Mr.コンティのRising JAPAN

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日の丸飛行隊再浮上はなるのか?

2006-02-14 | 冬季五輪
現地時間の11日に行われたスキージャンプ Normal hill、日本人選手はトップ10内に一人も入らなかった。ノーマルヒル でのこの結果は1992年アルベールビル以来だ。優勝は Norway の Lars=Bystoel 。Lillehammer 大会の Bredesen ( Large Hill ) 以来の金メダルを母国に齎した。今季 World Cup では岡部が4位に入った1月4日の Innsbruck 大会で優勝したが、まさか Ahonen ( Finland ) らを抑えて勝つとは思わなかった。前回の Salt Lake 大会以降、世界では若手の台頭や Ahonen Hautamaeki ら Finland のベテランの巻き返し、そして Poland のAdam Malysz がやや停滞気味(今季 World Cup では未勝利 )で激戦の年であった。要するに絶対的な優勝候補がいないと言う事で日本人選手にもチャンスはあると見ていたのだが。2位には Finalnd の Hautamaeky 3位には1月21日、22日の World Cup 札幌大会に出場し Normal 2位、 Large で優勝した Norway の Ljoekelsoey が3位に入り、 Ahonen は6位、 Malyszは7位に終わった。前回2冠の Simon Amann ( Switzerland ) は本五輪には出場しておらずと言うよりも前回五輪以降姿を殆ど見せていない。 日本で最高位だった伊東大貴は18位。3位 Ljokelsoey とは21点離された。飛距離を比較すると9.0m 空けられた。やはり2本とも100m以上の距離を出さないとメダルは届かないと言うことか。元々ジャンプ競技は Norway の独断場であった。戦前は Norway にRuud=Birger と言うジャンプの神様と呼ばれる選手がおり、1932年の Lake Placid 1936年のGarmisch-Partenkirchen 大会で金メダルを連続して勝ち取った。その Birger に迫った日本人選選手がいた。1932 Lake Placid 大会で8位に入った安達五郎だ。小柄な安達の飛型に欧州関係者は驚いたと言われる。そして翌 Garmisch-Partenkirchen 大会では伊黒正治が7位に入る。金メダルの神様 Briger とは2.5m差しかなかったらしい。そして転倒をしてしまったがもう一人の参加選手龍田俊次は飛距離では Briger を上回っただけに悔やまれた。しかし当時伊黒、安達22歳 龍田21歳 もう一人の 宮嶋巌は20歳 で次回1940年に開催予定であった地元札幌五輪に大いに期待が寄せられた。しかし、ご存知の通り戦争は全てを持っていってしまう。戦後、敗戦国日本も様々な面で復興を果たすが冬季五輪のメダルは遠かった。しかし戦前から冬季競技の中で体の軽い日本人の特徴を生かせる種目と当時から関係者に期待されていた種目であった。 そしてついに1966年 Oslo での世界選手権。藤沢隆が2位に入る。2年前の Insbruck 五輪では複合競技に出場した
選手だった。この世界選手権1回目は4位につけ、その後天候が悪化。2回目の試技が行なわれるかのジュリー会議が開かれた。日本コーチ陣はひたすら打ち切りを願ったらしい。そうすれば史上初の五輪、世界選手権での入賞者が誕生する。しかし天候が回復し2回目が行なわれる。すると藤沢は大飛行を披露 Norway のWilkora に次いで2位に入った。しかし2年後の Grenoble 五輪では70m級で26位、90m級で18位とメダルには遠く届かない。時を同時にして後に日本史上初の金メダルをもたらした笠谷幸雄が出現する。しかしそれも長い道のりを経ての事だった。Insbruck 五輪では70m級23位、90m級11位。Grenoble 五輪では70m級23位、90m級20位に終わっていた。しかし1970年 世界選手権Vysoke Tatra 大会でついに 70m 級で2位にはいる。そして90m級では藤沢が6位に。その後の札幌五輪での快挙はここに記すまでも無い。だがその栄光の陰にはこれだけの積み重ねがあった。そして笠谷の快挙には藤沢といったライバルがあったから生まれたのは言うまでも無い。札幌五輪で日本人に独占された表彰台には戦後の先駆者藤沢の姿は無かった。1回目4位につけながら(1位~4位までを1回目は日本が寡占した)2回目の失敗で23位に沈んだ。しかし、報道陣で沸く試合後メダリスト達は彼を表彰台に呼んだ。藤沢を含めて日の丸飛行隊だった。 そして24年後の今。ラージヒル、団体で何とか巻き返しをはかるジャンプ陣に奮起を期待したい。。


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