フィンランドの光

 

 昨年の春、突然、フィンランドに行くんだ! と喜び勇んで航空券を買った相棒。
「どこに行きたい?」
「ムーミン谷! それからガッレン=カッレラ美術館と、エーデルフェルト美術館!」
 けれども調べてみると、ムーミン谷は夏季しか開園しない。エーデルフェルト美術館のある故郷ポルヴォーも、夏季にしか列車が通らない、とある。マジ? 北欧って、そうなの?
 直後、アイスランドの火山が噴火して、火山灰の影響でヨーロッパの空港はあまねく閉鎖になり、私たちのフィンランド行きは呆っ気なくボツになった。
 ……今度行くときは、夏至の時期にしようね。

 アルベルト・エーデルフェルト(Albert Edelfelt)は、ガッレン=カッレラと並んでフィンランド近代絵画を代表する画家。

 彼はアントワープ、パリ、サンクトペテルブルクで正統な絵画教育を受けていて、描く絵も洗練された伝統的なもの。堅固な写実描写だが、印象派に劣らない明るい陽光は眩しすぎるほど。
 新しい絵画として印象派が躍動する19世紀後半のフランスでは、従来のアカデミックな主題や技法を堅持しながら、陽光のもとでの明るい自然描写を取り入れて画壇で人気を得た、外光派(pleinairisme)と呼ばれる画家たちがいた。エーデルフェルトの作風も、こうした外光派のものに見える。
 パリのサロンで認められ、故国でも評価された彼は、北欧やロシアの王族・貴族、著名人らの肖像画を依頼され、フィンランドのアカデミーで教鞭も取る寵児だった。

 が、フィンランドの民族意識が高揚する時代、やはり彼の絵も、カレリア地方など祖国特有の風俗・風景を描いたもののほうが、圧倒的に印象的。
 エーデルフェルト少年一家の友人だった、フィンランド詩人ヨハン・ルードヴィグ・リューネベリ、彼は国歌「我が国」の作者で、彼の詩にはシベリウスも数々の歌曲を作曲しているのだが、そのリューネベリを、エーデルフェルトは崇拝していた。常にフィンランド史の情景へと画題の立ち戻ったエーデルフェルトに、この国民的詩人との親交は生涯影響を及ぼしたという。

 あまり長くは生きず、フィンランド独立には立ち会えなかった彼だけれど、ちゃんと祖国の歴史のなかに位置づいて生きていた。

 画像は、エーデルフェルト「子供の葬儀」。
  アルベルト・エーデルフェルト(Albert Edelfelt, 1854-1905, Finnish)
 他、左から、
  「舟を作る者たち」
  「ルオコラーティの老婆たち」
  「焼かれた村」
  「ラッリに殺されたヘンリー司教」
  「キリストとマグダラのマリア」

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