9月11日。オーストラリア第二の都市 Melbourne の市街地にある Melbourne Cricket Ground にオーストラリア代表はアルゼンチン代表を迎えて親善試合を行った。このカードは元々アジアカップ前の6月6日に開催される予定であったが、アルゼンチン側が6月2日にスイスとの親善試合を組んでいた為、中3日で南半球まででかけ万全の調子で試合が出来ないと延期を申し入れてきた為にこの日の試合開催となった。
それなら初めから試合なんか組まなければ良いと思うのに、それに強く抗議出来ないのは FIFA ランク2位が相手だからか?
今オーストラリア国民の最大の関心はフランスで開催されているラグビーのワールドカップ。その地元フランスは初戦でアルゼンチンにまさかの敗戦を喫したので、ここにいるアルゼンチン系の市民は大いに沸いているそうだ。そしてかれらの英雄 “Los Gauchos “ ことサッカーの代表が来豪したのでメルボルンの街には白と水色の縦じまのユニフォームを着て闊歩する人がけっこう目立った。
ここでアルゼンチンサッカーの栄光を羅列するまでもないが、過去オーストラリアとは6回対戦してアルゼンチンの4勝1敗1分。得点はアルゼンチン11、オーストラリア7だ。そのうち2回は1993年行われたワールドカップアメリカ大会のプレーオフ。南米地区予選の最終戦、ブエノスアイレスにコロンビアを迎えたアルゼンチンは何と0-5 で敗れてしまい、オーストラリアとのプレーオフ戦にまわる事に。その試合をスタンドで観戦していたマラドーナがオーストラリア戦への代表復帰を表明した事を憶えている人も多いだろう。ホームゲームではアルゼンチンが1-0 で勝利を収め、シドニーで行われたゲームでも 1-1 で引き分けマラドーナは母国をワールドカップに導いたが、もし日本代表がワールドカップ予選の様な試合でアルゼンチンと戦った時にホームゲームででも引き分けられるだろうか??
そして1988年シドニーで行われた親善試合でオーストラリアはアルゼンチンを 4-1 で降している。マラドーナは居なかったが GK イスラス、オスカー・ルジェリ、ディエゴ・シメオネ、エルナンド・ディアスらがいたらしい。そしてオーストラリアは Charlie Yanko の30m のFKをイスラスの守るゴールに直接叩き込み、それは Socceroos の中でもトップ10にはいるゴールとされているらしい。
仕事を何とか終えて MCG に向かうがここは到着してから入場口に辿り着くまでが時間がかかる。ようやく着席出来た時は既に試合が始まっていた。それにしても一番高い AS$150 ( 約16,500円 ) の席を買ったのに2階席で見通しが悪かった。救いはテレビモニターが随所にありリプレーをすぐに流してくれるところ。しかしここまで来てピッチでなくモニター観戦をしに来たわけではないのだが…..
アルゼンチンは8月21日のノルウェー戦のスタメンからLionle Messi, Gabriel Milton, Macherano そして Zanetti 以外はメンバーを入れ替えてきた。 Copa America のメンバーも Messi をはじめ9人入っている。そしてワールドカップには怪我で出られなかったJavier Zanetti もいる。
一方のオーストラリアは GK Schwarzer, そしてDF は4バック。左から Sydney FC から Sheffield United に移籍した David Carney, Beachamp, Lukas=Neil そして Willkshire とアジアカップと同じDFライン。ボランチに Grella と Culina を置き、昨年ワールドカップの日本戦に途中出場した長身 194cm の Kennedy がワントップ。2列目の右は地元 Melbourne Victory と言うよりも A League のエースストライカー Archie Thompson 左に Bresciano そして2列目やや後ろの真ん中にベテランの Josip Skoko が配置される。実はこの試合は Skoko の代表引退試合でもあった。
立ち上がりはどちらかと言えばオーストラリアが大歓声に後押しされて前の出るシーンが目立った。しかし10分を過ぎると Messi のドリブル突破が目立つようになる。16分には Grella, Carney をかわして放ったドリブルシュートが左ポストを直撃する。
そのシーンが何度もリプレーで映し出されその度にゴール裏のアルゼンチンサポーター達から大歓声が沸き起こる。オーストラリアは Kennedy の頭を執拗に狙う。20分には Kennedy が頭で落とした所を Bresciano から Thompson に繋がりシュートが惜しくも外れる。地元のエースに大歓声が沸く。23分にはまたも Kennedy にハイクロスが送られ、Burdisso, Gabriel Milton に挟み込むように倒されゴール正面でFKを得る。このFKを Bresciano が直接狙うと GK Abbondanzieri が何とか弾き出すもクロスバーの内側に当たりそのまま下に落ち再び Abbondanzieri の頭に当たりゴールの外に弾き出されたが、その時にゴールを割ったような気がした。このFKのリプレーに場内から大きな溜息が洩れる。すると今度はまたも Messi がドリブル突破を見せ Beachamp を振り切ってシュート。これをGK Schwarzer が何とかキャッチ。流石バルセロナの Messi はドリブルを始めるとファール以外では止まりそうにない。日本のDF陣だったらどう対応するのだろう??しかしオーストラリアの攻撃が続く。28分には左サイドを突破した Willksher がそしてその直後には FK から Lukas Neil が Kennedy の頭を狙う。その後も Kennedy が落とした所を Thompson が詰めて惜しいシュートを放つ。そうかと思えば35分に Kennedy は左サイドにより見事なクロスを入れるが僅かに Thompson に合わない。37分にはCKから攻撃参加の Neil がミドルを放つが大きく外れた。アルゼンチンは最前線と最後尾が非常にコンパクトなのでその間をパスで通そうとしてもすぐに網に引っ掛かってしまう。従って攻撃の糸口はセットプレーかサイドか後方から Kennedy の頭を狙って放り込む事しか選択肢が限られてくる。しかしその後がなかなか続かない。アルゼンチンのDF陣、Zanetti, Heinz, Milton, Burdisso も出足が早くてこぼれ球に寄れない。ベテラン Javier Zanetti の読みも良い。アルゼンチンの攻撃は Messi のドリブル突破からがほとんどだ。44分にはこの19番のドリブル突破から Heinz に渡りシュートに持ち込まれるがなんとかコーナーに逃げる。そして前半はスコアレスのままハーフタイムの笛が鳴った。 Viduka, Kewell, Cahill 抜きのオーストラリアは攻撃力がやや迫力不足か? それにしてもメッシのドリブルの印象が残る前半であった。 後半に続く
猛暑、酷暑の日本の夏を逃れて8月末より南半球のニュージーランドに商用で来ております。今週前半は最大の都市 Auckland で見本市の出展参加やらで忙しい日々を送り、昨日より首都の Wellington 入りをしています。
最大都市 Auckland 市の人口は郊外地域を含めて130万人で国の総人口の約4分の1の人々が住んでいる事になるが、首都の Wellington は郊外地区を含めても40万人程度。まぁ隣国オーストラリアも首都は経済力や人口の最大の規模を誇る Sydney ではなく Canberra だ。ただしこれには歴史的ないきさつがあり、1901年英国から独立を果たしたときに1901年にオーストラリアがイギリスから独立した時、首都の座をめぐり、メルボルンとシドニーが対立。1911年にこの両都市間の首都争いに決着を付けるべく、キャンベラの建設が始まり、キャンベラはニューサウスウェールズ州から分割された。メルボルンとシドニーとの間に直線を引いたほぼ中間地点にあることから、この地にキャンベラが建設された。まぁニュージーランドの首都も元々 Auckland であったのが1865年に Wellington に遷されたのだがその経緯は私はよくは知らないが、1863年11月、アルフレッド・ドーメット がオークランドの議会に「政府の所在地を、クック海峡沿岸のどこか好適な地へ移すことが必要となった」という動議を提出したがそれは南島が金鉱脈の存在を背景に別個の植民地を形成するのではないかという懸念が明らかにあったので、オーストラリアから派遣された弁務官(中立の立場ということで選ばれていた)は、良港が存在し、国土の中央に位置することから、ウェリントンが首都にふさわしいという意見を述べ1865年7月26日、議会は初めて公式にウェリントンに置かれた。当時のウェリントンの人口は4900人であったらしい。 ( Wikipedia より )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3
この街の特徴は強風。飛行機が空港に着陸する時は必ずと言って良いほど強風を感じる。そして海岸線からわずかなところが丘陵地になっており都市開発が難しいと言われている。そしてクック海峡から強風にさらされている事からニュージーランドの人々からは Windy Wellington とも呼ばれている。また大きな断層が街の真ん中を走っており1848年と1855年には大地震がこの地を襲った。海岸線から遠くないところに丘陵地があるのも断層の影響と地元の人に教えて貰った。
いつだったかここに商用でAuckland から移動する前にある御客に“ Wellington に行ったらハリケーンに気を付けろよ。”と言われた事がある。強風の事だと思ったのだがそれはその時開催されていた南半球3カ国 ( 南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア ) の14のクラブチームで行われるラグビーユニオンのリーグ戦で地元の Hurricanes の試合がその日に行われると言う事であった。街の中心街から徒歩5分足らずの中央駅のすぐ近くにある West Pac Stadium でその試合あ行われていたのだがホテルのレストランや全ての街のパブまで多くの人がスクリーンの前に集い試合を食い入る様に観ていた。試合終了後も競技場を後にしたのであろう多くの人々が帰途に着く為に街中を歩いていたのを覚えている。
この West Pac Stadium をホームにする新しいプロサッカーチームが今年誕生している。 3月19日にHyundai A-League に新加盟が認められたWellington Phoenix だ。それまで New Zealand から A-League に参戦していた Auckland をホームにする New Zealand Knights の解散に伴い、新たなリーグ加盟チームを探していた Federation Football Australia はいくつかあったオーストラリアの候補チームよりも New Zealand のチームの参加を選んだのだった。はっきり言って A-League 発足から2年間唯一 New Zealand から参加した Knights は悲惨だった。初年度はダントツの最下位。2年目も第17節を終えて僅か2勝でどうしようもなかったチームだった。しかし18節に元ニュージーランド代表でワールドカップにも出場経験のある Ricki Herbertが指揮を執ると残りの4試合を3勝1分けとし上位4チームが進出出来る Final Series 争いの台風の目となり終盤のリーグを大いに盛り上げた。例えそれがかつての横浜フリューゲルスの様にチーム解散が見えていて最後の有終の美を飾ろうとした輝きであったかもしれないが。
そして Ricki Herbert はそのまま新生 Wellington Phoenix の監督に就任する事になった。その開幕戦。ホーム West Pac Stadium に昨年度覇者の Melbourne Victory を迎えた。19分に Victory は主将の Kevin Muscat のPK で先制を許し、60分には Allsop に追加点を喫して 0-2 と劣勢のなか、79分に Daniel, 84分には S.Smeltz の連続ゴールで追い付き 14,421人集まった地元サポーター達を大いに沸かせた。しかし続くアウェーの Central Coast Mariners 戦では 0-3 と完敗。それでもその試合の Phoenix はシュートがクロスバー、ゴールポストを1度ずつ叩く惜しいチャンスがあり、続く9月9日のホームでの New Castle Jets 戦では期待できそうだと Herbert 監督は地元マスコミにコメントしている。
街中には Phoenix のゲームを告げる広告や到る所で Phoenix の旗が掲げられている。そしてスポーツ用品ショップでも ALL BLACKS Goods にならんで Phoenix の Goods が並んでいる。あるパブの前では9日の Jets 戦の中継を宣伝している。こう言う動きは Knights が存在した時の Auckland では見られなかった。
それは Stadium の立地条件も関係するかもしれない。 Knights がホームとしていた North Harbor Stadium は立派な競技場ではあるが街の中心街からかなり離れておりアクセスが悪かった。その上 Auckland に限らず New Zealand は公共交通機関が発達しておらず車が無ければここには行けないと言っても過言では無い。そう言う事もあって2011年のラグビーのワールドカップの地元開催に向けて街の中心街が面している海岸沿いに Water Front Stadium の建設計画が持ち上がったのだが。 しかしここ West Pac Stadium は上記した通り街の真ん中にある。それだけ市民も親近感を持っている事だろう。
その上の地元の人が言っていたが“元々サッカーは Wellington の方が盛んであったし良い選手も多かった。” 1982年のワールドカップスペイン大会にアジア、オセアニア地区代表で出場したニュージーランド代表チームの中には多くの Wellingtonの チーム所属選手がいた様に記憶する。代表チーム ALL WHITE の指揮を執るのも Ricki Herbert 氏。5月26日のアウェーでのウェールズ戦は 2-2 で引き分けている。 10月13日から早くも始まるワールドカップのオセアニア地区予選。中村俊輔の同僚 Celtic の Chris Killen をはじめ7人の欧州組そして Perth Glory 所属の Leo Bartos らに並んで8人の Phoenix の選手が召集される事になった。恐らく ALL WHITS はオセアニア地区を勝ち抜いて来るだろう。そして Asia 地区からの国とプレーオフをする事となる。現役A-League の監督の中でもワールドカップ経験者は Herbert 氏のほかには誰かいただろうか….? 9日の Jets 戦が楽しみだけど私は明日 Wellington を離れて Jets のホーム Newcastle に移動せねばなりません。朝6時の飛行機だわ……
両国は4年前のワールトカップ予選でも相対し初戦メルボルンでの試合をケビン=マスカットのPKで先勝したオーストラリアは第二戦モンテビデオでのアウェーゲームで 0-3 で敗れワールトカップ出場を逃した。
Asian Cup を約1ヶ月後の控えた今、再び両国は6月2日、一昨年のワールトカップ予選の舞台となったシドニーの Telstra Stadium で対戦する事に。この試合はタイトルのかかっていない“親善試合”の一つであるが、ウルグアイも翌月にCopa America を控えており5月23日に Oscar Washington ウルグアイ代表監督が発表した今回の来豪メンバー20人は海外組を中心としたフルメンバーである。その中でも特に注目されるのは Diego Forlan ( Villareal ) と Alvaro Recoba ( Inter Milan : でもそんなに出場していたかなぁ?) の選出。一昨年のプレーオフでは Forlan が初戦20分で負傷してベンチに下がり第二戦には帯同出来ず、 Recoba は第二戦の途中で引っ込められて怒りのあまりロッカールームに消えてしまっていた。それ以来 Recoba は代表に招集されなかったが、3月の韓国戦で16カ月振りに招集され続いて6月2日のオーストラリア戦に選ばれた。
またGK のFabian Carini ( Inter Milan ) DF Dario Rodriguez ( Schalke 04 ) Carlos Diogo ( Real Zaragoza ) Diego Lugano ( Fenerbache SK Instabul ) そして控え選手ではあったがFabian Estoyanoff ( Deportivo La Corna ) の5人が2年前の来豪メンバーでもあった。
一方今回招集されたオーストラリア代表の中で2005年11月のプレーオフ経験者は僅かに3名。Lucas Neill, Jason Culina そしてBrett Emerton。また Melbourne Victory のArchie Thompson はベンチ入りを果たしたが出場機会はなかった。 GK のMark Schwarzerそして Mark Viduka, Tim Cahill, Josip Skoko に並んでHarry Kewell, そしてスイス Basel で中田浩二の僚友 Chipperfieldもこの試合を辞退している。それだけに Carl Valeri の様に今回代表に初招集された選手達はチャンスだ。事実 Arnold 監督は“この試合の偉大な相手ウルグアイに対して彼らをテストし見てみなければならない。”とコメントしている。Valery は招集発表前日の22日に祖父を亡くし悲しみが漂う中の選出であった。
また先週浦和REDSと対戦した Sydney FC から David Carney が選出された。他にも A-League 勢では 3月の中国戦に出場したNick Carle, Colosimo Simon, Archie Thompson, Jade North の 4選手全てが、そして Nick Bridge , Daniel Allsopp (Melbourne Victory ) が選出され A-League からは7名が召集された。しかし、噂されていた Melbourne Victory の Kevin Mascut は声がかからなかった。それはシーズンオフ中に治療を施しているくるぶしの回復具合を気にしてかそれとも33歳のベテランにはもうチャンスは…….
日本は6月1日よりコロンビア、セルビアモンテネグロを招いて Kirin Cup が開催されるがその後の強化はどうなるのだろう?また Asian Cup で Socceroos と当たった時は……
Uruguay squad: Goalkeepers: Fabian Carini ( Inter Milan ) , Sebastian Viera ( Valencia ) Defenders: Andres Scotti ( Argentimos Juniors ) , Diego Lugano ( Fenerbache SK Istanbul ) , Dario Rodriguez ( Schalke 04 ) , Mauricio Victorino ( Tiburones Rojos Veracruz ) Carlos Diogo ( Real Zaragoza ) , Jorge Fucile ( F.C. Porto ) Gaston Filgueiras ( Arsenal Sarandi ) Midfielders: Pablo Garcia ( Celta de Vigo ), Diego Perez ( AS Monaco ) Guillermo Giacomazzi ( Parelmo ) Cristian Rodriguez ( Paris Saint-German ) Fabian Canobbio ( Celta de Vigo ) Alvaro Recoba ( Inter Milan ) . Forwards: Diego Forlan ( Villareal ) , Sebastian Abreu ( Real San Luis ) Fabian Estoyanoff ( Deportivo La Corna ) Gonzalo Vargas ( AS Monaco ) Vicente Sanchez ( Toluca FC )
ウルグアイでプレーする選手が見当たらないなぁ。メキシコのクラブ所属選手は3人いるけど。
Socceroos Squad : Daniel Allsopp (Melbourne Victory, Australia), Michael Beauchamp (Nuremberg, Germany), Mark Bridge (Newcastle Jets, Australia), Nick Carle (Newcastle Jets, Australia), David Carney (Sydney FC, Australia), Simon Colosimo (Sivasspor, Turkey), Jason Culina (PSV Eindhoven, Holland), Brett Emerton (Blackburn Rovers, England), Adam Federici (Reading, England), Ryan Griffiths (Liaoning, China), Brett Holman (NEC Nijmegen, Holland), Brad Jones (Middlesbrough, England), Patrick Kisnorbo (Leicester City, England), Scott McDonald (Motherwell, Scotland), Lucas Neill (West Ham, England), Jade North (Newcastle Jets, Australia), Matthew Spiranovic (Nuremberg, Germany), Shane Stefanutto (Lillestrom, Norway), Mile Sterjovski (Basel, Switzerland), Archie Thompson (Melbourne Victory, Australia), Michael Thwaite (Wisla Krakow, Poland), Carl Valeri (Grosseto, Italy), Luke Wilkshire (FC Twente, Holland)
来日2日目の日曜日を Sydney FC の選手達は如何過ごしたのだろう? Culina 監督は久々に浦和が勝利を収めた土曜日の名古屋戦をテレビで看れたのかな?今回、浦和REDSが相対する Sydney FC の起用されるであろう選手達をまとめてみました。
GK Clint Bolton 5試合 450分 5失点
ACL 5試合すべて、Sydney FC のゴールを守り続けている。そして昨シーズンはリーグ戦、 Final Series 全ての23試合でゴールを守り続けた。2005年の FIFA Club World Cup にも来日。A-League 創設の National Soccer League 時代は300試合以上リーグ戦に出場するベテラン。1995年カタールで開催されたFIFA U-20には正GKとして出場しチームは準々決勝でポルトガルに延長戦で敗れた。 2001年日韓で開催された FIFA Confederation’s Cup では Socceroos の一員としてメンバー入りしたが正GK Schwarzer の前に出場機会は無かった。 3月の浦和戦では後半痛恨のキャッチミスをし永井の同点ゴールを許しているだけにこの試合に掛ける思いは強いだろう。188cm 90kg の体格はさすがオージー。
DF Iain Fyfe 5試合 450分 センターバック
1999年ニュージーランドで開催されたFIFA U-17 でオーストラリアはブラジルと共に決勝に進出。激戦となった試合は0-0 のままPK戦に持ち込まれ結局王国ブラジルが勝ったのだが、この大会のメンバーに選ばれている。しかしこの時はレギュラーポジションを確保できず1次リーグのドイツ戦、マリ戦そして決勝のブラジル戦の3試合に途中出場を果たしたのみであったが2005年 A-League 開催後に Sydney FC に入団すると2年にわたり全試合に渡り出場を果たすA-League 屈指のセンターバックに。そしてACL の5試合でもフル出場。A-League の昨シーズンでは2ゴールをあげ、CKなどのセットプレーでは185cmの長身を生かして相手ゴール前に出て来る。Scotland の Hamilton Academical でのプレー経験もある。
DF Mark Rudan 5試合450分 センターバック
1995年カタールで開催されたFIFA U-20 のレギュラーメンバー。累積警告で出場停止であった1次リーグ第3戦のドイツ戦以外はすべて出場。この大会のメンバーは他にも Mark=Viduka や Joship=Skoko らがいた黄金世代。 A-League 開幕前は Bundesliga の Alemania Aachen そして中国の南京、マレーシアの Selangor Pablic Bankでもプレーをした。彼のハイライトは2006-06 シーズンの Adelaide United とのSemi Final の逆転ゴール。このゴールで決勝進出を決め、Central Coast を破って優勝し ACL 出場権を得た。 191cmの体格を生かしたタフな守備は Fyfe と二人で文字通り相手FWの壁となるが、怪我の回復が心配される。浦和戦はベンチスタートか……
DF Nikolai Topor-Stanley 5試合450分 左サイドバック昨シーズン途中から彗星のごとく現れ Sydney FC はおろか五輪チームにとってもなくてもならない左サイドバックプレーヤーとなった。 Topor-Stanley も身長191cmの長身選手。3月の浦和戦ではあのワシントンを体格で抑え込むシーンも。しかし8月から始まる来シーズンの A-League では Perth Glory への移籍が決まっている。
DF Mark Milligan 4試合 360 分
右サイドバック 2005年オランダで開催された FIFA U-20の1次リーグ第三戦。平山、家永、カレン=ロバート擁する日本ユース代表は決勝トーナメント進出を賭けてオーストラリア戦に望み87分前田の起死回生同点ゴールでベスト16進出を決めたがその試合、DFとして日本の前に立ちはだかり1次リーグ3試合全てに出場したのが Mark Milligan 。その時の彼のパフォーマンスを見ていたのか?ヒディング監督は翌年のワールトカップメンバーに彼を引き上げた。出場機会はなかったものの今は五輪代表チームの主将として北京五輪出場を狙う。他のDF選手と異なり178cmの身長ではあるが、本来はセンターハーフを得意とし攻撃能力も低くない。初戦の上海申花戦と次の浦和戦で警告を貰い第三戦の Persik Kediri 戦は出場停止。 Milligan を欠いた Sydney FC は痛恨の黒星を喫したがそれだけ攻守に渡って重要な役割をこなす選手。
MF Ufak Talay 5試合433分 2ゴール
センターハーフ昨年ワールトカップに出場したベテランJosip Skoko が“ Socceroo 経験の無い最高傑作の選手”と表現する程の選手。Talay も1995年のFIFA U-20 に選ばれ準々決勝までの4試合にフル出場しながら代表経験が無い。名前から察する通りトルコ系の選手で 1995年のFIFA U-20 後から名門 Galatasaray Istanbul を皮切りにAntalyaspor, Bursaspor, , Gazientepspor, Karabukspor そして Mersin Idmanyurdu と通算10シーズンに渡ってトルコリーグでプレーをした後に Sydney FC と契約。しかし古傷の膝の調子が思わしくなく1年目はFinal Series の4試合を欠場した。中16試合出場に留まった。先日の上海戦では73分にベンチに下がったがそれは膝の調子を気遣ってらしい。3月の浦和戦ではPKで2点目を決めている。
Terry McFlyn 3試合 199分
16歳で Queens Park Rangers と契約した北アイルランド国籍のMF. 非常にタフな守備をして相手のFWと対峙する。同国ではU-21代表にもなったが北アイルランドが今は強くないのでメジャーな大会の出場経験は無い。それでも England のクラブチームを8シーズンに渡たって生き抜いてきたハングリー精神はチームに必要なもの。
昨シーズンの Final Series の初戦の Newcastle Jets 戦では怪我の為前半でのリタイヤを余儀なくされ次のアウェーゲームでは欠場。 McFlyn の欠場は大きくそのアウェーゲームで Sydney FC は 0-2 で破れ続く Prelimary Final に進まなかった。
ACL でもそ時の怪我の回復が遅れた為に初戦の上海申花戦、続く浦和の前半はプレーが出来なかった。前節のホームでの上海戦は出番がなかったが、23日の浦和戦では Middleby が累積警告で出場できず、 Rudan の怪我も心配されるのでスタメン起用はありそうだ。
Ruben Zadkovich 2試合 108 分 右ハーフ
ACL出場時間こそ短いが、2005年 FIFA U-20, そして現在は五輪代表チームの中心選手として活躍している。しかし怪我でACLは出遅れ初戦の上海戦は欠場。続く浦和戦はベンチスタート。もし Middleby が怪我で退かねば出番は無かったかも知れない。そしてアウェーでの Persik Kediris 戦はスタメン出場を果たすも61分に2枚目のイエローカードを受けて退場。そしてチームは痛い敗戦を喫した。Zadkovich は16日の五輪予選、イラン戦でも累積警告で出場出来なかった。その後ACLでは出番が無いが浦和戦は Middleby が累積警告で出場出来ないので Zadkovich の出場は必至だ。 2005年のFIFA U-20 では2戦目のオランダ戦、3戦目の日本戦に途中から出場した。
Steve Corica 5試合 450分 4ゴール
トップ下浦和DF陣が最も警戒せねばならない選手。シドニーでの浦和戦でもその実力を充分に発揮し後半あわやの直接FKを放ち都築の美技を引き出した。過去の実績では浦和の小野に匹敵するのではないか?1989年スコットランドでの FIFA U-17, 1991年ポルトガルでの FIFA U-20, バルセロナ、アトランタと五輪に連続出場し2001年のFIFA Confederation’s Cup にも出場。U-17 では初戦の東ドイツ戦、続くブラジル戦に途中出場を果たすもチームはベスト8に進めなかったが、このチームにはGK Schwarzer, Kalaci Popovic, Aloisi 等、後のワールトカップメンバーがいた。2年後のU-20 では初戦のトリニダードドバゴ戦にスタメン出場。相手には後にチームメイトとなったヨークがいた。以降エジプト、準々決勝シリア、準決勝ポルトガル戦は途中出場し3位決定戦となったソ連戦はスタメンで出場。チームも勝利を得た。準決勝で対戦したポルトガルにはルイコスタ、J.ピントそしてフィーゴと言った後の黄金世代がいてこの大会で優勝を果たしている。バルセロナ五輪ではチームは4位に入ったが Corica 自身の出場は初戦のガーナ戦と続くメキシコ戦のみで共にフル出場ではなかった。アトランタ五輪では1次リーグ最終戦ではとなるメンディエタ、ラウール、モリエンテスらを擁するスペインに2-0 のリードから逆転負けを喫しベスト8進出はならなかった。しかし自身は3試合にフル出場を果たす。このチームには Kevin Mascut, Vuduka, Aloisi らがいた。そして2001年のFIFA Confederations では準決勝の日本戦を含めた4試合全てに出場を果たす。また England のWolverhampton Wanderers 等3つのクラブを渡り歩き、2000-01 はサンフレッチェ広島でもプレーをした。結構日本慣れしているのでは無いか?
David Carney 4試合 354 分 1ゴール FW(左)
代表、U-23代表にも選ばれているが五輪を含めたメジャー大会の出場経験はないが得点能力に優れており昨シーズンは怪我で1ゴールに終わったが一昨シーズンは6ゴールを挙げている。3月の浦和戦では開始数十秒で電光石火の先制ゴールを決めた。また2005年の Club World Cup では5位決定戦のエジプトのアル=アイン戦では決勝ゴールを決めチームを勝利に導いた。本来はFWの選手だが2列目の左を担う事が多い。対峙する山田、坪井は彼をどう止めるのか。 Terry McFlyn 3試合 199分 センターハーフ北アイルランド国籍。国が今はあまり強くないのでU-20 等に選ばれながらメジャー大会の出場経験はない。しかし 16歳で Queens Park Rangers と契約して以降9年間に渡り England のクラブを渡り歩き2005年に A-League にやって来た。昨シーズン Final Series の初戦の Newcastle Jets 戦では怪我の為前半でベンチに下がり大事な 2nd Leg に出場出来ずチームは 0-2 で敗れてしまった。その怪我は完治しておらず ACL でもまだ3試合しかプレーしておらずシドニーでの浦和戦は後半から出場し前節の上海申花戦は出場しなかった。しかし23日の浦和戦では Mark Rudan, Ufak Talay の出場が微妙なので彼の怪我の回復が気になるところだ。
Alex Brosque 5試合450分 1 ゴール FW
2003 年 FIFA U-20, アテネ五輪に出場し、次代のオーストラリア代表のストライカー候補。 U-20 では1次リーグ最終戦のブラジル戦では激戦の末 3-2 で降してベスト16に進出。決勝トーナメント1回戦では地元UAEに 0-1で敗れたが自身は4試合全てに出場しカナダ戦ではゴールも挙げている。アトランタ五輪では Cahill, Aloisi らと共にメンバー入りし4試合に出場。ベスト8に導く。 Asian Cup では代表入り出来るか? A- League 発足のシーズンは Queensland Roar と契約しシーズン8ゴールを挙げ、翌シーズン Sydney FC 入りする。Final Series 進出のかかった Queensland Roar との最終戦。そして Final Series 初戦の Jets 戦で連続ゴールを決めるなど勝負強さを発揮。しかしACLではこれまでホームでの Persik Kediri 戦の1ゴールのみ。そろそろ爆発するころか……
David Zdrilic 5試合 173分オーストラリア代表30試合で20ゴールを決めたベテランストライカー。2001年の FIFA Confederations Cup で来日をしており準決勝の日本戦を含めて4試合出場している。ワールトカップ日韓大会のプレーオフ戦、ウルグアイ戦では Corica と共にベンチ入りを果たしたが試合には出場できなかった。Scotland の Aberdeen を始めスイス、ドイツ、イングランドと8シーズンを欧州のクラブで過ごし Sydney FC 入りをした。日本に旅立つ前のマレーシア代表選ではゴールを決めている。怪我の影響でACL では初戦の上海申花戦以降は途中出場ばかりでまだゴールが無い。 Zdrilic がスタメンに名を連ねるかスーパーサブに下がって Brosque のワントップまたは Carney , Brosque の2トップとなるかが浦和DF陣の観点でもあるだろう。
Adam Casey 3試合 59分 FW (右) 昨シーズン途中から New Zealand Knights より移籍。2003年 FIFA U-17 Finland 大会に3試合フル出場するもチームはベスト8に残れなかった。まだチーム内ではスーパーサブの地位を脱していないが、右のウィングプレーをこなせる貴重な戦力だ。試合展開によっては投入されるだろう。
Luka Glavas 2試合 25分 FW
ACLの期間だけ Perth Glory から“レンタル”されている22歳のFW。ACL後は Perth Glory に戻る。かつてはクロアチアの Hajduk Split のトライアルを受けた。まだ若いだけにこれからもいろいろチャンスがあるだろう。 彼の様な ACL 期間のみの契約選手はもう一人 MF の Noel Spencer ( Central Coast Mariners ) がいるが、この二人は日本遠征には連れて行かないとのことであったが……
また4試合158分出場記録のある Robbie Middleby が累積警告で出場停止。 Middleby は右サイドバックをこなす選手で 1995年 FIFA U-20 カタール大会にも出場している。ACL序盤は怪我の上海申花戦、浦和戦は途中出場、 Persik Kediri 戦は欠場したが続くホームでの Persik Kediri, 上海申花戦にはフル出場出来ただけに Culina 監督にとっては彼の出場停止は誤算だろう。 そして浦和REDSは….. これから息子によく教えて貰いましょう……..

また同様に Chief Exective の George Perry も帯同する事となった。彼はアジアともっと密接にと考えている一人だ。“私の帯同の目的は何かを起こす事だ。アジア地域への展開は Sydney FC そして Australia のサッカーの興味を引き付ける事が出来る。そして我々はそれに乗じたい。滞在中に我がクラブへの投資に興味がある人達とアポイントを取るつもりだ。そして浦和REDSのチーム関係者と会って話を聴きクラブ経営に就いてを学ぶつもりだ。そして今後、浦和と Sydney FC との親善試合の可能性も話す。我々は世界中のUrawa Red Diamonds の様なクラブと姉妹関係を結びたい。”と話した。
1971年3月日本で3カ国対抗戦が催され、私の尊敬する Johnny=Warren の所属する St.George Budapest が招待され、同じく招待されたデンマークのFrem, そして日本代表とB代表と総当たりでリーグ戦を行い覇を競った。 初戦、釜本、ネルソン吉村らを擁する日本代表相手に 0-0 と引き分けると続く Frem 戦を4-1 で撃破し、最終戦の日本B代表をなんと 6-2 と粉砕し、大会の優勝をさらってしまった。これはオーストラリア史上、クラブチームが初めて海外の大会のタイトルを勝ち取った輝かしい功績であった。大会終了後は姉妹提携をしていた東洋工業をも破り、その次の日立製作所も降して日本遠征を無敗で凱旋帰国を果たしたばかりか、この遠征でチーム力の強化が進みオーストラリア代表チームにも次々と選手が選出される様になり、後の西ドイツワールトカップ進出の礎となったらしい。この1974年のワールトカップには St.George Budapest から Warren を始め5人の選手がオーストラリア代表に選ばれている。この3カ国対抗戦で日本代表はB代表とはオウンゴールでようやく勝利を挙げた後の最終戦の Fern 戦を1-2 と完敗。当時3月と言えば日本リーグはシーズンオフの真っ最中。とは言え栄光のメキシコ五輪が過ぎ、代表強化の全く進まない長い長い暗黒の時代であった。
その一方で Culina 監督は希望していた豊田スタジアムでの名古屋グランパス8対浦和REDSの試合観戦が移動の問題で不可能になったので首脳陣の揃える最近の試合のDVDで分析するしかない、との事。おかしいなぁ?成田空港にはQF21は朝6時に着くからそこから日本の誇る鉄道網、成田Express と新幹線を乗り継げば充分に間に合うのに。本日午後2時からテレビ中継あるよ。そして良いアドヴァイスを。浦和駅の近くにある Red Voltage に行けばここ数試合のハイライトシーンが見る事が出来る。そして我が家に来れば息子がこの1か月のREDS のパフォーマンスを私の100倍は詳しく教えてくれる。勿論通訳は私が引き受ける。でもサッカーは世界の言葉。言語の違いは障害にならないか…….
Harry Kwell の復帰に先駆けてオーストラリア代表Graham Arnold が気に架けていたのはSeire A の Parma でプレーする Vince Grella の怪我からの回復だ。 Grella も昨年のワールトカップにはレギュラーとして4試合にスタメン出場。決勝トーナメント進出のかかったクロアチア戦では63分にアロイージと交替する為にベンチに下がったがこれは 1-2 とリードされた場面でヒディング監督が同点にすべく攻撃的な布陣にシフトする為でこの16分後に今やオーストラリア人の間で伝説となっている Kewell の同点ゴールが生まれた。ワールトカップ時のオーストラリアのフォーメーションを見てみると初戦の日本戦こそ Kewell, Viduka の2トップを置いた時間があったが以降は Viduka のワントップに2列目をブラジル戦はクリーナ(右)ステリョフスキー(左)、クロアチア戦はステリョフスキー(右)キューウェル(左)と置き、イタリア戦ではステリョフスキー(右)ブレッシアーノ(左)とメンバーを替え続けその後ろのポジションも日本戦以外はケーヒルをスタメンから真ん中に置き続けたのを除いては対戦相手によってメンバーを変え続けた。それはブラジル、クロアチア、イタリアと格上を相手にせねばならなったと言う事とクロアチア戦は決勝トーナメント進出の為に勝点を取りに行かねばならなかったと言う事は充分に理解出来る。たが Grella のポジション、3バックの前方真ん中に置かれた1ボランチと言うよりもディフェンシブハーフ のポジションは不動であった。従ってハッキリ言って格下相手の Asian Cup でも Grella のポジションは Grella が最適と Arnold 監督も考えているに違いない。今シーズンの Grella は所属先のSerie A Parmaでは2月28日のアスコナ戦以降ハムストリングと膝の怪我でベンチを外れてからフル出場を果たしていない。4月18日のフィオレンティーナ戦に後半36分から約10分間プレーをし3月18日シエーナ戦以来4試合振りに出場を果たした。以降パレルモ(後半23分から)カリアリ(後半34分から)連続出場を果たしはしているがまだハムストリングの負傷の回復が思わしくないしかし Grella は Asian Cup に出場する事を宣言している。“ 私はそこに100%の状態で行く。もう一度言おうか? 100% だ。そして6月2日のシドニーでのウルグアイ戦には間に合わせる。私は Asian Cup を非常に楽しみにしている例えそれが長期のトーナメントになってもワールドカップ同様の長期のものになってもしかし大会に参加するのは良い事だ。” .Grella の怪我を悪化させたのは Parma の Serie A 残留争いと2回の監督交代劇と言われている。2月には Stefano Pioli 前監督が更迭され、元 Chelsea コーチ Claudio Ranieri が就任。 “私は日曜日から日曜日まで怪我から回復ための十分な時間がなく試合を休むことも出来なかった、それが最初は膝にあった軽い炎症が大問題に発展する事になった。全ての試合が Serie A 残留への重要な試合だった。しかし下位からの脱出は出来ずにいた。そして Ranieri が監督に就任した。彼は私が必要だと言った。私は Ranieri に怪我で苦しんでいると言ったが彼はまた私が必要だと言った。” そして Grella は出場する事を拒否し5週間ベンチを外れた。シーズン終了後は契約も切れるのでこの困難なチームを離れることも視野に入れた。そしてチームが降格した時には批判の対象とされる事も自覚した。 “契約最後の年の選手に就いて言えば、サポーター達はその選手のプレーに期待をしている一方で常にその選手は自分の事しか考えていないと思いがちだ。それがサッカー界での術で常に頭の中を過っている。2月のデンマーク戦と3月の中国戦の間には膝の状態のせいで週に1回しかトレーニング出来ずにいた。そしてとても代表レベルではなかった。私のハムストリングは少し裂けていたが Parma は私のカムバックを必要としていた。中国戦の前の日曜日には15分間だけプレーをした。それが怪我で戦列を離れてから5週間後の復帰戦であった。 Palermo のブレッシアーノは 1-0 の後あわや2ゴール目のシュートをゴールライン上でクリアーをし2点目を許してくれなかった、そして決定的な同点のチャンスを造ろうとしとしたが それはならなかった“と Socceroos の僚友ブレッシアーノに就いて言及した。先週、Parma の劇的な Palermo 戦の勝利は Parma を降格ゾーンから脱出させたばかりでなく Palermo の UEFA Champions League 出場権を険しいものにした。退場者を出した Palermo は同点のチャンスを遠いものとし Ranieri 監督はGrella を投入する事によって試合の主導権を握ろうとした。 “10人になった Parelmo はボールに触れる事が出来ずに、我々は次々に追加点を重ね 4-0とし、5点目も決まるところであった。 ハッキリ言ってこの試合のベストプレーヤーはブレッシアーノだ” Grella は来シーズンこの Palermo 入りが濃厚視されている。しかし今シーズン終了迄には Grella の怪我の回復の扱いは決まっていない。 “Palermo は私の怪我の回復具合を注視している。”と Grella は付け加える。しかしながら既に 500MRI レベルのスキャンを通して膝には異常がない事が証明されている。それはただの炎症である事を証明したかった。 Palermo は 前England 代表監督Sven-Goran Eriksson 氏をしつこく勧誘しているとの事だ。. ブレッシアーノ、グレッラそしてキューウェル…… Socceroos の臨戦態勢の整備具合が足音高らかに聞こえて来る。オーストラリアはやはり優勝の筆頭候補か?それを追いかけるのは…イラン、韓国、サウジアラビア….日本は入っているのだろうか?AFC加盟直後にあっさり優勝をさらわれては他の大陸からはアジア諸国は何をやっていたのか?と言われてしまう。まして2連覇中の日本はオーストラリア人から“ワールトカップで完敗した相手”と言うレッテルと並んで“オーストラリア抜きの大会で3回優勝していた”と言われるだろう。 All for 2010 ???? Asian Cup があってこそのワールトカップでは無いのか???オシム監督。もし貴方が欧州の代表国を指揮した時に “欧州選手権よりもワールトカップ”と公言できますか??

アーノルド監督 ( 以下 A )それは全くない。コーチの Frank Lowy と Ben Buckley が7月の Asian Cup に向けての仕事を私がこなしていると言ってくれて彼らに全面の信用と信頼を寄せている。それが中国戦の好結果以上のものだ。選手達に関して言えば、代表デビューを飾った選手達そしてチームに良い結果をもたらしてくれた Mark Schwarzer, Lucas Niel, Mark Viduka そして Mark Bresciano の のベテランを誇りに思う。彼らは良いパフォーマンスを披露しそれらはこれからも続けて貰いたい事だ。
Q 代表監督就任以来バーレーン、クウェートそして中国と異なった経験をされていますね。ワールトカップ予選も視野に入れてその監督業はアジアでの戦いの難しさの理解を進めていますか?
A. もし選手、コーチ達も含めて理解していなかったのなら、今理解している事を望んでいる。アジアは難しいとこだ。移動だけでなく天候までかつて経験した事のない事を経験せねばならない。最近 Sydney FC がインドネシアで遭遇したことを見ればいい。それがパーフェクトな一例だ。現役時代、国際舞台でアジアの国々のアウェーでのパフォーマンスはベストでは無い、ホームに還った時に全く異なったチームとなる。ホームでは50%はパフォーマンスは上がる、こういったタイプのアジアのチームに相対する時には我々は少なくとも1週間前には現地入りし準備を進める必要がある。さもなければ大変な困難に直面する。
Q. ワールトカップ後に監督就任以来、貴方の残した成績は妥当かどうかと言う、あなたの奮闘がしばしば正当に評価されないと何かフラストレーションを感じますか?
A.いいや、まったくフラストレーションは感じない。通常批判を持つ人々は無知な人であるので私を悩ませたりはしない。今私はチームの過渡期を見ている。ワールトカップ後、チームレベルが落ちていない事に誇りを感じる。確かに2度の hiccups ( 短期間の下落)はあった。一つはアジアカップ予選のクウェート戦でそれは組織化への大きなレッスンとなり、もう一回は今年のデンマーク戦でそれは選手達の相対評価への授業料でもあった。私はかつて言ったことがある。それは私の事でなく、国家の事である。しかし監督としてチームが機能する事は幸せな事だ。
Q.前任者の Guus Hiddink 監督との比較にはうんざりしますか?
A. もう一度言おう。比較をする人々は無知な人だ。あなたは世界でも3本の指に入る監督の事を話している。彼の靴を私にはかせる人はみなおかしいと思わないかぃ? 私は自分の色を持っている。自分のやり方がある。多くを Hiddink から学んだ。しかし選手達は自分自身で選んだ選手だ。なぜなら彼らはワールトカップの経験で作り上げたレベルでのパフォーマンスをしているからだ。しかし Hiddink との比較は… それはマラドーナと交替させる選手の様なものだ。不可能な事でそれを見た事もない。
Q オーストラリアで認められるよりは海外でのコーチ業で認められたいという事を感じた事は何度かありますか?
A. オランダではかつてプレーをした二つのクラブから興味あるオファーを受けた。それは容易なことであった。なぜなら彼らはあなたを知っているからだ。しかしまだ Socceroos の仕事はエキサイトだ。仕事に対して多くの野心があり前進を続けている。もしFFA ( オーストラリアサッカー協会)が私の仕事に満足するのならばそれが主要な任務だ。
Q. オランダからのオファーには影響を受けましたか?
A.今年最初に NAC から受けたオファーには興味はなかった。なぜなら私はまだコーチングライセンスを持っていなかったから、しかしそれは替わった。今私は世界ランクトップ50に入る国を6カ月以上に渡って指揮しており扉は開けられた。もうかつての様に紋章を付ける必要は無い。 Roda JC からの先月のオファーは興味のあるものであった。しかしまだ Asian Cup はずっと先の話で。当分はこれに集中したい。
Q.貴方は渡欧選手の先駆者でしたが、コーチとしても渡欧の先駆けとなりたいですか?
A.100% そう思う。それが私の大きな野心でもある。海外にコーチとして出てみたい。欧州かアジアの評価の高いリーグで指揮を執ってみたい。代表監督の任務が終わり私の望む時期であるならば…
Q. 貴方は昨年、オーストラリア代表は Asian Cup で優勝できることを信じていると言っておられましたが今尚そう思っていますか?
A. もちろん。日増しに、ピッチ外でのより優れた要素が報告される限りはベストチャンスが我々に与えられるであう。大会直前にシンガポールで2週間半に渡り仕上げの合宿が出来る事、そして選手達が残りのシーズンを大会まで怪我をせずに過ごせるのならは幸せこの上ない。
Q. Tim Cahill, Harry Kewell, Josh Kennedy そしてCraig Moore の復調具合はいかがでしょうか?
A.すべての報告によると彼ら4人全ては Asian Cup 合流を希望しているが、身体的に準備が出来ているかは別問題だ。チェックをせねばならないであろう。もし Harry Kewell がシーズン終了までに2~3試合プレー出来ればかれは100%の調子を取り戻すであろう。 Tim Cahill はひたむきに回復に取り組んでいるしかしその回復具合を見なければならない。Kennedy はワールトカップ以来ボールを蹴っていない。 Craig Moore は怪我で不遇なシーズンを送っている。彼ら4人全てが大きな心配の種である。しかし例え彼らあいなくても我々はこれまで一通りの事を披露してきた。もちろん彼らが還ってくればこれほどファンタスティックで豪華なメンバーは形成出来ない。
Q 最終決定をするまであとどれほど時間が必要でしょうか?
A. 6月2日シドニーでのウルグアイ戦迄にはメンバーを決めたい。もし彼らがウルグアイ戦に準備できていなければ、また6月21日のシンガポールキャンプに帯同するまでのコンディションで無ければ、多くを必要とする大きな大会に向けて50%の仕上がり具合の選手は連れて行けないであろう。
Q. Asian Cup に就いて言えば GK Scwarzer の控えとして2名招集しますか?
A.もちろん。それは正しい答えだ。それはそこは大変オープンだ。恐らく6人ほどの Mark Schwarzer に何かが起きた時の控え候補がいるが、まだ第二GKは見当たらないそして第一GKも。Schwarzer が第一GKであるのは間違いない、彼を押しのけるまでのGKが出て来るまで。何人かのGKを試したがまだそのポジションは開いている。
Q 五輪候補の選手は十分なアピールをしましたか?
A. 私が見た幾つかの試合では2,3人の選手が印象に残った。5月16日アデレードでのイラン戦に行き五輪チ ―ムの Rob Baan コーチと誰をA代表に引き上げるべきかを話すつもりだ。そしえ何人かの若い選手は Asian Cup に練習メンバーとして帯同させ、何人かはメンバーに入れるであろう。
Q. 2010年のワールトカップに関わるかどうかは別としてオーストラリアはアジア地区予選を突破出来るかの予想をお願いします。
A. 私は自信を持っている、そして心配も持っている。我々はまだ才能のある選手を抱えていると信じているので自信を持っているが、心配もしている。なぜなら前回は水曜日に6試合予選の試合が行われたが、土曜日か日曜日に欧州で試合をし長距離を移動し短時間で準備を行い水曜日の試合に臨む。その心配事は莫大だ。
Q. 最後にまだワールトカップ予選突破の為には Big Name が 必要と言う理解がありますがそれについては同意しますか?
A. Big Name は何も保証してはくれない。多くのそれが機能しない状況を見てきた。ある名前を挙げよう。 Terry Venables 、1997年彼の下でプレーをしたがそれは我々が最もワールトカップへの近道であった。しかしワールトカップには行けなかった。それは文化の理解であり、選手の理解でありそして国際サッカーの理解でもある。全てが共存する。もしあなたがそうしなければ、あなたがだれであれ成功は見られないであろう。
その ASIAN CUP への期待を担うのが長期離脱している Harry Kewell, Tim Cahill そして Grella の復帰だろう。Liverpool は公式発表を控えているが Rafael Benitez 監督はUEFA Champions League の秘密兵器として Kewell の復帰を期待しているようだ。
4月最初の Reserve Game の Sheffeld United 戦での復帰が示唆されたが Pako Ayestaran アシスタントコーチがまだフィトネスのレベルが“五輪レベル”に達していないとの判断で見送られた。
4月28日の Premier League の Portsmouth 戦か4月30日の Reserve Game の Everton 戦でのプレーが考えられそのパフォーマンスによっては5月1日の Champions League の Chelsea 戦のベンチ入りも考えられたが Portsmouth 戦はベンチ入りせずチームも 1-2 で敗れた。 しかし Liverpool のスポークスマンは “ Harry は回復に向かっておりその回復ぶりも順調そのもの“と地元紙 The Sun Herald に語っている。
“我々はその復帰時期を胸算用はしない。なぜならチームドクターとフィジコは Harry 自身が満足にそしてハッピーに復帰を果たして欲しいからだ。我々には Champions League 、Premiership そして Reserve Game を入れて数試合が残されている。
Liverpool のThe Sun Herald を通じた公式発表ではメディカルスタッフは Kewell に Go サインを出しているが彼の comeback は今 Ayestaran アシスタントコーチに委ねられているらしい。
Portsmouth 戦の復帰見送りはAyestaran コーチが Champions League 圏内の4位以内でシーズンを終える事を優先させた為と言われているがその Portsmouth 戦には黒星を喫してしまった。
オーストラリア代表監督を喜ばせるもう一つの知らせは Tim Cahill がASIAN CUP には間に合いそうだと言う事だ。Everton のスポークスマンは The Sun Herald によると “ Tim の回復具合は順調で ASIA CUPへの出場も期待出来、来季に向けての良いシーズンオフが過ごせるだろう“と語ったらしい。
Liverpool も Everton も二人の ASIAN CUP 出場は歓迎している。この二人は今季ほとんど所属先のユニフォームを着て試合に出ておらずオーストラリア代表としてASIAN CUP に出場することこそ最高の “ Recovery Program “ になると見ている。
昨年6月ワールトカップでの Croatia 戦以来どの試合にも出ていないKewell は ASIAN CUP に出場する事を既に決心していると伝えられている。
2004-05 のシーズンから代表チームの選手達は 2005 FIFA Confederations Cup, 2006 FIFA World Cupそして2007 Asian Cup と大きな大会続きで疲弊しているので、 Arnold 監督は、Kewell, Cahill の二人がフレッシュでしかもプレーする事に“飢えている”と言うことは大切な事だと語る。
しかし、怪我で Asian Cup の出場が100% 出ないのはこの二人だけではない。Serie A Parma 所属の Vince Grella は4月18日のフィオレンティーナ戦に後半36分から約10分間プレーをし3月18日シエーナ戦以来4試合振りに出場を果たした。以降パレルモ(後半23分から)カリアリ(後半34分から)連続出場を果たしはしているが ハムストリングの負傷の回復が思わしくない Newcastle United 所属のCraig Moore は4月14日の Portsmouth 戦の前半30分でベンチに下がり次節のChelsea 戦はベンチ入り出来ていない。
Arnold 監督は “ 過去からの15人の中心選手に頼るよりも35名ほどの選手を幅広く見ていかねばならない“と語っている。今年は A League の中からも積極的に代表チームに選手を招集し実際に試合で起用もしているが五輪予選との兼ね合いもある。 A League は既に2月に終了しているので5カ月以上実戦から遠ざかっていると言っても過言ではない選手もいる。それでも過去の実績にこだわるのかその時点で披露出来るパフォーマンスを優先させるのか?例えばほぼ1年間ボールを蹴っていない Kewell をスタメンで起用するのか伸長著しい Melbourne Victory の Thompson を起用するのか? Vince Grella , Craige Moore の復調に賭けるのか、Sydney FC ( 来シーズンから Perth Glory ) の若い Nicolay Topor Stanley を使うのか?
欧州組みか国内組(豪州組)かで悩むのはオシム監督の比では無い様だ..... 続く
オセアニアは南に離れているが、経度は差がないので時差に身体が順応しづらいと言う事は殆どない。それでも10時間以上飛行機に乗るというのは身体には良いものではなく最近はさらに疲れが取れなくてなかなか仕事にならない(その前に勤労意欲がさっぱり上がらない)期間がだんだんと長くなるなぁ。
Philip Cocu Sydney FC の Marquee Player に?
ワールトカップ1998,2006 年大会にオランダ代表の中心選手として参加した元 PSV Eindhoven の MF Phillip Cocu が今秋(南半球のオーストラリアでは今春)からの新シーズン開幕に向け Sydney FC が物色に動いているらしい。しかしそれは現監督のBranko Culina がチームに残るかどうかによるらしい。Sydney FC と Cocu の接点はどこにあったのだろう? Branko Culina は オーストラリア代表選手Jason Culina の実父。Jason は昨年のワールトカップでは日本戦を含めて4試合すべてにフル出場。大会前には当時の代表監督であった Hiddink 氏に見いだされて PSV Eindhoven に渡りそのままレギュラーとして定着した。Jason Culina とCocu はPSVではチームメイトであったことがその接点だったのか?Sydney FCは昨シーズン初め看板選手Dwight Yorke がRobbie Keane 率いる Sounderland に移られてしまい戦力的にも、興行的にも穴埋めが出来ずシーズンを終えたが、新シーズンはCocu の他にもPierre van Hooijdonk (Feyenoord) Patrick Kluivert (PSV), Andy Cole (Portsmouth), Robbie Fowler (Liverpool) Kevin Phillips (West Bromwich Albion) にも触手を伸ばしているとか。
Cocu については Branko Culina 監督が新シーズンも指揮を執る事になれば契約締結は現実を帯びてくるらしい。
それは今行われている Asia Champions League の結果次第という事になるらしいが。
しかしそれ以上にネックとなるのは“サラリーキャップ制度”。これについては世論も肯定的で、昨シーズン Sydney FC がこの制度に抵触したと事がシーズン終盤で発覚し勝点3が差し引かれてしまい、その結果 Final Series ではMinor Semifinal からの登場となってしまった。Sydney も退屈な街ではないので、そこでも生活を楽しむ事を視野に入れれば帯同する家族も気に入ってくれてサラリーの額が満足でなくてもプレーに集中出来るのでは無いかな??
4月25日 ホームでのPersik Kediri 戦に向けて
その ACL 、4月12日に悪夢の逆転負けを喫した Sydney FC は水曜日の Persik Kediri戦は絶対に負けられない試合となる。4月18日に New South Wales 州 Premier Ship 所属の Bankstown City と練習試合を行いAlex BrosqueとDavid Carney のゴールで 2-1 と勝利を納めた。Mark Rudan , Mark Milligan を負傷で欠きNikolai Topor-Stanley とRuben Zadkovich が五輪チーム合流でいない中Bonnyrigg White Eagles に所属するJason Kencevski と Englnad からやって来た David Swanick をトライアルとして起用。来シーズンに向けて Sydney FCとの契約に至れるだろうか?またGKにはClint Bolton ではなく第二GKのDean Bouzanis が起用され怪我で離脱していたRobbie MiddlebyとJacob Timpano の二人が復活しを果たした。 Middleby は3月20日の浦和戦で途中負傷退場していた。
4月25日、Anzac Day にParramatta Stadium で行われるこの試合にはZadkovich とDavid Carney が累積警告で出場出来ないのでこの二人の復帰と長く離脱していたTerry McFlynn の回復は明るいニュースだ。
北京五輪に黄信号?
4月19日にサウジアラビアのPrince Mohammad bin Fahad Stadium で行われた五輪予選、オーストラリアは.サウジアラビアに 2-1 で敗れ、同日アウェーでヨルダンを 3-0 で降したイランに次いで Group D 3位に落ちてしまった。
オーストラリア五輪チームは A-League に所属するメンバー中心で組まれたが FW には English Premier のNewcastle United に所属する James Toroisi が初起用された。前半ロスタイムに Newcastle Jets のストライカー Mark Bridge のゴールでオーストラリアが先制。しかし58分に Melbourne Victory の Adrian Leijer がペナルティーエリア内でサウジ選手に後方から入れたタックルが反則を取られ、PKを献上した上に8分に続いて2枚目の警告を受けて退場となる最悪の判定を受け、そのPKをJaffin Al-Bishiに決められ同点とされると後は守勢一方に回り64分にYoussef al-Salemの鮮やかな逆点ゴールを喫し、その後Melbourne Victory のKristien Sarkies ヘディングシュートがゴールを割り同点ゴールと思われたがオフサイドの判定でノーゴールとされる不運もあり、そのまま挽回できずに五輪予選初黒星を喫した。次節は5月16日、Adelaide Hindmarsh Stadium にイランを迎えるがこれも絶対に負けられない試合となってしまった。2月28日はテヘランで 0-0 と引き分けたがこの試合にはBen Griffin ( Queensland Roar ) Ruben Zadkovich ( Sydney FC ) そしてAdrian Leijer の3人の中心選手が出場停止となる。Zadkovich よ君はここでも出場停止かい? サウジアラビア戦での Olyroo のメンバーは下記の通り
Saudi Arabia 2
Australia 1 (Mark Bridge 46'+)
Australian line-up: GK : Danny Vukovic ( Central Coast Mariners ), Ruben Zadkovich ( Sydney FC ) , Adrian Leijer ( Melbourne Victory ) , Ben Griffin ( Queensland Roar ) (Peter Eleftherakis 60' : Adelaide Institute Sport ), Nikolai Topor-Stanley ( Sydney FC ) , Stuart Musialik ( Newcastle Jets ) , Kristian Sarkies ( Melbourne Victory ) Leigh Broxham ( Melbourne Victory ) (Adam D'Apuzzo 63' : Newcastle Jets ) , Bruce Djite ( Adelaide United ) (Nathan Burns 80' : Adelaide United ), Mark Bridge ( Newcastle Jets ) , James Troisi ( Newcastle United : English Premier).
Subs nots used: Dario Vidosic ( Queensland Roar ) , Troy Hearfield ( Newcastle Jets ) , Vince Lia ( Melbourne Victory ) , Tando Velaphi (GK : Queensland Roar )
警告: Leijer 8'/58', Griffin 40', Zadkovich 56', Musialik 70', Vukovic 84' 退場: Leijer 58'
アルゼンチン戦中止か??
6月6日 Melbourne Cricket Ground で開催予定のアルゼンチン代表とのゲームは“延期”されるとの事。この試合は6月2日のTelestra Stadium でのウルグアイ戦に続いて7月のアジアカップに向けてのテストマッチとされていたが、アルゼンチン側が欧州でプレーする選手達の招集が難しく Best Member を保証できないと通達があったので延期を決めたとの事。 FFA 側も Best Member なら意味が無いと6月の試合の見送りを決めたらしい。その替わりに年末にオーストラリアにアルゼンチンが遠征する事を示唆されたらしい。この FFA の決定、そして事前交渉はどこかの協会も見習うべきだ。この際キリンカップが終わったら大会前に日本はメルボルン遠征を行ってはどうだろう??
Socceroo 達のその後…..
Socceroos での中心選手として期待されているSpase Dilevski が翌シーズンも続いてQueensland Roarと契約更新の交渉が行われているがかつてのSocceroos の守備を支えたTony Popovic が Roar のcoaching staff 入りするという話もある。Popovic はワールトカップではブラジル戦のみ出場し左サイドバックとしてスタメン出場し41分に Bresciano と交替でベンチに下がった。こうして Socceroos を支えてきたベテランたちは故郷に戻ってくるのかなぁ……….
韓国人達は静まり返ってしまった。子供達までいるのになぁ、と思っているとその直後に崔成国が右サイドを高速ドリブルで上がり、中に切れ込むそしてDF二人を引き付け、後半から登場した逆サイドの Kim Dong Hun に。フリーの Kim は落ち着いてワントラップを入れネアサイドに蹴り込み1点を返すゴールを決めた。今度は韓国人達が躍り上がって喜ぶ。そして Kim Dong Hun ! Kim Dong Hun !! の歓声に続き Choi Sung Kuk ! Choi Sung Kuk !! の歓声 そして御馴染の “テ~ハミングッ” “オ~ピルスンコレア!! ” の合唱が始まる。それにしても崔成国のスピードはさすがだ、そしてクロスやラストパスに正確さが備わって来た。また近い将来Jリーグでプレーするかも。崔成国がドリブルを始めると韓国人達からは “ Choi Sung Kuk ! Choi Sung Kuk !! “ のコールが始まる。その崔成国が右サイドで後ろから Valkanis に蹴られて倒される。何度も倒されているが今度はAdelaide サポーター達の MASH の合唱が終わっても起きれない。ピッチ内での治療が始まる。大事に至らなければ良いが、ようやく起き上がり一旦ピッチの外に出ると、今度はメインスタンドから大ブーイングだ。ラグビーやオージーフットボールの盛んな国なのでそれくらいで倒れるなとでも言いたいのだろうか?
64分に城南一和は二人目の交替選手、韓東元を孫大鍋に替えて投入する。城南一和が1点を返してからは両チームともお互いにカウンター攻撃が続く、一方が攻撃に転じると両サイドバックが開いてしまうので守っている方は簡単にカウンターでゴール近くまで迫る事が出来て、攻守の速い展開が続き見ている方は面白い。 Fernando , Dijite がゴール前に迫るがチャンスを得点に結び付けられない。70分を過ぎると Adelaide ベンチに動きが出てくる。71分には DF Alagich を替えて長身の Comthwaite が投入され、74分には大歓声に送られて Fernando がベンチに下がり、Spagnuolo が入る。これで Adelaide は左から Gouliding, Valkanis, Rees, Spagnuolo の4バックでその前に Constanza がボランチの位置に。 だが次のゴールを決めたのは城南一和。 Kim Dong Hun が右サイドをドリブルで上がり中の Mota に、ペナルティーエリアやや外からのミドルシュートは GK Bajic を破り試合を振り出しに戻した。ACLの初戦、第二戦と連続してゴールを決めた Mota が、この試合散々チャンスを逸した Mota がやっとゴールを決めた。韓国人サポーター席は狂喜乱舞と言ったところか?しかし、同点では喜ぶのは首位を行く山東魯能だ、どちらも次の1点が欲しくてたまらないはず。城南一和は崔成国を下げてルーマニア人FW Adrian Neaga を投入する。これで前線を Neaga , Kim Dong Hun の2トップにし、その下に韓東元を置くがもうほぼ3トップの布陣。Kim Dong Hun のボールキープが目立つが Adelaide も必死の守り、DFが二人、三人で囲ってシュートをブロックする。長身選手同士Kim Dong Hun と Spagnuolo のマッチアップは迫力がある。 Adelaide も大歓声に乗って逆襲に転じるが、Dijite がシュートを決められない、そしてGK金龍大も好セーブを連発する。すると今度は韓国人サポーターから歓声が上がりそのまま Adelaide ゴールに迫る。城南一和はDF Jang Hack Young が上がってきてミドルを放つ。 85分には Adelaide ゴール前で Mota にボールが渡り Valkanis がタックルでシュートを撃たせない。Mota は転倒しホイッスルが鳴るがこれは Mota のシュミレーションを取られてイエローカードが出る。 Adelaide サポーター達からは大ブーイングだ。そして90分を迎えるがロスタイムはまだ3分ある。城南が Kim Dong Hun のボールキープから Mota が放つがバーの上、そして Dijite が連続してシュートを放つがGK金龍大の正面に。そして最後は Mota がペナルティーエリアのすぐ外からフリーで放ったシュートはクロスバーのはるか上を越えてホイッスルが鳴った。このシュートでMotaは足がつったのか倒れて動けない。選手達が韓国人サポーターの前に挨拶にやって来ても起き上がれなかった。
おそらくこの日の夜、 Mota と Dijite は眠れない夜となっただろう。 まさに痛み分け、3試合を残しているが首位山東魯能とは勝ち点5の差がある。
Stadium のすぐ前で待っていたタクシーに飛び乗るとラジオからAdelaide United のAurelio Vidmar監督のインタビューが聞こえてくる。この試合を中継していた地元FM局からだ。多くあったチャンスを生かせなかったこと、そして相手GKの好セーブが勝ち試合を逃したことをコメントしていた。3週間前に Sydney FC もそうだが2点リードを守り切れないところは、リーグ戦が終わって1か月半以上が経っているので試合感覚、そしてフィジカルの面が鈍っている事は否めないだろう。
タクシーの運転手は Adelaide 在住18年のサッカー好きな中国からの移民。15分余りの乗車時間、サッカー談議に花が咲く。
-今の日本のサッカーはアジアでナンバーワンだ、それだけに昨年のワールトカップの結果は残念だ。韓国は体力とスピード勝負なので見ていて面白くない。
-中国はこれから強くなるのでは?若い良い選手が出てきている。方卓、郑智 に杜威。
-まだまだ、日本や韓国には及ばない。中田英寿は素晴らしかった。そして今は中村が良い。
- 1980 年代の中国はすごかった。賈秀全、馬林、柳海光 彼らの時代、日本はかなわなかった。ソウル五輪予選は負けた。
- そうそう、私もその時代の選手達が好きだ。よく知っているな。
しかし謝育新は私の発音が悪かったせいかわからってもらえなかった。正しい発音をすれば解ってくれただろうに。
Adelaide の印象を訊くと、住むには良い街だがビジネスチャンスは少ないとの答えだった。
翌日は1,2軒営業に回ってようやく帰国の途に着ける。珍しく寝る前にビールを飲んだらすぐに眠ってしまった…..
韓国国家代表及び五輪予選メンバーは下記のサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございました。
http://koreafootball.tea-nifty.com/topics/2007/04/post_1736.html#comment-12907555
http://koreafootball.tea-nifty.com/topics/2007/03/post_8426.html
かつて Beatles がオーストラリア公演を行った時にこの Adelaide からツァーを始めた。最初のAdelaide コンサートはRingo Star が病気で参加できず 替わりに Jimmy Nicole がドラマーを務めた。
2000年のシドニー五輪の準々決勝で日本五輪代表は準々決勝でアメリカにPK戦の末敗れたがその時の会場が今の Hindmarsh Stadium , A- League に所属する Adelaide United のホームグラウンドだ。そして昨年はここで女子のワールトカッフアジア゜予選が行われなでしこ達がこのピッチで戦った。
その HIndmarsh Stadium に Adelaide United は4月11日韓国の城南一和を迎えAsia Champions League の第三節の試合が行われた。両チームの所属する Group G は山東魯能が2戦2勝で首位を行き、同日の第三節の相手もホームにベトナムの Dong Tam Long An を迎えるので勝ち点3を挙げるのは予想される。従って準々決勝進出の為にも両チームとも絶対に勝ち点3が欲しい一戦だった。
競技場のチケット売り場の前には多くの人が当日券を求める。そして韓国の人達も。在留の人たちがほとんどであろう。学生の街らしく韓国代表のレプリカを着た若者が多い。こちらじゃなかなか城南一和のユニフォームは入手難しいだろうしなぁ。2004 年の ACL では横浜マリノスと対戦した。その時はスタンドの一角に黄色いユニフォームを着た一団が熱心な声援を手拍子を交えて送っていた。
そして当時マリノスでプレーしていた安垣貞へは結構なブーイングを飛ばす人達もいた。
地元 Adelaide はACL 1,2 戦でゴールを守った Beltrama に替わり Robert Bajic がGKのスタメンに。そして MF Matthew Kemp が外れて Diego Walsh が起用された。 Kemp は6月末まで Adelaide との契約が残っていたが契約延長はせずに7月からは Melbourne Victory でプレーすることに。また、チームの重鎮でもあった MF のRoss Aloisi が怪我の回復の見通しが立たずついに引退を発表した。 彼も ACL を楽しみにしていたはずなのに。 一方の韓国の城南一和。この試合は 韓東元、そしてルーマニア人の Adrian NeagaのFW をスタメンから外して、孫大鎬、そして崔成国の代表コンビをスタメンからで起用。代表組では他にも MF 金相植、金斗鉉 GK 金龍大、がこの前のウルグアイ戦に選出され、この試合はベンチスタートだったがDF 金台潤、MF韓東元が次の五輪予選のウズベキスタン戦に臨む五輪チームに選ばれている。もう一人金浩と言うDF 選手が五輪チームに選ばれているがこの試合にはメンバー入りしていなかった。 Adelaide United は FW の Burns, Dijte の二人が五輪代表でこの前のサウジアラビア戦を戦った。
スタンド内の入りは8割程度か?ここは専用球戯場なのでピッチが近い、さっそくゴール裏に行くと近くに韓国人の大応援団達が。
その横で10人ほど地元 Adelaide のファンがビール片手に応援を。既に何人かは出来上がっている。もちろん反対側のゴール裏には赤いシャツを着た Adelaide United の大サポーター軍団が控えている。つい2か月ほど前に終わった昨シーズンの A-League では Adelaide United はGrand Final に進出したが、そこで Melbourne Victory に 0-6 と大敗北を喫しそのままシーズンは終了。この試合のスタメンの殆どはその Grand Final でプレーをしたが中2か月を置いての試合で実戦感覚が心配なところだ。対戦相手の城南一和は現在 K League で首位を走る。
両チームの選手が入場する。気温は夜になると下がったが半袖がちょうどいいくらいで、観戦には都合がいい。
コイントスの結果、目の前にゴールは城南が守る事に。韓国応援団からは大歓声が送られる。何人かの選手は手を叩いて彼らの声援に応える。立ち上がりは Adelaide は MF Travis Dadd, FW Fernando Rech のボールキープが目立つ。 Dadd はかつて U-17,U-20, U-23 にも選ばれた選手で ギリシアの Panionis でもプレーし UEFA Cup ではイタリアのウディネーゼ相手にゴールを決めてチームを勝利に導いた。 Fernande はブラジル人の助っ人で昨シーズンは18試合に出場し7ゴールを挙げた。1997年には横浜マリノスにも在籍したらしい。 城南一和は立ち上がりから崔成国のドリブルが目立つがそのサポートが遅い。何度も Adeliade の波状攻撃を受ける。
14分には Cho Byung Kuk, 金斗とつながり Mota がシュートを撃つが DF Valkanis がコーナーに逃げる。そのコーナーから Mota がヘッドを放つがゴールポストに阻まれる。これが城南最初のチャンスであった。更に18分には崔成国が左サイドをドリブルで上がりフリーの Itmar に送るがシュートは外れる。 Adelaide も19分にはフェルナンドのボールキープから最後は Bruce Dijte に渡りフリーで放ったシュートは GK 金龍大が抑える。城南一和は右から Park Jin Sub, Kim Yong Chul, Cho Byung Kuk そして Jang Hack Yong の4バック。しかし、DFが上がった時のマークの受け渡しがいまいちスムーズにいかず、特に両サイドの後ろを突かれている。 Adelaide FW 陣、特に Bruce Dijte にもう少し決定力があれば得点も挙げられただろう。それでもシュートに持ち込みサポーターを沸かせるのは城南一和の方が多い。30分にKim Yong Chul と Constanzo のDF同士がハイボールを競り合い交錯し Kim Yong Chul が倒れる。すると Adelaide サポーター達から “ MASH “ の主題歌が合唱される。この映画は私も大好きで、テレビ版も有りよく深夜に放映され、何度も看たが、舞台は朝鮮動乱時の韓国に駐留する米軍野戦病院。そう言う事まで知っていての選曲ならば Black Joke としては効きすぎていないか?しかし、韓国人たちも何も言わないのだからそこまで知らないか? Kim Yong Chul は鼻血を出したがピッチに戻る。韓国人サポーター達からは歓声があがる。そしてこの時間帯、城南一和が主導権を握る。FW Iatmar のボールキープそして金斗鉉が攻撃に絡み出した。崔成国は右に左にポジションを変えてドリブルで切れ込んでゆく。しかし、Adelaide DF 陣も何とか持ちこたえ逆襲を狙う。これに Travis Dadd, Diego Walshu のMF陣が加わる。37分には左から右の Dadd にボールが渡りDFをかわしてシュートに持ち込むが最後は Cho Byng Kuk がスライディングでブロック。しかし、最後に弾んだボールが Cho の手に当たった様に見えた。 Dadd はハンドを激しく強調するが判定はかわらず。 42分にはCKから Diego Walsh がヘッドで狙うがGK金龍大がセーブ。そしてその直後も Nathuan Burns からのパスを受けた Walsh が再びショットを放つがまたも金龍大がキャッチ。結局前半はそのまま両者無得点のまま終わった。
ハーフタイムの間、大極旗を持ったサポーター達と Adelaide のサポーター達が記念撮影をする等のシーンが目に付く。 Adelaide United は地元では “ Reds “ と呼ばれているが、韓国人の中にはおなじみの Be the Reds のシャツを着ている人もいた。
この試合は“部外者”である私は第三者的にゆっくり試合を観られる。 United Supporter の一人に”インタビュー“を試みる。
-前半の戦いに就いての印象は?
-もっと、やれると思っていた。もっとスキルも高いし早く動けるはずだ。
-Grand Final が終わって1ヶ月半間が開いて Asia Champions League が始まった が城南一和は今シーズン中でしかも首位を走っている。この違いは感じるか?
-Adelaideも選手の何人かは五輪候補にリストアップされトレーニングは続けているはずだ。
-韓国側(城南一和)は代表選手が5人いるが、そのあたりは?もちろん United にも五輪代表候補がいるが。
-なかなかタフな試合だ。彼らはあたりも強いしスピードもある。
-最後に、 ACL のタイトルを取れば日本で開催される World Club Championship の出場資格を得られるがその時は日本に来ますか?
-もちろん応援に行く。日本には友人もいる。
俺ももっともっと英語を勉強しないとなぁ。 後半に続く
懐かしさと無念さがよみがえる。そしてその中に、ななななななななんと、我が尊敬する Johnny Warren のレプリカがあるではないか。胸には WORLD CUP 1974 と刺繍され、背中には9番と WARREN とプリントが。 ワールトカップ時に何人かの Aussie 達がこのレプリカを着ていてその後オーストラリアを訪問した時に少し探してみたが見つからなかったやつだ。
早速試着をして(と言ってもカッターシャツの上から着てみただけ)合ったサイズを持ってレジに。 レジの若いおにぃちゃんに“これがほしかったんだ。私は日本人だけど、昨年ドイツで多くの Aussie がこれを着ていて探していたんだ。”と説明。しかし、彼の反応はいまいち。
Kewell, Viduka ならよく知るがJohnny Warrenは名前を知っている程度。もう一人のおにぃちゃんは名前すらしらずに、“どこのポジションだ?”と他の店員に尋ねる始末。 思わず、“日本人の私が知っていてどうしてオーストラリア人が知らないの?”と訊いてしまった。
まぁ、今の日本の高校生に釜本を知っているか?と言っても名前くらいはわかるだろうが、ネルソン吉村を知っているか?と尋ねてもさっぱりわからないであろう。
そしてホテルのある街の中心街に向かう。 George Street, Pitt Street にも最近は Coles, Woolworth が出来たがこれが今大盛況。
今オーストラリアは在留邦人に言わせれば“まさに日本のバブル期と同じ雰囲気”らしい。おかでげ物価の高さには閉口する。コンビニでサンドイッチと600ml 入りのコーラのペットボトルを1本買っても AS$8.50 はくだらない。日本円にすると 約850円 也。日本だとこの半分以下だ。すべてがこんな調子。ランチなど AS$15 ~ AS$20 ( 1,500円~ 2,000 円)は当たり前。だからバックパッカー達は大挙して Coles 等のスーパーに行くのだ。ここだとコカコーラの 2L サイズでも AS$1.99 ( 199円程度 )で買える。パンにチーズそしてハムにミネラルウォーターを買っている人たちが夕方は特に多い。その殆どがアジア系か明らかにバックパッカーとわかるいでたちの人々。
アジア系の若いカップルが手を繋いで買い物をしている。学生かな?それとも若い夫婦かな?羨ましそうに眼で追ってしまう…….
そしてもう一つ私を含めて財布の中身が気になる人々の力強い味方が、寿司いや Sushi と言おう。
Sydney では10年以上前に中巻きサイズの海苔巻きを半分に切ったものがよく売れている。これは当時日本人の方の経営する Tokyo Roll と言う寿司ティクアウェィ店が始めたもので、この海苔巻きは長く “ Tokyo Roll “ と呼ばれて親しまれていた。今は多くの寿司ティクアウェィ店がシドニーにあるがどこもこの Tokyo Roll が売られている。それらは立てて陳列され中身が解る様にしたのが販売成功のコツだったらしい。 好景気によるインフレにも関わらずティクアウェィ寿司の値段はあまり変わらないので、食品機械業界に身を置く私としては、今回の出張ほどこの寿司を誇らしげに感じた事は無かった。 バックパッカーの金髪のカップルや地元の子供たちがこの Tokyo Roll を食べながら町を闊歩しているのだ。
私も前からお気に入りのティクアウェィ店舗で寿司を買ってホテルに戻る。今日は仕事も順調にこなして Johnny=Warren のシャツも手に入り後はゆっくりテレビでも見ながらメールを片づけるか…. そう言えば明日の早朝は Champions League が SBS でテレビ中継であったなぁ。SBSには頭が下がるよ。日本で言えば地上波で UEFA Champions League を生中継する様なものだからなぁ。
と、 テレビのリモコンに手を伸ばすが、何とテレビが点かない。何度やってもだけでレセプションの電話を入れる。すぐに担当者が来るが原因はさっぱりわからず。結局ホテルのスタッフがカードキーをもう一つ持って来て、“隣の隣の部屋が今夜はフリーです。テレビを見たい時はここの部屋を自由にお使い下さい。”と。 これには頭に来た(今から考えればそんなに怒る事でも無かったが。) そんな不便な事が出来るか、今から部屋をそちらに移るから手を貸してくれ。というと、“移らなくても良いです。2部屋お使い下さい。御代は1部屋分で。”と逃げる様に部屋を後にしようとする。 荷物運びなんてまっぴらと思ったであろう。さらに頭にきて“待て、コラッ”と日本語で叫んでドアを思い切りけり上げると本当に走ってエレベーターに飛び乗ってしまった。
仕方がないので自分で荷物を移すことに。あぁ、1泊しかしないのだから中身を出さねばよかったと後悔しながら。
そして引っ越しを終えて、鍵を返しにレセプションに降りると私の顔を見るなりさっきの男は裏に隠れてしまったので、もう一人の男性に事情を説明した。すると“今夜はもうチェックインする人もいないのでふた部屋お使い下さい”と言われたが、もし万が一夜に泊めてほしいと突然の訪問客があったらどうするのだろう…….
しかし、翌朝起床したのは午前6時半。 Champions League の Manchester United vs AS Roma 戦は終わっており試合のハイライト だけを看れた。 Manchester United は7ゴールも決めた。最初は何度も Replay をしているのかと思ったがそれが全部ゴールだった。 1st Leg でイタリアの警官達に傷つけられた無実のサポーター達の溜飲は大いに下がっただろう。
そして私は南オーストラリアの Adelaide に向かった。 この日の Adelaide は日中の気温 33度。 温暖化の影響もここに??? 続く
復活祭 Easter の真っ最中。そう言えばレンタカーもいつもはネットで容易に予約できるのに今回はかなり骨を折った。そしてその料金はこれまでのほぼ2倍。ホテルも Golad Coast の常宿はいつもの2倍料金で他をあたったがなかなか取れなくて、ようやく手頃な価格のホテルが取れた。そこは典型的な家族で訪れるリゾートホテル。一人でしかもネクタイを締めてチェックインをしたのは私一人ではないかな? 荷物を解いてすぐにお得意さんに会いに。そこで言われてしまった。“オーストラリアのカレンダーを送ってやるからそれをよく見て出張計画を組め。Gold Coast は観光地だからレストランだって開いているけど、他の街は閉まっているぞ。みな休みだぞ。”
それでも従業員の人数名と合わせて時間を作ってくれて商談やら、終わってから食事に行ったり何とか仕事はこなせた。
翌日ホテルのロビーで Celtic のレプリカを着ている男性が。寄って行って “ NAKAMURA !! “ と声を掛けると、中村の賛辞を2,3口に出しながらかれの方から右手を差し出す。 Champions League での AC Milan 戦そして Manchester United 戦の立ち話をする。
この時私はネクタイを締めていたが、今回の出張は仕事がおわると大概 Celtic の Nakamura のレプリカ(と言ってもタイで買ったやつだけど。)を着て街を歩いた。もっと気温が低いと思い、半袖のシャツはこれしか持ってこなかったからだ。
しかし、これを見て結構な人が声を掛けて来る。特に Perth では毎日5~6人の人が、そしてホテルのレセプションの人達も声を掛けてきた。訊いてみると彼らの中の半分はIrish 系だった。その昔 Celtic はカソリック系のシンボルと言われた時期があったが Ireland もカソリックが多いのでそういう関係があるのかも知れない。 Perth, Auckland のIrish Bar は Celtic Fun Club のメンバーの“巣窟”となっているらしい。 中には Celtic の Tattoo をしている人も。そして2004年の Champions League の サンシーロで行われたAC Milan 戦を観に行った人もいた。
Auckland には Celtic ファンご用達?としての有名な Irish Bar がある。昨年英国紙にも紹介された PUB だ。プールバーの壁には選手達の直筆のサインが入れられている Celtic のユニフォームが展示されている。いつの時代のものなのか?そこの初老の男性と話をした。中村俊輔がManchester United 戦で決めた2本のFKの事や訪問時に少し噂になっていたベッカムのCeltic 移籍の噂話( これについて彼は“ポッシュ(ベッカム夫人)が Glasgow に来るわけないだろう。” と切り捨てた。)1967 年に UEFA Champions Cup のタイトルを取った時はまだ移民してくる前だったということ。 すごい訛りの英語だったけど彼がいかに Celtic を愛しているかが分り、こういう人と Celtic Park に行き、中村俊輔のFKを一緒に見たいなぁと思った。
Brisbane, Gold Coast 地区を巡回するには上記した通りレンタカーを借りるのだが、ドライブインでプリペイド携帯のリチャージカードを買おうとした時、私の携帯ストラップを見た女の子が隣の男性の店員に嬉しそうに話かけだした。“見て見て、これ Bayern Munchen よ。ドイツの有名なFootball チームよ….” そこで私がドイツ語で話し掛ける。彼女は驚いたようにこちらの話に応じる。訊けばオーストラリアに来て4か月。寒い欧州と異なりここにずっといたいとの事。 Working Holiday かな?故郷は Nurnberg 。ワールトカップでは Croatia 戦があったところだ。昨年ワールトカップ観戦に出掛け、私がそこを訪れ日本代表の試合を観戦した事を話す。その間隣の男性は話題に入れない。 日本人が偶然持っていた携帯のストラップに故国を感じたのだろう。 気持はわかるなぁ。
Brisbane のある公園で記念碑を見つけた。ベトナム戦争時にオーストラリア政府はアメリカ軍と共に南ベトナム政府軍を支援し兵士を従軍させた。その記念碑にはオーストラリア国旗と今は無き南ベトナム国旗が描かれていた。 オーストラリアにはベトナムからの移民も多い。私はほとんどが70年代終わりのベトナム戦争が終わって数年経ってからの難民達だと思っていたが、中には北ベトナム共産軍(通称ベトコン)から逃れる為に、また共産圏政権から逃れる為にオーストラリアに渡って来た人も多いらしい。
アジアカップでは日本は1次リーグをベトナムで戦い、オーストラリアはタイで1次リーグに臨む。これが逆になっていれば......
今シーズンの ACL では Adelaide United がベトナムのDong Tam Long An と同組で3月21日にはアウェーながら 2-0 で快勝している。最終節の5月23日は Adelaide でこのカードが行われるが、ベトナムからの移民達は Dong Tam Long An に故国を重ねるのだろうか?? 日本で生まれ、そこから離れて生活を築いた期間が短く、今日本に生活基盤のある私にはわからない事がこの国にはたくさんあるのだろう。
3月末にニュージーランド入りして。約1週間の滞在を経て再びオーストラリアに。そのニュージーランドでは仕事はまぁまぁ順調にこなしたが、今回の滞在はろくなもんではなかったなぁ。
まず、期待していた UEFA Champions League の中継が見られなかった。試合のあった4月4日、5日(ニュージーランド時間)はChristchurch に滞在。常宿のホテルは Sky Sports を見ることが出来、実際に昨年の今頃はここで Champions League の試合をテレビ観戦した。しかし、Sky Sports 1 ではCricket の世界選手権そしてラグビーのスーパー14が Sky Sports 3 で中継され Champions League は放映されず。そういえば昨秋、中村俊輔が Manchester United 相手に FK を決めた時も Christchurch にいたがテレビ中継は無く、UEFA のWEB SITE を通じて試合経過を知ったなぁ。今シーズンは New Zealand のSky Sports は UEFA と契約していないのかな?
そして最も腹が立ったのは空港の職員たち。Christchurch からWellington に移動する時きっちりエクセス料金を請求された。
この区間だけ Qantas ではなく Air New Zealand を使ったのがいけなかったか?同じ Star Alliance Group の Singapore Air の Frequent Flyer Card を見せても効果なし。Lufthansa なら効力あったのだけど。
会社負担とは言え、他の乗客はほとんどおとがめなし。確かに安チケット(こんなチケットで業務出張をさせる会社も会社だが)には手荷物の上限は20kg までと書かれている。エクセス料金を払ってからいやみっちく、あいつの荷物は何キロだ?どんなチケットだ?と しつこく訊いてやったら、チェックイン時間が迫っているから早く行けと言う。いやまだ40分近くある。と押し問答。しかしこれ以上進展などあるわけもなく出発ゲートに向かった。もちろんデスクを思い切り蹴飛ばして。
翌日 Wellington からオーストラリアに脱出するさい。今度はエクセスは取られず。Qantas の Frequent Flyer Card が効いた。黄門様の印籠のごとく?職員のおねぇさんは“Cairns までのタグを貼っておくが、荷物は Brisbane 空港で必ず Pick Up する様に。”と忠告。しかし、このルートは初めてでないので Cairns 空港も国際空港なので税関もあるのだけどと言うと、Regulation が替わっているはずなので Brisbane 空港で必ず Pick Up してください。の一点張り。 Cairns は1泊しかしないのでもし荷物がそこで戻ってこなければ残りの行程、想像するだけでも惨め。 Brisbane 空港に到着して一旦入国手続きをして荷物の出てくるコンベアーの前に。しかし、荷物は出てこない。とりあえず Lost and found にコンタクトすると“荷物は Cairns までスルーで送られてるのでここでは Pick Up 出来ない”とカウンターのアジア系のおじさんが。 心中ほら案の定、と思いつつ事情を説明すると、彼はなにやらトランシーバーで誰かを呼ぶとかわいらしい空港職員の女性が。再び事情を説明すると、そこはてきぱきと2,3人の関係者に説明し再び入国手続きの向こうに連れ出してくれ、次のボーディングゲートに。途中で荷物の心配を説明すると、あるカウンターに連れて行ってくれてそこの担当者に事情を説明してくれて確認を取ってくれた。
エクセスを請求しない Qantas そして親切だった Brisbane 空港の職員、いつもは泣かされる事が多い彼らだけど、今回のニュージーランドの対応と比較するとありがたく感じてたまらなかった。とはいっても最終的に安心できたのは Carins 空港で自分の荷物を見つけられてからだけど。
ニュージーランドもオーストラリアも日本人だと英語が出来ないと思ってなめた態度をとる白人が多い。これは現地の日本人を含めたアジア系の移民が語っていた。自分の土地に入ってきて勝手に商売して儲けやがてと思っているのだ。
しかし、ならば言わせてもらおう。オーストラリアは元々アボリジーニの土地でニュージーランドはマオリの地だ。白人たちこそ入植、そして流刑されてきたのだ。
Cairns は 氷雨の Wellington と異なり亜熱帯の気候。気温、湿度も高く時折にわか雨が。昨年の3月末頃ここに来た時は記録的なハリケーンが過ぎたばかりで中心街では停電のおこるところも。今年はソロモン諸島沖の地震、津波の影響を案じて避難勧告が出されたらしいが波の高さは最高でも20cm だったらしい。地元の人はサーフィンも出来やしないと苦笑していた。最もここはサーフィンでは有名でなくダイビングが有名。この地区限定の野生の熱帯魚がじっくりとみられるらしい。ダイビングは一回挑戦したいなぁ。
朝、ジョギングをしていると迎撃用の大砲が一門展示してある。第二次大戦中にここからオーストラリア兵士達がオランダ軍等に従軍する為に出兵したらしい。そして日本の侵攻に備えてこういう武器がここに並べられたとの事。実際に使われた事はあったのだろうか……
またひとつ宿題が増えたみたいだなぁ。 そして私は次なる訪問地、 Brisbane , Gold Coast 地区に向かいました……