君に思う

 
 例えば相棒のような人は、世界を捉える高い認識力を持ち、世界をどう捉えるかの高い判断力を持ち、捉えた世界にどう立ち向かうべきかの強い意志力を持ち、実際に立ち向かうべく強い行動力を持つ。
 そんな人に、あなたは一人で何でも解決してしまう、と評すれば、それがもし相棒のような人なら、多分傷つくだろう。その人が一人では解決できない、解決したくない繊細さ、敏感さをも持つことを、無視されたから。

 繊細さや敏感さというのは、それ自体は個性に過ぎない。大雑把で鈍感な個性と等価の、同じく一つの個性に過ぎない。そして、そうした個性を慈しむ人もいれば、煙たがる人もいる。
 だが多くの人々は、個性以前に、彼の理性にしか眼を向けない。それほど理性は透徹している。彼の繊細さ・敏感さは、もし彼から理性を抜き取ってしまったら、外界との接触に耐えられない脆さ、弱さとなり得るほどに繊細・敏感なのだが、一方、理性は、そうした繊細さ・敏感さを、負け知らずの強さに変えるほどの、まったき理性だ。

 理性的でない人は、彼の理性を理解できない。理性的な人でも、彼の理性がなぜ“それ”をそれほど問題とするのかを、なかなか理解できない。
 ただ、察知する人がいるだけだ。彼と同じく繊細で敏感な、善意ある人が。

 人間は、何に対して憤るかによって、その中身が分かる、と言われる。私は彼ほど生真面目な人間ではないが、私が憤るものは、彼が憤るものと一致している。だから私は、彼を理解できている。

 To be continued...

 画像は、ベックウィズ「物思いに耽って」。
  ジェームズ・キャロル・ベックウィズ
   (James Carroll Beckwith, 1852-1917, American)


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