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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

① あの人達は、今、 2004年の人

2012年10月05日 | 街の風景
あの人達は、今、





































2004年でした。



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“さようなら原発10万人集会”の風景

2012年07月16日 | 街の風景


















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守谷市あたりの寂しい風景 その2 

2012年07月13日 | 街の風景
昨日の続きです。

守谷市あたり、と、云うか、“国道294号線”に沿って自転車のペダルを漕いでいます。

国道沿いによく見かける閉店した飲食店。この造りから見て、大手ではなく、個人の店舗だと思います。そば屋さんか、和食の店でしょう。閉店の原因は、不景気の所為ではありません。不味いか、高いか、のどちらかです。間違い無い!


コンクリートの柱に、灰色に塗られたトタン板の塀、そして、工場の外壁の錆た空色のトタン板。そして、そこに甘納豆の看板。何とも、色使いと云い、錆び具合と云い、見事な構成で、あたりに哀愁を漂わしています。


何と云っても、赤いペンキで描かれた甘納豆の文字、脱色状態、剥落状態、とても、とても、素晴らしい!芸術の域に近づきつつあります。


空き地と云うか、原っぱと云うか、そして、その奥に錆びたショベルカー。


錆びに惹かれるのです。錆びは、寂び、朽ちる、果てる、還る、消える。こちらの世界から、あちらの世界に往くのです。


錆びた機械は、とても、とても、寂しいのです。


足下を見ると、これは、もしかして、あの工事現場などにある、あの“コーン”と呼ばれる円錐型の標識の頭が千切れた底の部分? 雑草の中で赤と黒が重なり合っています。役割が終わったのです。


石屋さんの展示品です。こういう橋を庭の池に架け、渡ったり、佇んだり、眺めたり・・・・・・、どんな趣味の方が買われるの? あの筋方面の方?


お地蔵様?とお釈迦様でしょうか、294号線を行き交う人や車を見守っているのです。でも、こういう“展示品の仏像”は、単なる石像であって、何処かに設置され、入仏式?を執り行って、そして、はじめて仏様になる?


それにしても、この石像と云うか、仏像と云うか、お顔と云い、全体のバランスと云い、かなり良くできています。

この手の石像屋さんと云うか、石屋さんを街道沿いで多々見かけるのですが、大きな石像ほど、頭がデカクて全体のバランスが悪いのがほとんどなのです。

と、ここまで書いて、ハッ!、と、気付いたのです。もしかして、頭でっかちに造ってあるのは、仏像を真下から“見上げる”と云う条件下において、丁度イイ頭の大きさなのかも?

今度、あの道路沿いの、あの店の、あの観音様で確かめてみます。

それにしても、お地蔵様とお釈迦様が見つめる先の国道294号線には、何故か、車の影も、人の影も、まったくありません。低く垂れ込めた灰色の雲が、何か、とても、寂しいと云うか、不気味と云うか・・・・・・。


守谷市、国道294号線の寂しい風景でした。

それでは、また。

※追記
本日は13日の金曜日です。金曜日と云えば、原発再稼働撤回!の首相官邸包囲デモの日です。18~20時と云うのは、やっぱり、かなりムズカシイのです。やっぱり、東京の永田町は遠い・・・・・・。

来週16日の11時から“代々木公園”で、内橋克人・大江健三郎・落合恵子・鎌田慧・坂本龍一・澤地久枝・瀬戸内寂聴・辻井喬・鶴見俊輔等の人達が呼びかけ人となって、“さよなら原発の10万人集会”が開催されるそうです。


どうしょうかな? 行ってみようかな?

※本日(15日)の15時30分に集会参加を“決断”しました。まぁ、参加と云っても、会場の中や周囲をウロキョロと歩き廻るだけですけど・・・・・・・。あの「制服向上委員会」の方々とか「小室等さん」とかも参加され、市民グループの第二ステージは“踊って唱って”の、お祭り的雰囲気かも?

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守谷市あたりの寂しい風景 その1

2012年07月12日 | 街の風景
守谷市の寂しい風景を見つくろってみました。

蔓草が風に吹かれて円弧を描くのです。


山の中?狭いくねくね道のその先にある橋梁工場、完成品の搬出がかなり大変そう、と、以前からずっと思っていたのですが、最近、やっと道路が拡張されました。


ローカル線の、そのまたローカル?


駅の風景は、寂しくて、とても染みます。


鉄路のまわりは、鉄錆の匂いがします。


枕木を使った柵も堪りません。そして、この、トゲトゲだらけの鉄線、何て云ったけ?ホント、最近は何でも、名前がなかなか出て来ないのです。

え~と・・・、え~と・・・、え~と・・・、う~~ん・・・・・・そうだァ!触れると刺さる棘が有るから“有刺鉄線!!!” 有刺鉄線、懐かしい響きです。思い出せてヨカッタ!

何の役目をしているの? このボックス?


何か?信号系統でしょうか? 信号機が近くにないので、自動列車停止装置関係?


それにしても、線路の傍らに立ち続け、“雨にも負けず 風にも負けず 夏の暑さにも負けず 冬の寒さにも負けず 鉄錆に晒され 人の眼に触れることもなく 人知れず 独り孤独に”頑張っているのです。ホントに!ホントに!ご苦労さん!あんたはエライ!


お役を終えた?車達。


こちらは、お役を終えた、型枠?ですか。


こちらは再生して、もう一度蘇る?


まだいけそう?


図体のバカデカイ、アメ車、アリカンドリームの象徴。


オーバーデコレーションの時代。


この後、小っこくて、価格の安い、日本車の時代が来るのです。


守谷市の寂しいところを見つくろってお届けしました。

そんなことで、“その1”でした。

そう云うことで、“その2”もあるのです。


それでは、また。



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水郷佐原あたり

2011年05月20日 | 街の風景
千葉県は水郷の佐原です。






























佐原でした。


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大宮駅あたり

2011年05月10日 | 街の風景
三十数年ぶりに、埼玉県は大宮駅前を“ちょこっと”ぶらついて来ました。

































大宮は、こんなご時世のなかで、それなりに発展しているようでした。

それにしても、ホントに、ホントに、人がいっぱい、いっぱい、歩いていました。母の日と関係があるの?

只今の放射線量は「0.11μSv/h」です。

これ以上は下がらないようです。大気中の放射性物質から放出されたものではなく、地上に降り積もった放射性物質から出ているようです。

値が一週間経っても、二週間経っても、減少も増加もほとんどしないのは、セシウムとかストロンチュウムが残っているのでしょう。

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松戸市の蘇羽鷹神社で腕用ポンプの碑文を読み高度経済成長の時代を懐かしむ

2011年02月18日 | 街の風景

前回の続きです。

松戸市の、水戸街道沿いにある“蘇羽鷹神社”の境内に入るところです。


お詣りを、と思ったら、左手に“腕用ポンプ保存庫”の大きな文字が眼に入ってのです。「腕」の文字に、一瞬、器の“オワン”を連想してしまったのですが、わんはワンでも、うでの方の「腕」でした。

腕の力を用いて動かすポンプなのです。器のワンは木偏の“椀”でした。“椀用ポンプ”では“何のこっちゃ?”ですから・・・・・・ハィ。

でも、ワンと、ヨウと、ポンプの繋がりは、何か、とても、力が抜ける響きなのです。ワンちゃん用にも思えたり。ここは、やはり、動力ポンプの対義ですから、“腕力ポンプ”の方が、勢いよく水が出そうに感じます。

江戸のむかしの“龍吐水”の兄弟分と思ったら、「腕用ポンプ」は、それなりに災に直接放水して、消火作業が出来る優れものだったようで、地方の消防団では、戦後しばらくは現役で活躍していたようです。

「高度経済成長期」に造られた石碑には、物を大切にしない風潮に怒りを露わにしていますが、「低成長低所得」の時代が20数年続き、この先の見通しも暗く、結果として、碑文の主張は叶えられたようです。

“物質的”に豊かな時代は短く儚く、物質的に貧しい?時代こそが“ふつう”で、正しいのであります。


この頃は、歳の所為で、説教じみた話しになってしまうようです。兎に角、小金消防組第4部の腕用ポンプは大事しましょう。


ヘルメットと云うのか、防火防炎帽子と云うのか、このタイプは小さい頃に、消防署の壁に掛かっていたのを見た記憶があります。


大正12年2月に、の人達の尊い寄付で購入したのです。百年近く前なのです。歳をとると、昔のモノが愛おしくなるのです。


腕用ポンプに見とれてしまいました。蘇羽鷹神社でした。


階段を登り、鳥居をくぐります。



それでは、また次回。


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水戸街道に戻り蘇羽鷹神社を目指します

2011年02月16日 | 街の風景
前回の続きです。

常磐線の地下道を潜り、流山線の踏切を渡り、新坂川の“まちだはし”を渡ったところで引き返します。

この路を辿って来たのですが、来るときは下り坂であるのを、ほとんど意識していなかったです。帰りに上り坂となって、始めて坂であった事に気が付きました。これって、歳の所為?


中央の緑地帯に、石?と云うか、岩と云うか? こんな感じで置かれていました。予算が余って? 何となく、それとなく設置したような? それとも道路工事中に地中から出現したものを、それらしく置いたのでしょうか?

どちらにしても、大きくて重そうな石ですが、周りの風景から“浮いて”います。

それにしても、人通りがありません。


交差する通りは“はなみずき通り”です。う~ん、そうかァ、そうきますかァ・・・・・・。


はなみずき通りの一本先を左に折れます。そして、一区画ほど先で右に折れ、水戸街道方向に向かいます。


予想したとおりの場所に出ました。


蘇羽鷹神社です。


毎度、毎度、通過する度に、気になっていたのです。蘇生の蘇に、羽に、鷹です。“ソバタカ”神社です。あまり聞いた事も、見た事もない、変わった名前の神社です。


長年の思いが叶い、見学と参拝をします。

でも、本日はここでお終い。今日は床屋に頭を刈ってきたので更新が遅れてしまったのです。まあ、そんなことは、どうでもいいか・・・・・・。

それにしても、相撲の“八百長問題”は、誰が、どういう方向で、収束させるのでしょうかねェ。外野席は全員が正義を振りかざすばかり、ホント困ったものです。


それでは、次回。




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踏切のある風景で寄り添い歩くふたり

2011年02月14日 | 街の風景
前回の続きです。

“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思って、“このあたり”から逆に辿って“あの路”を目指したのですが、予想は見事に外れました。それでも、なかなかの風景です。

“ハートはりきゅう治療院”はいいです。ひらがなとカタカナ表記の鍼灸院には、それなりの時代性を込めた思いを感じます。赤いペンキで描かれた“ハート”の文字からは、特に強い思いが伝わってきます。


常磐線の線路際に出ました。高架が快速とか普通列車で、下が緩行線でしょうか。


地下道に潜り反対側に行きます。


自転車もオジサンも潜ります。


静かで寂しい風景です。電車が通り過ぎた後は、より寂しさ静けさが増します。


常磐線の先に、あれ?また、線路に踏切があります。


単線です。ちょうど良い具合に電車が近づいて来ます。


これは、流山電鉄です。“青空”ですか。何か、とても、微妙な名前です。聞くところによると、この車両は西武鉄道のお古だとか。


振り返ると、常磐線の普通列車か?快速か?下の線路を走っています。高架じゃないの?


踏切の先には、線路と平行して川がありました。


川沿い路を話しながら寄り添って歩く、買い物帰り?の、母?と娘? 


線路沿いの路とか、川沿いの路とか、何かに“沿って”、寄り“添って”歩くのは絵になり、想像力を、好奇心を、とても刺激するのです。

二人とは、橋の上ですれ違ったのですが、とても良い雰囲気を感じました。たぶん、親子に間違いありません。

そろそろ、このあたりで引き返す事にします。


それでは、また次回。


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松戸付近で空白を埋めます

2011年02月11日 | 街の風景
勤めていた頃、通勤電車の車窓から、あの路の先は何処に続くの?と、長年思っていた場所がありました。松戸駅の手前あたり、ごく普通の住宅が立ち並ぶ、ごく普通の風景なのですが、何故かしら、気になったのです。

それから数年して退職し、時折、水戸街道を車で行ったり来たりするようになり、あの時の“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思える?と云うか、感じる?と云うか、そんな場所を見つけたのです。

そんな、長年抱き続けた“あの路の先は?”の疑問を、今回、やっと解き明かすことになったのです。まあ、大した疑問でもないのですが、兎に角、わたくしにとっては、それなりに、ハラハラ、ドキドキ、ウキウキの“プチ探検”なのです。

それで、その日は、水戸街道沿いのスーパーの駐車場に車を入れて、“このあたりかも”から、線路沿いの“あの路”に向かって歩いたのです。

そうなんです。この高圧線の鉄塔が、もしかして?の風景につながっていたのです。高圧線の鉄塔は、いろいろな想いに、いろいろな風景に、つながって行くのです。


ごく普通の、よくある郊外の、静かで寂しい住宅地。


静かで、寂しい、住宅地のスーパーマーケット。


知らない町の、知らない風景の中を、ひとり歩いている不思議。


そろそろ、線路に近づいて来ました。


どうも、“あの路”では、ないような雰囲気がしてきました。


それにしても、何処にでもある、普通のこういう風景が、不思議で、とても惹かれるのです。


モルタル塗りの外壁とブロック塀の間に、ひょろりとした樹、プロパンガスのボンベ、ドラム缶、こんな日常的な風景が、知らない町で出会うと、とても不思議に思えるのです。


やはり、“あの路”では、なさそうです。


なさそうですが、もう少し先まで行って見ようと思います。


外では、チラチラ、小雪が舞っています。


それでは、また次回。



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