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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

御上に逆らう事で生じる不自由と!従う事で生じる不自由を天秤に掛けると安倍政権は安泰で日本は終わる?

2016年04月27日 | 世間話し
世の中には、世の中を動かす側に成りたいと思う人が居る訳です。

そう云う人は、キャリア官僚になったり、国会議員になったり、はたまた、マスコミ関連にも混じっていたりするです。

動機は、それぞれに、いろいろですが、兎に角、自分は、動かされる側よりも、動かす側に立ちたいと願っている方々が居るのです。

こう云う方々の発想としては、自分のやる事に文句を付けられるのを嫌がります。兎に角、グチャグチャ云わず、黙って俺に付いて来い!なのです。

世の中を動かし治める側としては、言論の自由とか、報道の自由とか、個人の尊重とか、は芳しくないのです。

個人よりも公共が、国家が、上位に位置した方が、治め易いと考えているのです。確かに、治める側としてそうなります。

治める方が、治める能力に秀で、治められる側の都合も理解し、絶対に誤りを犯さない、とても、とても、立派な方であれば、治められる側としては、いろいろ制限されても、それなりに世の中は回っていきます。

でも、しかし、これまで、絶対に過ちを犯さなかった指導者は居ません。人間ですから、いろいろと過ちを犯します。そのとき、それを指摘できない世の中は、いつの日にか回らなくなります。

それなりに、治める能力に秀でても、過ちを犯すのですから、ましてや、治める能力に問題がある方が、世の中を動かし、その批判も封じたら、これは、もう、お終いです。


動かす側を批判するなら、反対するなら、文句を云うなら、自分の思うように、世の中を動かす側に、なったら? との声が聞こえてくるのですが、世の中、“そうは烏賊の金玉”なのです。

かなり、御下品な表現になりました。兎に角、そう云う指導者は、とても、とても、下品なイカのキンタマなのです。

と、云う事で、いろいろあって、過去を踏まえて、人類の知恵として、権力に縛りを掛けるのが、兎に角、立憲主義なのです。

能力のない指導者に限って、批判されたり、反対されたり、文句を云われたり、そう云う事を、とても、とても、嫌うのです。

でも、以前にも書きましたが、批判すること、反対すること、文句を云うこと、これらに対して、世間では、あまり、肯定的でない風潮があり、能力の無い指導者を助けているのです。

批判とか、反対とか、文句とかは、“御上に逆らう”と云ったイメージが強いのかも知れません。

日本の歴史をふり返って、御上に逆らう事で生じる不自由と、従う事で生じる不自由を天秤にかけると、逆らう不自由が、従う不自由を上回っていた? 

日本の歴史に、それほど詳しい訳ではありませんが、従う事は、それなりに信じることです。以前、何かで、聞きかじったのですが、人間は信じて行動する方が結果は安全だと、聞いたような?気がします。

そして、また、人間は、多数の側について行動する傾向があるとか?これも、多数に付いた方が結果は安全とか・・・・・・。

と云う事で、御上と多数派には適わない?

と、云う事で、自民党安倍政権は、これからも安泰と云うお話でした。


それでは、また。




コメント (1)
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