暗の幻想詩

 

 私はハンガリーの画家については、国民画家ムンカーチ・ミハーイくらいしか知らなくて、ブダペストの美術館でも、どうせ予備知識ないしー、という感覚で、真っ白ななかに生じる第一印象と、このなかで一つを選ぶとしたらという嗜好とだけで、気楽に観ていた。が、どうも、知っている雰囲気の絵がちらほらと現われる。
 で、それらは、相棒が、画家の生没年を見て、怖ろしい時代に死んでいる画家に「死んだ者ポイント」を付与する(悪趣味だな!)、そうした画家たちの絵ばかりなのだった。

 なぜそんな絵が私の記憶に残っているのかと言うと、かつて私は、ユダヤ画家の一覧を作って、サーフィンしてまわっていたことがあったからなんだ。

 そのうち、一番印象に残っている一人が、アーモス・イムレ(Imre Ámos)。彼はユダヤ人で、1944~45年に死んでいる。

 ブダペストの工科大学で学んだ後に、絵の道に進み、同じく画家だったアンナ・マルギット(Margit Anna)と結婚。初期には、ハンガリーのナビ派、リップル・ローナイ・ヨージェフ(József Rippl-Rónai)らの影響を受けたが、30年代半ばには、漂泊のユダヤ画家、シャガールのスタイルを熱心に模倣するようになる。
 これはちょうど、ハンガリーがナチス・ドイツと協調し始めた時代。1937年、アーモスはパリを訪れ、当のシャガールと会う。アーモスの絵画におけるシャガールの存在は決定的となった。

 シャガール的に夢のような、詩的で幻想的なイメージ。ハンガリー最初のハシディーム派のラビ、イツハク・イサーク・トーブ(Yitzchak Isaac Taub)は、アーモスと同郷ナジカーロー(Nagykálló)の人で、アーモスもそうした敬虔な宗教文化のもとで育ったのだろう。彼は、少年時代に生活を包んだユダヤの伝統、その寄る辺ない同胞への親愛と追憶を、好んでモチーフとした。夏には妻とともに、芸術家村センテンドレで制作する。

 が、ほどなく、シャガールの夢幻は、アーモスの画面から姿を消す。そこには恐怖、現実世界から直接に感じる、逃れようのない恐怖が、入りこんでくる。
 色彩はネガのように暗く反転し、筆運びはぎすぎすした険悪なものになる。天使や死といった擬人がシュールに寄り添い、希望の余地のない不安な、閉塞的な、まだ未定だがおそらく破滅が待ち受けるだろう未来を予示する、トラウマ的なビジョンが、暗澹たる画面を支配する。

 ナチス・ドイツの同盟国だったハンガリーは、独ソ戦争に参戦。40年、アーモスはヴォイヴォディナ(Vojvodina)の労働収容所へと連行され、さらに東部戦線へと移されながらも、「暗い時代」シリーズを描き続ける。
 44年、ナチスがハンガリーを占領すると、3ヶ月経たずにで40万人という、凄まじい数のユダヤ人が、絶滅収容所へと移送される。

 アーモスは、ソ連軍が進撃してきたこの頃に、死の行進の後、ドイツのオールドルフ収容所で死んだという。

 画像は、アーモス「夜明けを待つ画家と妻」。
  アーモス・イムレ(Imre Ámos, 1907-1944 or 1945, Hungarian)
 他、左から、
  「井戸にて」
  「音楽」
  「戦争」
  「逃亡する天使のいる自画像」
  「いざさらば」
  
     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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