Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

日本男女戴冠 アジア大会を制す 

2010-12-09 | 夏季五輪

11月23日商用で欧州を訪れていた私は最後の訪問地ポーランドの首都ワルシャワからようやく帰途に着いた。
久々に訪れたワルシャワの街の激変に驚きながら、雨の中タクシーで Warszawa Chopin 空港に向かう車中ではラジオがかかっていた。すると運転手が私に “ Korea, war start, both Korea battle each other “ と教えてくれた。また南北間で軍事衝突らしきものがあったか北朝鮮がまた韓国軍に向けて発砲をしたんだろうなぁ…くらいに思っていた。“ Dziekuje, I’m Japanese. “ こう答えると、運転手氏は私に、”Oh you no problem “ と笑いながら云った。
だが翌日に黄海上の北方限界線付近に位置する韓国側の延坪島に朝鮮人民軍が実弾を発砲し韓国民間人にまで被害が及んだことを知った時は本当に驚いた。
そして思った。“アジア大会期間中なのになぁ…”

Warszawa Chopin 空港もすっかり新しくなっていた。初めて来た時はまだヴィザが必要だったけどとっくにそんなの無くても入国出来るようになっている…
搭乗する前に携帯電話でキックオフされたばかりのアジア大会の男子サッカー準決勝戦、日本対イラン戦の経過をチェックする。こういう事が出来る事自体が隔世の思いだ。 しかし6分にイランのアフシンに先制ゴールを奪われていた。今大会日本男子、初の失点だった。さすがに決勝トーナメントにはいると対戦相手は違う。タイは何とか無失点に抑えたが、やはりイランは…と思った。
今大のイランは1次リーグ 4-1 トゥルクメニスタン、 1-0バーレーン、1-0 ベトナム 決勝トーナメントに入って1回戦 3-1 マレーシア、1-0オマーン、5連勝で準決勝に進んで来た。メンバーも U-23 に GK Rahmati, MF Hosseini ら前のワールドカップ予選メンバーを含む over age 選手3人(もう1人は FW Rezaei ) がいる。
他にも FW Ansari Forad Karim の様なA 代表 21caps 24 goal と云う選手も含んでいる。アジア大会も1974、1998, 2002 大会で優勝をしている。釜山大会の決勝戦で日本が敗れた相手がイランだった。苦戦は必至だった。ひょっとしてここまでかもしれないかなぁ..と少し思った。そして搭乗時間になったので機内に乗り込んだ。こういう事も航空機内で知ることが出来る日もそのうち来るだろうなぁ…と思いながら。 

トランジット空港のヘルシンキ空港に到着したのは1時間半後。試合は丁度終わったばかりの頃だった。飛行機を降りて早速携帯を取り出す。すると“日本男子サッカー逆転で決勝進出。”という見出しが目に飛び込んだ。またも思わず握りこぶしを握った。そして呟いた。 “日本勝ちました。決勝進出です。勝ちました。”
我に帰ると周りに日本人が10数人いたのに気が付きの急に恥ずかしくなってすぐ近くの Duty Free Shop に駆け込んだ…… 

 


決勝戦はこれで日韓戦だなぁ…でも今度こそ苦戦するなぁ…朴主永のガッツポーズが浮かんだ、逆転勝利の嬉しさと決勝戦で苦戦する事が入れ混ざり複雑な気持ちになった…でも勝利の余韻の方が強かったかなぁ…

雪のヘルシンキからの搭乗機が成田空港に到着してさっそく売店に立ち寄り決勝ゴールを決めた永井が一面を飾っているスポニチを購入した。そして決勝戦の相手がUAEとなった事を知った。韓国負けたのか…



それにしても UAE は何て粘り強いんだろう。準々決勝ではワールドカップメンバー10人を含む北朝鮮にPK 勝ち。準決勝でも延長戦の末に韓国を降している。北朝鮮、韓国を完封する守備力に対し日本の攻撃陣が得点を挙げられるだろうか、と思った。しかし決勝戦の相手が韓国で無かったので優勝の可能性は大きくなったと思った。

帰国した翌日に行われたアジア大会男子サッカーの決勝戦。
90年代に入り日本はアジアで最列強国となりワールドカップに出場出来たり Asian Cup で優勝を収めたりしたがアジア大会でのタイトルはまだなかった。
今は U-23 の大会となり、かつての様にアジアサッカー界では重要な大会で無くなったかもしれないがここまで来たら優勝して欲しかった。日本が優勝すれば初優勝だけど東アジア勢でも1986年ソウル大会で優勝した韓国以来となる。これまで5大会連続で西アジア勢とウズベキスタンにアジア大会のタイトルを独占され続けていたのだった。
UAE サッカーの印象は一言 “ 粘り強い守備 ” 。1990年ワールドカップイタリア大会では韓国とともにアジア地区予選を突破し本大会出場を決めたが、1次予選を勝ち抜いた6カ国が集ったシンガポールで開催された(一部試合はマレーシアで開催された)最終予選は韓国が頭一つ抜け出ておりあとの5カ国はほぼ横一線。
日本は最終予選には進出できなかったがNHK BS で中継されたこの予選、どこが勝ち抜くか楽しみだった。そして本命韓国と並んで勝ち抜いたのが UAE。1勝4分勝点6でカタール、中国を抑えて2位に入った。その1勝が中国戦。韓国とは最終戦で当たり、韓国はその前の試合で既に予選突破を決めていたと言う幸運も手伝い引き分ける事が出来たのが大きかったと思った。

以降はワールドカップ予選では2度日本の軍門に降り目立った戦績は1996年地元開催の Asian Cup での準優勝くらいであった。
今大会のUAE はU-21 が15人でU-23 の選手が5人のメンバー構成。決勝戦は韓国戦、北朝鮮でスタメンだった FW Al Kathiri と MF Alfalasi がベンチスタートとなり FW Aljenaaiby と北朝鮮戦は出場停止だった MF Al Musabi がスタメン起用された。 
日本は同じスタメン。疲れが心配されたが、UAE は2試合連続で120分試合をしていたのでまだ疲労は日本の方が少ないかと思った。
UAEは今大会、引分けた初戦の香港戦 ( 1-1 ) でゴールを許したが、以降は無失点。試合前日本は先制を許すと逃げ切られて勝てないと思った。そして最も警戒すべきはこれまで2得点のサイドバック Bloushi Abdula と3得点の FW Aljenaibyだと思った。

試合はUAEが立ち上がり攻勢に出て来た。特にMF Al Amoudi の前線へのロングパス、ミドルパスが効果的。3分 DF Bloushi のスローインを受けた Al Amoudi が入れたロブに FW Al Musabi が園田と競りながらゴール正面から走り込むが僅かに届かなかったが危ないシーンだった。
更に5分にもFKから Al Amoudi がゴール前にいれるが僅かにフリーの Al Musabi に届かない。その1分後園田が右サイドでAl Musabi を倒して与えたFKを AL Amoudi が中に入れるが走り込んだ MF Al Hammadi が空振り。9分には FW Al Jenaby とのパス交換で右サイドから抜け出したAl Moudi が逆サイドに振りFW Al Alabry がオーバーヘッドシュートを放つがGK安藤の正面に。
UAEは中盤でもパスを繋いで来て時折ロングボールも入れるがそれを日本DF陣が跳ね返してもそのクリアーボールを拾われてしまいまたUAEの攻撃にさらされる。
前線は永井と中盤が寸断されてしまいシュートに持ち込めない。そしてUAE DF陣はマークに着くのが早い。さすがに永井は簡単に捕まらないが、山崎がボールを持つと2人、3人とすぐに囲んでしまう。恐らくUAEは日本は北朝鮮、韓国ほど攻撃力が無いと見て、何とか先制ゴールを奪って後は強固なDFで逃げきろうと思ったのではないか?
それでも17分にカウンターから山崎がドルブル突破で上がって来て DF Albalooshi にファールで止められ、19分には左サイドを永井が水沼とのパス交換で抜け出しシュートを放つと日本もリズムを掴みだした。
と、思うも23分には Alabry が實藤をかわしたところを永井が戻ってチャージに入ったプレーがファールにとられ与えたFKを Al Hammadi が放り込むと Almusabi が走り込みヘッドで合わすが GK 安藤がナイスセーブで防ぐ。34分には Al Amoudi が日本ゴール前に縦パスを入れ、一旦は左サイドに出され、再び入ったクロスを Alabry が後ろに戻し走り込んだ Al amoudi が正面から放ったショットはクロスバーを越えた。前半途中から Al Amoudi が左から中に入って起点になりボランチの Al Hammadi が攻撃に絡むようになってきた。日本も35分に山口のドリブル突破がAl Hammadi のファールで止めれれ得たFKを水沼が直接狙ったがポストの左に外れ、43分には中盤から UAE ゴール前にいれられたボールに永井が走り込みダイレクトで惜しいシュートを放つなど押し返したが全般的にUAEが優勢に試合を進めた前半であった。
シュート数は UAE が4に対して日本は 2。枠内シュートは UAE が 2 に対して日本は 1 であった。 

    

準決勝では韓国に一方的に押されていたらしいが、決勝戦のUAE は攻撃する時間も長く DF も押し上げて来れるので、その裏をとる反撃が出ればと思った。
そして地元中国の観客のブーイングもよく目立っていた。

後半に入って開始早々の48分、 Al Musabi が中盤から右サイドをドリブルで突破、山崎、比嘉をかわして入れたクロスを Alabry が放ったシュートはポストに当たりその跳ね返りがGK安藤にあたり再びポストに当たりまたも安藤に戻って来て奇跡的に失点を防いだ。前半から何度もゴールを割られてもおかしくないシーンが続いていた。 50分には Albalooshi が山崎からボールを奪いミドルを放つがポストの右に外れて行き、62分には Alhammadi がCK から Al Amoudi とのパス交換で上手く抜け出しシュートを放たれるがここもGK安藤がストップ。64分には Bloushi が真ん中から抜け出し放ったシュートはまたもGK安藤がセーブ。 この試合の殊勲者は間違いなく安藤だった。
観客席からは UAE が攻撃時は歓声が上がり、日本が攻撃に転じるとブーイングが起こる。 それでもスタンドには日本人サポーターの姿も見られ、時折テレビからも“ニッポン、ニッポン” の歓声が聞こえて来た。これはテレビを見ている私でさえ勇気付けられた。
そして72分左CKを得た日本は水沼がまず東に渡し再びPA付近でボールを受けた水沼が逆サイドにクロスを送ったところを實藤がフリーで受け放ったショットが逆サイドゴールネットに突き刺さり、北朝鮮、韓国が奪えなかったゴールを日本が奪った。 實藤のポジショニング、トラップ、シュートの一連の動きも素晴らしかったが水沼のクロスも素晴らしかった。 彼の父親が現役時代、何度か日本代表の為にゴールを挙げた事を思い出した。


先制を許した UAE は失点から2分後に Al Musabi, Al Jenary を下げて Al Kathir と Al Shehhi を入れる。 Al Shehhi は長身選手。真ん中に入り左に Al Arby 右に Al Jenary が入り最前線は3トップに。 82分にはクリアーボールを拾った Al Balooshi がすぐに前に送り Al Shehhi がヘッドを放つがポストの左に外れる。だが、Al Shehhi の高さを生かす攻撃はこのシーンくらいであとは中央からスルーパスを狙うシーンが続く。
だからかえって日本がピンチを招くシーンが減り、日本の攻勢が見られる様になった。 特にFW永井は最後まで UAE DF 陣に走り負けする事なく終了間際に2度UAEゴールに迫るシーンがあった。 4分あったロスタイムも守り切りウズベキスタン人の Kovalenko 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響き、日本サッカーが今大会男女揃っての金メダルを勝ち取った。 

 

男子サッカーは対戦相手に恵まれた、とも言われているが初戦で中国を 3-0と撃破する事など誰も予想出来なかっただろう。タイもイランも U-23をベースにした構成。 UAE は U-21 をベースにして選手達で主力はイエメンで行われていた Gulf Cup of Nations に出場していたが GK Housani Ali Khasei は over age でワールドカップ予選の第一代表GK。 AFC の大会と異なり世界大会への予選を兼ねた高いでは無く各国の力の入れようも揃わなかったが、日本チームは大会への準備期間も皆無に等しく、マスコミからの注目もあまり高くなかった中でも快挙は高く評価されるべきだ。
そしてこのアジア大会では中国、韓国に大きくメダル数で水を開けられたがサッカーは男女揃って金メダルを勝ち取った事で“一矢を報いた”といえるだろう。 

 

“あの時(アジア大会)はよかったな~、と後で思わない様にこれから頑張りたい。” 大会得点王の永井がこう語っていた。大学生7人を含んだこのチームのメンバーが更に飛躍し五輪、ワールドカップメンバーにどんどん入っていく事を願う。

それにしてもよく決勝戦に残ってくれた。私がテレビで観戦出来た唯一の試合が男子の決勝だったから….

大会後地元中国紙より

日本で造り上げた事が自信を与える

11月25日アジア大会男子サッカーの決勝で日本が UAE を 2-1 で降し金メダルを勝ち取り。銀メダルは UAEそして韓国が銅メダルを獲得した。香港が全体の12位に入り、中国は10位に終わった。

實藤のゴールで勝利を収めた後の記者会見で節か監督はこう語った。
まず最初に対戦相手の UAE を彼らは大変タフであったと称え、この日の日本の出来は普通であった事とサポートしてくれた人達を大変感謝していると述べた。大会に就いては毎試合終了ごとにその試合を分析し次の試合に備えた。我々は常に同じ目標を持っている事を確認しあってその目標に向かって努力を惜しまなかった。
それが日本のやり方で、大会に参加した選手達は皆精一杯プレーしてくれてその事に大変感謝している。

決勝戦に就いて尋ねられると、試合前に選手達に中盤でのチェックを厳しくするように。特に10番Al Musabi と27番Al Amoudi の2人は要注意だったがDF陣は良く対応してくれて耐えてくれた。と答えた

決勝ゴールを決めた實藤は“決勝戦でゴールを決められて大変嬉しい。なぜなら準決勝のイラン戦では少なからずミスを犯してしまったからだ。だから決勝戦ではそれを取り返したかった。ゴールを挙げられて本当に嬉しかった。我々のチームはコミュニケーションが非常に良く取れているこれが勝利のカギとなった。五輪に出場する為に日本代表にならねばならない。この様に語った。

日本がアジア大会のサッカーで金メダルを勝ち取ったのは初めてである。この大会での経験を関塚監督はどうやって生かすのだろう? “私にとってアジア大会での優勝は大変嬉しい結果だが、最終目的では無い。将来は更に上を目指していくように努力していきたい。” この様に結んだ。

張路:日本の様になるには20年はかかる。


中国では著名はサッカー解説者である張路氏は今大会を振り返ってこの様に語った。アジア大会はエキサイトな大会だった。そして今大会は今のアジアの様相を反映していた。大会には多くの有望な選手が見受けられ、準決勝、決勝戦では3,4人の今後のアジアサッカー界を担う様な選手達が見られた。
日本が男女ともに金メダルを勝ち取る事は予想できなかった。女子は比較的レベルが高いと思われていたが日本男子はあくあまでもベストなチームでは無かった。それでも対戦相手に勝ち続けられたのは日本のサッカーのレベルが高いからである。長年を掛けて人気を得て若い選手育成に成功しここ何年間で日本の進歩は着実に効果を出している。見ての通りに日本サッカーは多くの支持を受けそれが進歩の要因となっている。そして各年代で多くの優秀な選手達が生まれており、その見通しの良い将来性のある選手達と我々は対戦せねばならない。

また決勝戦で敗れはしたが UAE は決して日本よりも劣ったレベルでは無かった。
彼らは日本ゴールに何度も押しかかりむしろ日本より優位に試合を進めていたが幸運に恵まれなかった。彼らもまた大きなライバルとなるだろう。

アジア大会を通じて中国サッカー協会の指導者達は中国サッカーのステータスを理解してほしいと思う。今のアジアでの位置づけを良く理解し、これからどうやってその地位を上げて行くかを考察せねばならないだろう。

良い試合をしたが勝てなかった UAE 監督

決勝戦後UAEの Redha Mahdi Ali 監督と MF のAl Musabi が記者会見に臨んだ。 Redha 監督はまず最初に優勝した日本チームを称え祝辞を送った。そして潜在能力を見せたUAE の選手達にも賛辞を贈った。

この日の試合に就いては、と云う記者からの質問に対し
“準決勝戦よりは良いパファーマンスであった、しかし日本のゴールを破れなかったと語った。 選手達は決勝戦を楽しんだと思う。そして観衆を満足させられたとも。我々の攻撃陣はゴール前まで何度も迫ったがあと一歩及ばなかった。 彼らは良くやってくれたが結果が出なかった。それがfootball だとおもう。

アジア大会での UAE のパフォーマンスはあまり多くの人が予想していなかったのではないかとの問いには Al Musabi は
”対戦相手はどこも大変強かった。韓国戦などは我々の攻撃機会が無いくらい攻め込まれた。しかし我々はゴールを上げる事が出来た。それはアジア大会でメダルを勝ち取った事で証明出来た。 我々は五輪予選を突破出来る事を願っている。この大会の結果によって一度失った自信を取り戻せる事を期待している。

アテネ五輪予選では UAE と同組だった。また同組になっても日本が勝ち抜いてくれることを信じよう.....


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