鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

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お気に入りその162~竹鶴政孝45

2006-11-21 12:45:51 | 竹鶴
今回のお気に入りは、竹鶴政孝パート、琉球ニッカパート2です。

「琉球ニッカウヰスキー(株)」の存在を知ってから、どういう事情で設立されいつ無くなったのかなどを詳しく知りたくて調べていますが、なかなか前進しません。
今わかっているのは次の通りです。
ウイスキー製造をいつまでしていたかはわかりませんが、日本への復帰の前から38年間も会社が存続していたことがわかりました。

昭和36年12月、琉球ニッカウヰスキー(株)はアメリカ軍政府と沖縄の立法府の工場設立の認可を受けスタートしました。
当初沖縄では泡盛の酒造許可しか下りていなかったようですが、昭和33年のビール工場設立の許可が下りたのを皮切りに、昭和36年にサントリー系とニッカ系のウイスキー工場設立の許可が下り、昭和41年に清酒工場の許可が下りています。
ビールやウイスキーの許可が日本酒に比べ早かったのは、アメリカの軍人・軍属の嗜好に合わせた結果によるものではなかったかと考えます。
またその味わいもアメリカ人好みにブレンドされ、本土の同一銘柄とは違う味わいのウイスキーをわざわざ作っていたフシがあります。

昭和47年5月、沖縄が日本に復帰しました。その際、酒税に関する復帰特別措置がとられましたが、沖縄の酒税は現在も本土の65%が適用されているそうです。

平成11年1月、ニッカウヰスキー(株)は子会社琉球ニッカウヰスキー(株)をアサヒビール(株)に譲渡しました。同時に琉球ニッカウヰスキー(株)は社名を沖縄アサヒ販売(株)に変更しました。
結局、琉球ニッカのウイスキー製造がいつまで行われていたかはわかっていませんが、少なくとも平成11年1月以降は製造していないといえます。

今回、琉球ニッカについて調べるにあたり、とても参考になったのは、瑞泉酒造元会長、故・佐久本 政敦 著「泡盛とともに」です。明治から平成まで泡盛と歩んだ方の著書がネット上に公開されており沖縄の酒造業者の歴史が非常に詳しく書かれていました。

なおそのホームページにはウイスキーについて含蓄のある記述もありましたので以下に引用します。
「スコットランドの名酒、スコッチウイスキーも、今から百年前には、名もない山間の地酒にすぎなかった。現今のように世界に風靡するようになったのは、ひとえに、貯蔵とブレンドの技術に心血を注いだ賜物といわれる。」

(写真は 琉球ニッカのニッカマイルド)
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