世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
恬淡な野獣
好みの問題もあるが、センテンドレの美術館で一番見応えのあった画家が、チョーベル・ベーラ(Béla Czóbel)。ハンガリーでは有名な画家らしい。
私の語学力ではちょっとよく分からない。ユダヤ系画家なのだが、あの悲惨なナチスの時代を生き延びている。
略歴を記しておくと、ブダペストに生まれ、ハンガリー画家たちが集まった芸術家村ナジバーニャ(Nagybánya)で、同国の印象派画家イヴァーニ・グランワルド・ベーラ(Béla Iványi-Grünwald)に師事。自然主義から出発した。
が、20世紀初頭にミュンヘン、続いてパリに留学し、サロン・ドートンヌ展にて野獣派に触れ、これが決定的な契機となる。チョーベル自身もフォーヴの色彩で同展に出品し、マチスらと交流。以降、フォーヴの色彩を手放すことはなかった。
ブダペストに戻り、ハンガリーの若手画家たちと合流。「ニョルツァク(Nyolcak)」(八人組“The Eight”の意味)を組織し、ナジバーニャ派の伝統とは異なる新しい絵画の方向を開く。
第一次大戦中はオランダに逃れ、大戦後はベルリンへ。表現主義グループ「ブリュッケ」と交流し、新分離派に参加。さらにパリに移り、第二次大戦が勃発した39年まで、モンパルナスのアトリエで制作する。
その後、ハンガリーに帰国。以降、パリとセンテンドレとに交互に滞在した。この生活は戦後も続く。
そして、65年以降、ハンガリーに永住。
チョーベルの絵には、あまり難しいものがない。多くを盛らず、多くを訴えない、無欲な絵。
野獣派からの影響は確かだが、色彩はそれほど強烈でも主情的でもない。ただ灼然としている。人物画を多く描いたが、それらは、私の個人的な感想としては、目鼻立ちや身体の線の粗さとナイーヴさが、全体的にゴッホ、そしてルオーやブリュッケの木版画を、感じさせる。
ユダヤ系だったチョーベルが、なぜ、同胞が被った迫害から逃れえたのか、よく分からない。戦後、なぜ、社会主義体制となったハンガリーと、パリとを自由に行き来できたのかも、よく分からない。
だが、第二次大戦前後のパリ時代の絵は、超暗色のトーンに落ち込み、暗い時代の到来を予感させる。
美術館で時系列的に絵を追うと、50年代の絵がすっかり抜けている。彼はこの時期、絵を描かなかったのだろうか。
そして60年代。タッチが変わり、ぼやけたフォルムの上に輪郭線を乗せる、クレヨンのような、ちょっとパスキンを思い出させる絵になった。実際、チョーベルはベルリン留学時代に、パスキンと親交を持っていたのだけれど。
誰か事情を知っている人が教えてくれないかぎり、これもまた永遠の謎なんだろうな。
画像は、チョーベル「赤いショールを巻いた少女」。
チョーベル・ベーラ(Béla Czóbel, 1883-1976, Hungarian)
他、左から、
「コーヒーを飲む女」
「仮面とマンドリン」
「ボールを持った少年」
「センテンドレのヴィーナス」
「センテンドレ」
Bear's Paw -絵画うんぬん-
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