





世紀末ウィーンの画家と言うと、クリムト、シーレと並んで、ココシュカが挙げられる。
オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)。私はココシュカの絵は苦手な上に、よく分からない。
クリムトが見出し、見放した、ウィーン画壇の“恐るべき子供”。時代も傾向も同じであるのに、ドイツ表現主義の運動には加わらず、ナチス台頭と第二次大戦を挟んで、チェコ、イギリス、スイスへと移り住んだ、寄る辺のない、孤立無援の画家。
天分の才があったわけではない。が、思い込みが激しく、前兆を信じ、一家における自分の使命を信じ、ミューズへの愛を一途に信じた。
人間の姿を魂まで掘り下げたという、うねりねじれる野蛮な表現。荒く激しい筆致だが、伸びやかさがなく神経質だ。苦悩と煩悶と混迷。精神を病んだからこの表現なのか、それとも、この表現だから精神を病んだのか。
有名すぎるエピソードだが、肖像画を依頼された若いココシュカは、歳上の美しい作曲家マーラーの未亡人、アルマに求婚する。アルマは答えて、
「あなたが歴史に残る傑作を描いたら、そのとき妻になってあげる」
情熱的な情事の関係。その頂点で制作された、二人の愛欲を描いた「風の花嫁」。気楽に眠る女の横で、深刻な顔で女の手を握る男。
最初は明るい色彩で描かれていたこの絵は、不安と不信の色を塗り重ねていくたびに、暗い色彩へと変化する。あまりの厚塗りのために、絵具の剥げ落ちる懸念から、今では門外不出なのだという。
ココシュカにとってアルマは運命の女だったが、芸術家が自分に夢中になって、自分のために悶え苦しみながら創作するのを、快く思うアルマにとっては、ココシュカは数多い恋人の一人。案の定、「あなたのあまりの情熱には疲れちゃうの」とかなんとか言い訳して、アルマはココシュカを拒むようになる。
未練を断ち切れないココシュカは執拗にアルマを追い回すが、もはや彼女の情熱を取り戻すことができないと悟って絶望し、第一次大戦に志願して従軍。頭部に傷を負って帰郷したとき、アルマは建築家の新鋭グロピウスと再婚していた。
さらにアルマが作家ヴェルフェルと再々婚したのを知ったココシュカは、アルマに似せて等身大の人形を作り、昼は街を連れ歩き、夜は添寝するようになる。酒の勢いで人形の首を切り落とすまで、この異様な関係が続くこと7年。
その後まもなくココシュカは結婚するが、アルマへの想いは生涯変わらなかった。
……こんなふうなアルマとの強烈なエピソードが先に立ち、ココシュカの絵は私にはあまり印象に残らない。が、後年、アルマにこう評されたのだから、ココシュカは本望だろう。
「マーラーもグロピウスもヴェルフェルも、私には分からなかったけれど、ココシュカの絵は本当に素晴らしかった」
画像は、ココシュカ「風の花嫁」。
オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka, 1886-1980, Austrian)
他、左から、
「アルマ・マーラーの肖像」
「牧神パン」
「郷愁のプラハ」
「赤い卵」
「眠る女」
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