相棒は私を「鏡」だと言う。その人が私をどう評価するかを見れば、その人がどういう人なのか分かるのだと言う。その人が持つ、良いものも悪いものも、その人は私の前に表わすのだと言う。
 そして、大抵の人は私を軽んじて低く扱い、その結果、その人がいかに瑣末な事柄に囚われているかを露呈するのだ、と言う。 

 学生の頃、それまで仲の好かった院生のハーゲン氏の態度が、相棒(このときはまだ相棒じゃなかったけれど)の出現をきっかけに急変した。よそよそしくなり、弁解がましくなった。
 結局ハーゲン氏は、「彼が来てから、君は変わってしまったなあ」と言って、私から去っていった。

 私とハーゲン氏が一緒にいたところに、相棒が現われて、ハーゲン氏が相棒から遠ざかった。ハーゲン氏の視点からは、私が相棒にくっついて、ハーゲン氏からどんどん離れていったように見えるわけ。これって相対性理論。
 ハーゲン氏が相棒を避けたのは、ハーゲン氏がどういう人間かを相棒が見抜いていたからだった。ハーゲン氏は自分を直視するのを怖れていた。誰かに見抜かれて、ずけずけと指摘されるのも怖れていた。

 相棒が現われて変わったのは、私ではなくハーゲン氏のほうだった。だから、この場合、相棒がハーゲン氏の「鏡」になったわけだ。

 思えば私は、幼い頃から、ずっと「鏡」だった。一見すれば貧乏人の箱入り娘、ただ大切に育てられてきただけの嬢なのだけれど、それだけでは済まない何かを、両親は感じ取っていた。父は私を「一種の片輪」と言ったし、母は「軽侮と羨望の買手」と言って、どちらも本気で心配していた。
 だから私は、できるだけ人と本気で関わらないように生きてきた。その人が知りたくもない、その人自身の真実を映し出して、その人に知らしめるようなことは、すまいと努めた。

 To be continued...

 画像は、W.M.チェイス「鏡」。
  ウィリアム・メリット・チェイス
   (William Merritt Chase, 1849-1916, American)


     Next
     Related Entries :
       
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« アルケミスト 鏡(続) »