ノルウェーのモリス

 

 ノルウェーの画家、ゲルハール・ムンテ(Gerhard Munthe)。ウィキペディアには、イェールハルド・ムンテと表記されている。
 なんか、好きなんだよね、ムンテ。19世紀終わりのノルウェー絵画には、パリの自然主義、印象主義を吸収し、光あふれる祖国の風景を描いた、ロマンチックな国民画派の流れがあって、彼らの多くがオスロ郊外の村リッサーケル(Lysaker) に住まって制作した。
 ムンテもまた、そんなリッサーケル派の一人。「ノルウェーのウィリアム・モリス」との異名を持つデザイナーでもあった彼は、村に建てた家の部屋々々を妻とともに手ずから装飾し、モダンデザインを実践した。有名なのは画家としてだけれど、評価されているのは、どうやらこちら、デザインの分野であるらしい。

 ちなみに、この妻君、ビョルン・ビョルンソン(Bjørn Bjørnson)という有名な舞台俳優・監督の娘なのだが、ムンテとは離婚、その同年、後にノーベル平和賞を受賞した「難民の父」フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen)と再婚した。
 有名人の周囲には、有名人ばかりが集まるんだな。。。
 
 ムンテの一族は皆、揃って知識人、文化人ばかり。特に、いとこのハウク・アーベル(Hauk Aabel)は、サイレント映画時代の有名な喜劇俳優なのだそう。
 父親は医者で、ムンテも医学を学ぼうとしたところ、当の父に、いや、お前は画家になりなさい、と助言され、絵の道に。アカデミーで手堅く絵を学び、デュッセルドルフ、ミュンヘンにも留学するが、モチーフは常に故郷ノルウェーに求めた。

 もともと、ノルウェーの文化・風習に取材していたムンテだが、その前近代にまで遡る伝統にますます関心を向け、着想を得るようになる。そうしたイメージの表現として試みるようになったのが、ウィリアム・モリスのデコラティブな「アーツ・アンド・クラフツ」様式。
 モリスと言えば、産業化の時代にあって、中世の手工業に理想を見出した思想家であり詩人でありデザイナー、ついでに社会主義者。産業革命以前の手仕事の美しさに立ち返り、生活と芸術を一致させるべく「アーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)」運動を提唱。「モダンデザインの父」と呼ばれる一方、中世ロマンスを創作し、「モダンファンタジーの父」とも呼ばれる。

 ムンテもまた、中世からの絨毯やタペストリーに熱中し、デザインする一方、古くから伝わるノルウェー民話を発掘し、その挿画をせっせと手がける。同じリッサーケルでの国民画家、エーリク・ヴェーレンショル(Erik Werenskiold)とともに制作した、ノルウェー王朝史を著したアイスランド詩人、スノッリ・ストゥルルソン(Snorri Sturluson)への挿画が有名で、そうした挿画は、タペストリーのデザインに転用されて、織り込まれる。
 で、現代人・異国人の私なんぞが、ウェブ上で眼にする多くは、こうしたタペストリーなわけ。だが、文句は言うまい。このようなデザイン画は、第一に、鑑賞されることを前提とした見目好いものであり、第二に、日々の生活を彩りつつ邪魔をしない趣味と風情と調子を持つ。
 こうした装飾性は当然、ムンテの絵画スタイルにも次第に反映されていく。。。と思うのだが、どうもよく分からない。現地美術館で、まとまった作品を時系列で観てみたい画家ということで、以上、まとめておいた。

 画像は、ムンテ「北の光の娘たち」。
  ゲルハール・ムンテ(Gerhard Munthe, 1849-1929, Norwegian)
 他、左から、
  「山の王」
  「ハリングダールの小屋から外を眺める娘」
  「エッゲダールの夕べ」
  「ウルヴィンの農場」
  「山羊のがらがらどん」

     Related Entries :
       エリク・ヴェレンショルと民族主義

  
     Bear's Paw -絵画うんぬん-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )