チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第194話 おばあちゃんの内職

2013年09月14日 | チエちゃん
昭和40年代のあの頃、高度経済成長の真っ只中。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は手にしたものの、まだまだ貧しく、生活は苦しかった。
少しでも現金収入が欲しかった主婦たちは、せっせと内職に励んだものでした。

チエちゃんの村で、人気の内職はリンキングでした。
リンキングというのは、ニット製品の身頃、袖、襟などの編み目を一つ一つすくってつなぎ合わせることです。
この地方は養蚕業、機織工業が中心産業で、織物つながりということなのかニット産業も盛んでした。
農閑期には、多くの主婦がこの内職をしていました。

チエちゃんのおばあちゃんはというと、リンキングは若い人の仕事と考えていたようです。
老眼のおばあちゃんには、細かな編み目をすくうことが難しかったからでしょう。
それで、お友達から誘われたこともあって、おばあちゃんが選んだ内職は、真綿を引き伸ばし糸状にし、機械を使って撚りをかけ紬糸を作る仕事でした。
真綿というのは、親繭(2匹の蚕が1つの繭をつくっしまったもの)など1本の糸を取ることができないくず繭を綿状に加工したものです。
おばあちゃんが老眼鏡を掛けながら、朝から晩までがんばっても、細く細く伸びる真綿を紬糸に変える仕事は、1日に真綿1~2枚を加工するのがやっとでした。
それでも、おばあちゃんはその内職を10年以上続けていました。
自分で稼いだお金というのは、いいものだものね。
自分のたばこ代にしたり、チエちゃんたち孫におこづかいをあげたり、誰にも気兼ねなしに使うことができたからでしょう。

おばあちゃんが紡いだ紬糸は、どんな布になったのかな?
どんな着物に仕立てられたのかな?
おばあちゃんが紡ぐ糸は、細く均一できれいだねって誉められるよと自慢げに話してくれたものでした。


ネットで偶然に、おばあちゃんが使っていた糸撚り機を見つけたので、なつかしくなりました。
そのサイトはこちらです→tool-私の仕事場の道具たち-
上から7番目の写真紡毛機がそれです。


第193話 新聞少年とお年玉

2013年01月05日 | チエちゃん
昭和40年代のあの頃、新聞配達をするのは少年と決まっていました。
毎日、早朝の配達を続けることは、その子の精神面でもよいことだし、お小遣い稼ぎにもなるので、世の中には推奨するような雰囲気がありました。
ちょうど、歌手山田太郎の「新聞少年」がヒットしたこともあるでしょう。
チエちゃんは、我が家に新聞を配達してくれるその子の顔を見たことはありませんでした。
チエちゃんがまだお布団の中でぐっすり眠っている5時台に届くからです。

ある年の大晦日、お母さんがお年玉の準備をしているのを見かけました。
「それ、誰にあげるの?」
「これかい?新聞配達のお兄さんに。少しだけどね。
 毎日、配達してくれるから、お年玉をあげようと思ってね。」
ああ、そういうことか。
新聞配達のお兄さんに会いたいと思ったチエちゃんは、元日の朝、暗いうちに起き出しました。
パジャマにはんてんを羽織ったチエちゃんがこたつで待っていると、
玄関で「おはようございます」とあいさつが聞こえました。
急いで出てみると、お母さんがお年玉をあげている所でした。
ジャンパーに毛糸の帽子、マフラー姿のお兄さんは一度辞退したものの、お母さんが「これはお礼の気持ちだから」というと、うれしそうに受け取りペコッと頭を下げ、次の配達先へと去って行ったのでした。

なんだか清々しい気持ちになり、私も大人になったら、新聞少年にお年玉をあげよう。
そう思ったものでした。


でも、現在では我が家も実家も新聞を配達してくれるのは、少年ではなくおばさんです。
少子化なのか、過保護なのか、時代の流れなのか・・・
実家では、現在の配達の方が辞めてしまったら、新聞はどうなるのかと心配さえしています。





第192話 冷夏

2012年07月28日 | チエちゃん
その年は、冷夏だった。
鉛色の雲が低く垂れこめ、真夏というのに肌寒い日が盆過ぎまで続き、気象庁はとうとう梅雨明け宣言を断念した。

そんな中で、チエちゃんは身体に変調を覚えていた。
何となく熱っぽく、気だるい。
それに、予定日を2週間過ぎても生理が来なかった。
これは妊娠に間違いない。
そうと決まれば、病気じゃないんだから、こうしてダラダラ過ごしていてもしょうがない。
部屋の片付けでもしよう!
そう考えたチエちゃんは、気持ちを切り替えて掃除を始めたのだった。
今まで、だらけていた分、張り切っていた。
洋服タンスの上に並べていた空き箱を整理しようと思いついた。
手を伸ばして、空き箱を取ろうとしたが、届かない。
チエちゃんは、少し背伸びをした。
あともうちょっとで、届きそう・・・
つま先立ちになって、さらに手を伸ばした。

その時、ピッとチエちゃんのお腹に痛みが走った。
思わずその場にうずくまる。
あっ、どうしたんだろう?
まさか、こんなことくらいで、お腹に影響はないよね。
ピッとした痛みは一度だけだったけれど、お腹がぼわーっと膨れるような鈍痛が続いていた。
少し休んだら、きっとよくなるはず。
チエちゃんはベッドで休むことにした。
夕方になってトイレに行くと・・・下着が汚れていた。
あれ? 生理? やっぱり妊娠じゃなかったのかしら?
その後も生理痛のような、いつもとは違うようなお腹の鈍痛が続いていた。

それからの2~3日は、ベッドに横になり安静にして過ごした。
けれども、出血はますますひどくなっていた。

とうとうチエちゃんは意を決し、産婦人科を受診することにした。
診察台に上がったチエちゃんに、医師は、
「ああ、こりゃもうダメだわ。赤ちゃんが流れて出てきてしまったよ。」
流産だった。
私の不注意で、赤ちゃんは死んでしまった。
ヒロシにも申し訳けなかったし、この世に生を享けるはずだった赤ちゃんにも何と言って詫びたらよいのか、分からなかった。



あれから30年。毎年夏になるとに思い出す。
後悔の念とともに、あの冷夏を。






第191話 おねしょ

2012年06月03日 | チエちゃん
日曜朝のまどろみの中で、私は寝返りをうった。
その時、何やら脚に違和感を感じた。
冷たい!
私は、一瞬で目が覚め、ガバッと飛び起きる。
やられた!

ここ数日、我が家はおねしょの被害にあっている。
冬の間は私たちの布団に潜り込んで寝ていた猫たちが、暖かくなって、ボブはヒロシの、キャシーは私の布団の上で寝るようになっていた。
5日前の夜中、ボブが突然ヒロシの布団の上で、おしっこをしてしまったのだ。
正しくは、それはボブのおねしょではなく、マーキングとうのかもしれない。
眠っている時、知らぬ間におもらししている訳ではなく、確信犯だからだ。
その被害が、今朝は私の布団だったわけだ。

少し語気を強めてボブを叱ると、彼は身体をくねらせ、顔を床にこすり付け、照れくさそうにする。
やはりネコなりに、気まずいのだろうと思った。
そういえば、チエちゃんにもそんな時があったっけ・・・


夕飯後に出された梨がことのほか美味しく、テレビを見ながら、何個も食べてしまったチエちゃんです。
「もう、そのへんにしとげ。おねしょするようになるぞ。」
「だいじょぶだもん。もう、おねしょなんかしないもん。」
そう言って、おばあちゃんと布団に入ったチエちゃんは、夜中に揺り起こされました。
寝ぼけ眼のチエちゃんは、なぜ起こされたのか分からないままです。
「だがら、言ったべ。食い過ぎだぞ」
お尻のあたりが、冷や冷やしてきました。
「ほら、早く着替ろ!」
(しまった! やっぱり、梨を食べ過ぎた!)

そういえば、さっきまで夢を見ていたような気がします。
おしっこがしたくて、急いでお家に帰ろうとしていました。
もう、漏れそう。ダメだ!
そう思ったとき、目の前に、お家の便所が現れ、よかった間に合った・・・

翌朝、あれはおねしょをした夢ではなかったのか?と思うものの、お布団の地図を確認して、
(ああ、どんな顔で茶の間に行ったらいいのだろう?)
なんとなく恥ずかしく、やっぱり母ちゃんの忠告を聞いておけばよかったと後悔するチエちゃんなのでした。



第190話 公然の秘密

2011年11月20日 | チエちゃん
本日11月20日は、福島県議会議員選挙の投票日でした。


次の日曜日に、村議会議員の選挙投票日を控えたある日のことです。

おじさん:いらったがい?(居ますか?)
お母さん:ああ、ご苦労さまだない。
おじさん:今度の日曜には、ひとづよろしくお願いします。
お母さん:はいはい、うちはもう全員○○さんに決めてますがら・・・
おじさん:そうがい。ほんじゃ、安心しました。
     んだげんちょも、選挙は開げでみねど、わがんねがらない。
それから、おじさんは懐から封筒を出し、
おじさん:くれぐれも、よろしくお願いします。
と言って、封筒を畳の上に置くと、そそくさと帰って行きました。

お母さん:まったぐ、困ったもんだ。
     こんなごどしなくたって、○○さんに入れるのに。
     国や県の選挙は遠いがらいいげんちょも、村の議員は地元だがらなあ。
     うるさくて、かなわね。
     チエ、あのおじさんがこの封筒持ってきたごど、
     絶対よその人に言っちゃだめだぞ。
チエちゃん:母ちゃん、それ、もらっちゃダメなんじゃないの?
お母さん:ああ、そうだよ。だがら、誰にも言っちゃダメだよ。
チエちゃん:だったら、もらわなきゃいいのに・・・
お母さん:そんなごどしたら、あそごの家はうぢに入れながったって、
     後々まで恨まれるがら。
     それに、どごの家でも、もらってるんだがら。

ははぁ~、これが公然の秘密というものか。
そして、お母さんは、どこの家でももらっているということで、良心を納得させようとしているのだとチエちゃんは思ったのでした。


第189話 きのこ採り名人

2011年11月05日 | チエちゃん
チエちゃんのお父さんは、村で「きのこ採り名人」と呼ばれておりました。

毎年、秋になると、チエちゃんの知らない山奥に出かけて、たくさんのきのこを採ってきます。
よく採れるのは、アカキノコムラサキシメジです。
どちらもきのこ汁にするとおいしいです。チエちゃんの家では、アカキノコを味噌漬けにしていました。

時々採れるのは、センボンシメジ(ぶなピーに似ています)。
イノハナは、シシタケ・コウタケとも呼ばれ、茶色の大きなきのこです。
乾燥させたものは真っ黒になりますが、炊き込みご飯や油炒めにするととっても美味しいのです。

それから、きのこの王様マツタケ。
お父さんは、たくさん採れたマツタケを地元の八百屋さんに卸していました。
これも貴重な収入源です。
マツタケは、クロマツやアカマツなどの決まった木の側にしか生えません。
お父さんはその場所を知っていたのです。
マツタケの出る場所は、親子の間でも教えないと言われるほど秘密なのです。
教えてしまったら、先に採られてしまうからです。
けど、チエちゃんは大人が言うほど、マツタケは美味しくないと思っていました。
ご飯の中に入っているマツタケは小さくて、食べごたえがないし、味だって大したことない。
シイタケの方がずっと美味しいよ。

滅多に採れないのは、ホンシメジです。
これは、お父さんも1シーズンに一度採れるか採れないかでした。

そして、チエちゃんが一番好きだったきのこは、ホウキタケ
白くてサンゴのようなおもしろい形をしています。
味は忘れちゃったけど、歯ごたえがあったかなあ~


今年(2011年)、原発事故の影響で、福島県の天然きのこは採ってはいけないことになりました・・・

きのこの画像紹介のため、「山形産松茸販売きのこや」さんのサイトをリンクさせていただきました。


第188話 原子力発電所見学

2011年09月29日 | チエちゃん
原子力発電所!?
ええ~、どうして? やだよ、そんなとこ。つまんな~い!

今年の遠足の行く先は福島原子力発電所だと知ったチエちゃんは、そう思いました。

「遠足といったら、名所旧跡と決まっているのに・・・
 去年は、二本松市の霞ヶ城公園で、菊人形を見てきた。
 今年は、会津若松の鶴ヶ城のはずじゃないの?
 どうして発電所なんだろ・・・」

チエちゃんは、水力でも、火力でも、原子力でも、そもそも発電所などにまったく興味がありません。
だから、せっかくの楽しい遠足が発電所だと知らされがっかりしたのでした。

そして、この遠足は本当につまらなく、チエちゃんの記憶にはほとんど残っていないのです。
福島原子力発電所の玄関が自動ドアだったこと(あはは~、どうでもいいことは覚えてる。当時、珍しかったのかな?)と、会議室のような部屋で8ミリ映画(ビデオじゃないよ。時代を感じるね)を見たかなあ?くらいです。
見学といっても、原子炉を直に見られるわけでもなく、せいぜい模型を見るくらいのものです。
そんな見学が記憶に残るハズがないのです。

お昼は、季節はずれの夜ノ森公園(福島原発のある大熊町のとなり富岡町にある公園。桜並木が有名)でお弁当を食べて帰ってきたのでした。


今年3月11日に原発事故が起こり、福島原子力発電所のことを調べてみて、謎が解けました。
あの時、なぜ、遠足の行き先が鶴ヶ城から福島原子力発電所へと変更されたのか、40年後にやっとその訳を知ることができたのです。

東京電力福島原子力発電所1号機は、昭和42年(1967年)着工、昭和46年(1971年)3月に営業運転が開始されています。
将来の日本を担う子ども達に日本の科学の粋を結集して作られた原子力発電所を見学させよう。
これからの日本に原子力は無くてはならないものなのだと子ども達に理解させよう。
おそらく、政府や県や東電は、そう考えたに違いありません。
チエちゃんたちが見学に出かけたのは、半強制的だったわけです。

昭和46年(1971年)チエちゃん中学2年の秋の出来事です。


追記:このとき、チエちゃんは福島原子力発電所で作られた電力はチエちゃんの家にも届いていると勘違いしていたのですが、なはは~ 福島県は全然関係なかったんだよね。
当時、福島県は貧乏だったんだね。リスクと引き換えにお金をもらった。
40年後、とんでもないリスクを背負い込むことになろうとは夢にも思わずに・・・

第187話 森永マミー

2011年08月19日 | チエちゃん
その年の夏、チエちゃんはいつになく早起きでした。
それは、毎朝配達される「マミー」を冷たいうちに飲みたかったからです。

あれは梅雨に入った頃だったでしょうか。
隣組の松本さんが、チエちゃん家にやってきました。
「俺、今度ない、牛乳配達やることになったんだぁ。
 ほんで、こっちの家でもひとつどうがなど思って来てみたんだげんちょも・・・
 どうだべ? ばあちゃん!」
「・・・・」
 おばあちゃんは、思案顔です。

「ほうだ、これはどうだべ?
 今度ない、森永がら新発売の『マミー』っていうんだげんちょも、
 ま、ヤクルトみだいなもんだない。
 子供の成長にもいいんだぞい。
 さ、チエちゃん、飲んでみっせ。これは、サービス!
 ばあちゃんも1本どうぞ。」

チエちゃんとおばあちゃんは、牛乳瓶よりも小さな瓶に入ったマミーを飲んでみました。
ヤクルトとは少し味が違うけれど、甘くて美味しい。
でも、チエちゃんは思いました。
うちで、こんな贅沢な物を取るはずがない。たま~になら、まだしも毎日だなんて。

「どうだべ、ひとつ? ばあちゃんのほまぢ(ほまち金)で。孫さまも喜ぶぞい。」
と、松本さんは揉み手をしています。
「チエ、どうだい? 飲んでみっか?」
「うん」
「ほんじゃ、2本ずつ3ヶ月お願いすっぺが。」

「はいはい、毎度ありがとうございます!」

こうして森永マミーは、チエちゃんの期待をよい方向へと裏切る形で毎日届けられることになったのです。
おばあちゃんは孫たちを喜ばせたかったことはもちろんですが、隣組の人の頼みを無下に断ることができなかったのです。


注:森永マミーは現在も販売されていますが、紙パックのみで瓶入りのものはないようです。
  リンクサイトの「マミーのご紹介」で1965年を見てください。
  チエちゃんが飲んでいたなつかしい瓶入りマミーを見ることができますよ。
 

第186話 氷水屋さん

2010年08月12日 | チエちゃん
 和光堂の隣の隣は、夏の間だけ営業する氷水(こおりすい)屋さんでした。
シーズンオフの期間は、ぴっしりと戸が閉められた普通のお家なのですが、夏になると氷水だけを売るお店屋さんに早変わりするのです。屋号の看板も何もなく、ただ、「氷」ののぼりだけが店先に掲げてありました。
長嶺さんというチエちゃんの村では珍しい苗字でしたが、お店の屋号は分からずじまいで、ただ、「こおりすいや」さんと呼んでいたように思います。

 店内に入ると、広い土間にいくつかのテーブルとイスが並べられ、奥の方には、長嶺さんちの開け放った座敷が見えていました。そして、土間と座敷の間の板の間には、大きな木製の冷蔵庫と、氷削り機が据え付けてありました。
氷水を注文すると、おばさんが、その冷蔵庫から、大きくて四角い透明な氷を取り出し、氷削り機に据え付け、シロップを入れたガラスの器に、ガリガリと盛り良く氷を削ってくれたものでした。

 チエちゃんにはとても不思議に思えたものです。
大きな氷の時は透き通っているのに、細かく削ると雪のように真っ白になるのだろうと。
それに、木の冷蔵庫って、融けないのだろうかと。

 運ばれてきた氷水の器から、氷をこぼさないように、そっとスプーンを引き抜き、手で少し氷を固めます。それから、スプーンで、氷を崩して、器の下の方の甘いシロップが上手に絡むように混ぜながら食べていくのです。
あわてて食べると、キーンと頭が痛くなりましたよね。

 イチゴ、メロン、レモンは30円。練乳をプラスすると50円。あずきミルクは70円だったかな?

買い物帰りに、氷水屋さんに寄るのが、とても楽しみなチエちゃんでした。
お父さんやお母さんと食べるときは、いつもイチゴだったけれど、おばあちゃんと食べるときは、あずきミルク。おばあちゃんの好物でしたから。
もちろん、チエちゃんもイチゴより、あずきミルクの方が好きでしたよ。

第185話 夏越大祓人形祭

2010年07月31日 | チエちゃん
 かあちゃん、それなあに?
 お母さんは、さっきから変な紙切れに、家族の名前と年齢を書きこんでいたのでした。

 これが?今日は、熊ん様の人形祭りだがらな
 人形祭り?

 毎年、7月30日は、熊野神社で夏越しの大祓い人形祭りが行われました。
祭りが近づくと、神社から、家族の人数分の小さな人型の紙が配られます。
それに、家族一人一人の名前と年齢を書き込み、息を三度吹きかけ、身体を撫でます。
特に、痛いところとか、具合の悪いところを念入りに撫でるのです。

 当日、その人形をもって熊野神社へお参りし、初穂料とともに納めます。
人形が私たちの代わりとなって、罪穢れが祓われるということです。

 また、神殿の真ん前には、茅の輪が設けられ、これを八の字に三度くぐりぬけると、夏中健康で過ごせるとも言われておりました。

 チエちゃんは、おじいちゃん、おばあちゃんと熊ん様へ出かけたものでしたが、人形を納めた後、しゃっちょこばって神前に座っていると、神主さんが人形に書かれた名前を何処そこの誰某と、祝詞の口調で読み上げるのが可笑しく、自分の名前が読み上げられると、こそばゆい感じがしたものでした。



 暑中お見舞い申し上げます。
 
 今年は、特に猛暑が続いていますので、どうぞご自愛くださいませ。