哀愁

 
 また映画を観てしまった。どーもなー、夜眠れないと映画を観てしまうなー。

 かの「哀愁(Waterloo Bridge)」(監督:マービン・ルロイ、出演:ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー、他)。甘く哀しく切ない、というのはこういうことを言うのだろう。
 が、古典的純愛映画はどうも苦手な私。戦争で引き裂かれる悲恋なら、なおさら苦手な私。……私は単純なハッピーエンドが一番好き。
 
 舞台は、第一次世界大戦下のロンドン。空襲警報が鳴り響くウォータールー橋上で、イギリス将校クローニンはバレエの踊り子マイラを助け、連れ立って地下鉄に避難する。その夜二人は、蝋燭の灯るなか、「別れのワルツ(蛍の光)」を踊る。
 二人は恋に落ち、結婚式を挙げようとするが、クローニンの突然の出征のために、そのまま別れる。彼の無事を祈りながら健気に待つマイラの眼に、クローニン戦死の知らせが飛び込む。失意と困窮から、マイラは娼婦に身を落とす。

 物語の要所々々に登場するのが、マイラのお護りとウォータールー橋。二人は橋上で出会い、マイラは車に轢かれそうになりながら、道路に転がり落ちたお護りを拾う。大切にしていたお護りだが、彼女は戦地に赴くクローニンにそれを渡す。
 橋上で男に声をかけられたのをきっかけに、彼女は娼婦となる。クローニンと再会し、彼は預かっていたお護りを彼女に返す。彼のもとを去ったマイラは、ウォータールー橋で通り過ぎる車に飛び込み、そばにはお護りが転がっている。

 悪意が人を死に追いやるとき、人は悪意を憎めばよいけれど、この物語に大きな悪意はない。マイラを追いつめたのは、彼女自身とクローニン、彼の家族らの良心や善意。ある種の気高さや、すれ違いへの溜息が、物語に漂っているのは、そのせいだと思う。

 ところで、女性は困窮だけが理由なら、なかなか売春はしないような気がする。また、困窮だけが理由で売春した場合、心の傷はなかなか致命的とはならないような気がする。
 困窮に絶望が加わったとき、それが困窮そのものに対する絶望にせよ、心の傷は致命的となるように思う。

 私も昔、一時期、そういう状況に陥ったところで知ったことか、という心境になったことがある。「女が簡単に稼げる方法だと言う。男には分からないのだ」と吐き捨てるキティの台詞には、自己防衛と同時に自己嫌悪、そしてそれにつけこむ男性すべてに対する嫌悪と敵意を感じる。
 が、分かる男も稀にいるというのが、世の中の救いかな。

 ウォータールー橋は現在では、コンクリートのモダンなアーチ橋に架け替えられているのだとか。

 画像は、モネ「ウォータールー橋、曇り」。
  クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )