人間の普遍性について(続)

 
 当初は、彼らの自己中心さばかりが眼についた。その自己中心さには、排他性があった。つまり、彼らは自分を特別視していた。
 彼らは自分にしか関心がないように見えた。それが最も分かりやすく現われるのは、彼らが感情を爆発させるときだった。彼らは概ね、マイナス感情に対して耐性がなく、自分の気が済むかどうかを最重要に考えた。だから私には、彼らが傲慢、尊大に見えた。その感情も稚拙で身勝手に見えた。

 彼らの自尊心は主観的だった。他人から評価されたい、称讃されたい、注目されたいと不自然に望み、それを顕示し、そのための努力もした。が、そうした評価や称讃、注目が、うわべだけの表面的なものであったとしても、あまり気にならないようだった。

 彼らは自分が批判、非難されるときには、あるいは否定されるときには、敏感に、ときには過剰に反応した。あるときは動揺し混乱するあまり、攻撃に出ることもあった。攻撃の内実はこれまた感情的かつ一方的で、屁理屈や詭弁をこじつけて相手に絡み、相手を欺瞞、偽善だと言いがかりをつけて自分を正当化した。
 あるいは、よりストレートに心情を吐露して当たってくることもあった。屈辱感、無力感を顕わにし、自分の無価値を主張し悲嘆することもあった。
 彼らは概ね嫉妬深く、その嫉妬の矛先は相手の境遇だけでなく、相手の資質や能力、感性にも及んだ。

 To be continued...

 画像は、シーレ「姿を現わした真実」。
  エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890-1918, Austrian)

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