ホントに!暫くぶりの更新です。
前回は平成時代で、今回は令和の時代となりました。
しかし、ですよ、平成から令和へ、ホントにホントに、何でも、かんでも、どうでもいいことまでも、平成最後とか、令和はじめてとか、世の中は馬鹿騒ぎ!
騒いでいる連中も、表情の後ろに? 瞳の奥に、どこか冷めている、匂いが、影が、漂っている様に見えました。
でも、でも、騒いでいたのは極々少数で、ほんの一握り。マスコミは少数の珍しい事、面白いことを報道するのです。
この間の10連休騒ぎも、約8割は、何処にも出掛けず自宅で、近所で過ごしていたのです。まあ、そんな風景を報道しても面白くないのです。
高速道路の渋滞、駅や空港での混雑、そんな連休風景の報道を、家で眺めるのが、うつうの、日本の、連休風景なのです。
それにしても、騒いだ奴も、それを、面白おかしく報道する奴も、何でも、かんでも、兎に角、騒ぎたい、馬鹿になって騒ぎたい、そうじゃなければ、馬鹿馬鹿しくて、情けなくて、やってられね~んだョ!的な、末期症状の現れ?
でも、まあ、人間、自分の見たいものを、見たいようにしか見ない!、見えない!ので、これは、私自身が、もう、末期的状況に至っているのかも?
それで、一年365日、大型連休のわたくしも、世間様に合わせて、「改元記念連休」中は、録り貯めしたテレビ番組を観たりして過ごしていたのです。
それで、先ずは、BS朝日のドラマ「離婚なふたり」なのです。
理想的夫婦ドラマを書く売れっ子脚本家の、実生活とのギャプを、面白おかしく、悲しく、寂しく、ほんのり暖かく、そんな物語。
脚本家の夫を演じるのが「リリー・フランキー」、専業主婦の妻を演じるのが「小林聡美」です。
まあ、ドラマとしては、それなりに面白かったのです。ラストはいろいろあって元の鞘に収まり、良かった、良かった、で、終わらないところが良かった。それでも、それなりのハッピーエンドだと思いました。
但し、一番大事な場面の、大事な台詞が、「論理的」に矛盾しているのです。ドラマとして成立しないのです。
それは、ドラマの中で、あの、小津安二郎監督の「東京物語」が、夫婦の理想的な形として語られるのですが、画かれている夫婦は、定年を過ぎた夫「平山周吉」と、専業主婦の「とみ」
周吉を演じているのが「笠智衆」で、「とみ」は東山千栄子です。
ドラマの平山周吉と、演じる笠智衆とを、ごちゃ混ぜにしているのです。
それは、東京物語の場面に合わせて、熱海の海岸で、やり直したいと告げる脚本家の夫に対して、妻が言った台詞です。
『あのときの笠智衆の歳判る?49歳よ、もう遅いわ』と云ったのです。
おかしいです。映画「東京物語」の話です。そのなかに画かれている夫婦の話です。
演じている役者の年齢とは関係ないのです。平山周吉は定年を過ぎ、60歳を越えていると思います。少なくとも当時の定年の55歳は越えています。
演じている役者、笠智衆の物語ではありません。
脚本としても、矛盾することは、承知の上での台詞なのでしょう。まあ、たぶん、気付かれないし、気付かれたとしても、ストーリーの展開として、それなりの許容範囲としたのでしょう。
でも、私としては、許容できません。まあ、世の中には、何の関係も無いお話。
そして、また、もう一つ、夫婦のドラマ。こちらは、私としては、とても、とても、あり得ない場面を観てしまったのです。
それは、NHKBSの「我が家のヒミツ・小説家の妻」です。夫は直木賞作家ですが、今は落ち目の小説家で演じるのは岸谷五朗、妻役は佐藤仁美。
この夫婦、毎日、決まって、昼は家で”そば”を茹でて食べるのですが、そのシーンで夫が残したそばを流しに捨てるのです。
その間も二人の会話は続くのですが、そばを残し捨てる行為に対して、妻は、別に、触れる事は無いのです。まったく、当たり前の、当然の行為として、自然な流れとして残したソバは捨てられるのです。
今の時代、食べ物を残して捨てる行為は普通なの?
でも、しかし、この夫婦は、昼は、いつも二人でソバを食べるのです。毎日毎日一緒に暮らして、毎日毎日ソバを食べているのです。食べられる量は、当然、判っているはずです。
二人で向き合って食べるだけでは、絵に動きが無く、夫を途中で立ち上がらせ、残ったソバを流しに捨てる、会話の中に動きを入れる、只それだけで、ソバを捨てる演出したの?
この時代、たばこを吸う場面は極力避けているようですが、食べ物をためらいも無く捨てる演出は、今日的には未だ許容されているの?
格差と貧困が、食品ロスが、問題となっている今、やっぱり、NHKの職員は、特別に恵まれているの?
特別と云えば、以前、NHKのニュースで、「待ちに待ったトラフグの季節がゃって来ました」と、嬉しそうに顔を崩して、アナウンサーがしゃべるのを目撃しました。
そのとき、市場の取引価格で一匹が4万円とも伝えていました。NHKの方はフグの季節が待ち遠しいようですが、私に関係の無い話題でした。
私がフグ刺し、ふぐちりを召し上がったのは、数十年前に只一度、仕事関係のお客さんを接待した、その時だけ、それが、一生で一度の、唯一のフグとの対面でした。
まあ、ふぐを食べるのは、絶対、絶対、無理ではありませんが、ふつうに考えると無理な食材です。
金額に見合うほどの旨さとは思えないのです(一度しか食べてませんが)。まあ、お金持ちにとっては、金額に見合う、それなりの旨さなのでしょう。
まあ、本日は、重箱の隅を突くような、僻みっぽいような、つまらない話をしてしまいました。
令和、はじめての更新でした。
それでは、また。