されば悲しきアホの家系(続々……………々々々々々々)

 
 この後者の、家を守るという務めには、実質上、もう何年も入院している、上から二番目の病気の伯母を、金銭上面倒を見るという務めが付随していた。
 この病気の伯母は、若かりし頃、二条の家きっての美人だったのだが、精神にどこかおかしいところがあって、結婚もせず実家に住まい、祖母を助けて、歳の離れた幼い父たち兄弟姉妹のために、長いこと生活費を出していたのだという。

 私にはこの割り振りは、次男坊の伯父が断然得しているように思える。が、とにかく、この共同名義には父の兄弟姉妹全員が同意していて、祖母の死ぬ数年も前に、次男坊の伯父が、兄弟姉妹全員の同意書(つまり遺産分与の放棄書)を携えて、市役所に名義を書き換えに行っていたのだった。

 で、このたび、出戻りの伯母が二条の家を引き払うことになり、さて、この家を処分しようとしたとき、家の名義が、次男坊の伯父一人のものになっていることが発覚した。次男坊の伯父は、役所に届ける土壇場になって、二条の家のもう半分の権利が急に惜しくなったのだろう、家の名義を自分一人だけの名で勝手に書き換えてしまったのだった。

 こうして、二条の家をめぐって、浅ましい、しかもみみっちい、骨肉の争いが始まった。
 ……私は、この頃にはもう学生だった。まったく、こいつらときたら、最後の最後まで笑わせてくれるもんだ。

 To be continued...

 画像は、ムリーリョ「遺産の分け前を受け取る放蕩息子」。
  バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
   (Bartolome Esteban Murillo, 1617-1682, Spanish)


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