画家の社会的責任

 
 ある日あるとき、絵描き仲間の集う某掲示板で、ちょっとした出来事があった。日本神話を題材に、日本の神々を描こうとしている若い絵描きと、その話題で盛り上がっている若い絵描きたちに、年配の絵描きたちが懸念を表明し、日本神話の歴史的背景を指摘したのだった。
 
 曰く、日本神話をテーマに無邪気に描こうとしていることに驚愕を禁じ得ない。古事記や日本書紀における日本神話は皇国史観の根拠であり、侵略戦争の精神的支柱となったものである。
 日本神話の民俗的、文化人類学的意義、それに表現のテーマを求める自由、それらは否定しないにせよ、くだんの歴史的背景を分かって、敢えて画題をそこに求めるのか。画家は社会とは無関係な存在ではなく、自分の描く絵の社会的責務を自覚すべきである。社会音痴では、どれだけ優れた絵も永遠の芸術には到り得ない。……と。

 が、結局、「ここは絵について語り合う場だ。トピックにそぐわない議論は、よそでやってもらいたい」という方向に流れて、年配の画家たちは、「無邪気な若者たちよ、いざ、さらば」と言い残して、去ってしまった。
 彼ら年配の画家たちは、二度とそこには来ないだろう。

 私は、若い画家たちは「無邪気」ではないと思う。「邪気」があると思う。

 To be continued...

 画像は、C.シャプラン「絵を描く少女」。
  シャルル・シャプラン(Charles Chaplin, 1825-1891, 1825-1891)

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