夢の話:人を殺す感覚 その2(続々々々々々々)

 
 やがてサラザンは、ハーゲン氏の身体の下から這い出てきた。彼は起き上がり、私に声をかけた。
「的が外れたんですか。それとも……」

 もう眼がかすんで、サラザンの姿が見えなかった。ただ声だけが聞こえた。
「……それとも、僕を助けてくれたんですか」

 やがて尽きる命を自覚する人間は、時間の有限性を訴える。だが、時間の不可逆性もまた、常に同じくらいに意識しなければならない。
 取り返しのつかない過失を犯したとき、人は唐突に、この時間の不可逆さを思い出す。そして時間の不可逆さを痛感しなければ、犯した過失を後悔できない。

 本当とは思えない悪夢(実際、そうなんだけど)のような現実。古代、眠りと死は、共に安らぎを与える兄弟だったという。本当に怖ろしいものは、生という現実だ。実に地獄とは、あの世にではなくこの世にこそある。
 そして、この悪夢である現実のなかで、正気を保って生きてゆくことは困難だ。正気は常に、過去に犯した罪を苛み、将来罪が暴かれることへの不安、罪に罪を重ねることへの不安を呼び起こす。正気を保てば、人は絶望する。正気を放棄すれば、罪を是認し、自身を変質させて、だが生き延びることだけはできる。

 死者は声を立てない。痛む頭に響くのは、冷たい良心の声だけだ。なぜ、避けようとしなかったのだ。お前には選択できたはずではないか。 
 良心が私を、暗い、深い深淵へと引きずり込む。サラザンが私の手を取り、私を抱き起こそうとしているのが分かる。けれども私は落ちてゆく。壁を抜け、地面を抜けて、下へ、下へと。
 地獄は地の底にあるという。だが、下へと落ちるのはむしろ、真っ暗な空、宇宙を漂い落ちる心地だ。私は天へと落ちてゆく。

 そして気を失い、例によって眼を醒ました。

 画像は、フュースリ「狂女」。
  ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(John Henry Fuseli, 1741-1825, Swiss)

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