と言ったらすごく喜んでいた。 



大使とも握手を交わした。 残念だけど Congratulation と言うべきでしょう。と言ってくれた。本当に紳士な人だった。 
最後に I さんを探し、このイベントの案内を頂いた事を改めて礼を言った。そしてこれから後片付けも大変でしょうと労いの言葉もかけた。盛り上がってよかった。そして日本が決勝トーナメント進出を決めてくれて嬉しい、とも言っていた。帰りはデンマークヨーグルト等が入ったデンマーク風朝食セットのお土産も配られた。私は Danish Bread もいくつか頂き、思い出の一杯詰まったデンマーク大使館を後にした。 

このワールドカップでは現地観戦は出来なかったが、また一つ思い出になる事に出会えた……

帰りは青のレプリカを着た特に若い男女が多く目に着いた。見知らぬ人同士が勝利を祝福しあっている。私も数人の若者たちに握手やハイタッチを求められた。電車の乗り換えで新宿駅に着いた時、恐らくアルタ前の方からだろう、Vamos Nippon !! の掛け声が聞こえて来た。 
ここでは無いが夕方のニュースで渋谷交差点等で暴徒化したサポーター達もいたらしい。 2002年大会の時知り合いの埼玉県警の警官が海外からのフーリガンなんてさっぱり見られず、日本の勝利に暴徒化した日本人サポーター達の扱いが一番手を焼いたと言っていたのを思い出した。

勝ったから言うわけではないが非常に貴重な経験だった。デンマークとの友好の懸け橋に、とは私ごときがおこがましいが、またいつの日かデンマークの人達と football の話しをする機会があれば…本当にその日がすぐに来る事を祈る。

そして帰宅後私は爆睡をした.....

 



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