元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「彼女を信じないでください」

2005-12-19 06:54:34 | 映画の感想(か行)

 田舎町の旧家の結婚騒動に巻き込まれた仮釈放中の若い女詐欺師を描く韓国製コメディ。こういう映画を観ると、大多数の韓国映画のセールスポイントとは、結局“出演俳優の魅力”でしかないのだということがつくづく分かる。

 設定こそプレストン・スタージェスの往年の作品と似ているが、中身は古色蒼然とした人情ドラマで、各モチーフも手垢にまみれている。展開はモタモタしており、ギャグは泥臭く、終盤“泣かせ”に走るあたりはどうしようもなく臭い。監督のペ・ヒョンジュンはこれがデビュー作だというが、若いのにこんなオヤジ入った作風でどうするのだと心配したくなる。

 だが、困ったことに(?)主演二人にはダサい作りのドラマを2時間引っ張れるだけの存在感があったりするのだ。大きな目をむいて不条理な境遇に陥った自らを嘆くカン・ドンウォンの熱演ぶりも楽しいが、ヒロイン役のキム・ハヌルの頑張りには頭が下がる。今やアジアを代表する若手コメディエンヌだ(笑)。

 しかし逆に言えば、主演二人に“華”がなかったら、観られたものじゃないのである。国家が助成しているか何だか知らないが、基本的なドラマツルギーは手を抜いてあとは俳優たちに“丸投げ”しているようでは、韓国映画の未来は限りなく暗いと言って良いだろう。というか、最初から“このレベル”だったのかもしれないけどね(脱力)。
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「公共の敵2」

2005-12-18 17:26:44 | 映画の感想(か行)
 第19回福岡アジア映画祭出品作品。ソル・ギョング扮する前回の型破り刑事が本作では検察官に出世。高校時代の同級生で、今は阿漕な手段で巨大財閥を牛耳る若手エリートとの戦いを描くカン・ウソク監督作。

 シビアなクライム・アクションとオフビートな笑いとが絶妙のマッチングを見せた前回に引き続き、カン監督はキャラクターの練り上げに余念がない。だが、前作ほど面白くないのは、主人公が偉くなりすぎて建前上の行動の制約が緩くなったことと、脚本の詰めが甘いこと。

 犯人が金持ちの割にやることがセコく、そのため刑事上の“罪状”がハッキリしないのに加え、検事の立場を利用して学生時代の確執に拘っているような主人公には違和感を覚えるし、何よりこのネタで2時間半は長すぎる。一介の検事では太刀打ちできないほどの“巨悪”を用意し、主人公が徒手空拳で立ち向かうという単純な図式でビシッと締めた方が良かった。

 それにしても、映画祭の主催者の“前作も今回も日本の配給会社は購入できなかった。観られるのはここだけ”という自画自賛には鼻白むばかり。要するに製作側が高く吹っ掛けているだけではないか。映画祭の上映がきっかけで国内配給が実現してヒットした・・・・という筋書きの方が、よっぽど理に適っていると思うのだが・・・・。
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「オープン・ウォーター」

2005-12-18 08:04:16 | 映画の感想(あ行)
 これは“少々良くできた「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」”である。小汚いデジカム映像といい、何か起きそうで起きない展開といい、作劇を放り出したような結末といい、魅力のない無名の役者しか出ていないところといい、一発芸的な際物臭さが全編に漂う「ブレア~」と実によく似ている。


 ただし「ブレア~」と違って実話を元にした“ありそうな設定”を採用したことが広範囲にアピールできた理由だとは思う。しかし“大海原に置き去りにされた恐怖を描く”とはいっても、ダイビングをはじめとするアウトドア系の遊びにまったく興味のない当方にとっては、単に“いい加減な業者を相手にした主人公たちの自業自得”としか感じないのは辛い。彼らが次第に“壊れて”いく過程も、まあ予想通りで特段言及する必要もない。

 物語を娯楽映画として普遍的なレベルにまで持って行きたいのなら、大規模な空撮と海中撮影を動員した“引きのショット”を多用すべきだが、この低予算では望むべくもないだろう。結果、中盤以降はずっと海上の接写ばかりのせいで、観ている側は船酔いしか覚えなくなっている(笑)。同じ“実録遭難モノ”ならば「運命を分けたザイル」の方が数段レベルが高い。

 見どころと言えば、調教されたサメに混じって天然もののサメが登場するらしいことか。もっともそれだって映画の内容から外れた話題であるのが、いかにも「ブレア~」の類似品らしい。
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「ミリオンダラー・ベイビー」(ネタばれあり!)

2005-12-17 17:13:42 | 映画の感想(ま行)
***(注:ラストを明かしています!)***

 評論家大絶賛のオスカー受賞作だが、私にとっては今回も“しょせん、イーストウッド作品”でしかなかった。

 不幸な生い立ちの女子ボクサーが老トレーナーの指導によりめきめきと力をつけ、世界タイトルまで狙えるようになるが、試合中の事故で半身不随、そして悲惨な最期を遂げる・・・・というストーリー自体“なんじゃこりゃ?”である。いったい何を言いたいのだろうか。“可哀想なのはこの子でござーい”という、単なる“不幸の見せ物”か? あるいはラストで“やることをやって去って行く主人公像”に、イーストウッドが過去に演じた西部劇のさすらいのガンマンをオーヴァーラップして自己陶酔しているのか? いずれにしろ、終盤の愁嘆場と前半のスポ根ドラマとが娯楽映画としてまったく噛み合っていない珍妙な映画であることは間違いなかろう。

 全体がこの始末だから、個々の作劇面の不手際がより一層目立つ。だいたいイーストウッド扮するトレーナーとモーガン・フリーマンの共同経営者は、どちらか一人で十分。ヒラリー・スワンクは頑張っていたが、ボクシング場面は低調の極みで、相手ボクサーが全員“どうぞ打ってください”と言わんばかりのガードを下げたポーズで向かっていくのには脱力してしまった。少なくとも「レイジング・ブル」などの足元にも及ばない出来だ。

 そしてラストが「海を飛ぶ夢」と一緒というのは、今回のオスカー選定に“何らかのトレンド”が作用したことは疑いなく、その点でも実に不愉快である。
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「ザ・リング2」

2005-12-17 07:59:18 | 映画の感想(さ行)
 “ナオミ・ワッツって相変わらずイイ女だよなー”という感想しか残らない映画である。

 作劇的には話にならない。だいたい前回出所ルートが明確化されたはずの「呪いのビデオ」がどこから出てきたのかが不明。テロリスト的に殺戮を繰り返していた貞子(サマラ)が、今回急に“母の愛を求める”といった下世話な行動規範を付与されているのも不満だ。怨霊がヒロインの息子の身体を借りて転生しようとするのも芸がなく、エゲツない方法でこの世に出ようとした「呪怨2」の悪霊に負けている(笑)。

 怖いシーンも一つとしてなく、面白かったのは鹿に襲われる場面のみ(前作では馬が重要なモチーフだったから、今回と合わせれば「うましか」だ ^^;)。

 中田秀夫監督は「リング」を撮り終わってからずっと不調が続いているが、今回も例外ではなくメリハリのない平板な演出に終始している。だいたいどうしてオリジナル脚本にこだわるのだろうか。ここは単純に「らせん」のリメイクを粛々と実行するべきではなかったか。そうなればストーリー面でもあまりボロが出ず、さらには多大な製作費が必要な「ループ」の映画化も実現味を帯びてきただろう。

 ただ、サマラの実母としてシシー・スペイセクが出演していたのは興味深かった。「キャリー」の主人公のなれの果てみたいな役柄は、監督自身(年齢から考えても)あの映画に多大な影響を受けたことが窺われる。
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「クローサー」

2005-12-16 06:56:08 | 映画の感想(か行)

 ロンドンを舞台にした、ちょっと複雑で過激な四角関係・・・・という触れ込みながら、最初の10分間で“愛だの恋だのは、嫉妬や喧嘩の逆ベクトルでしかない”とのモチーフが見透かされてしまう点は痛い。

 それでも元ネタの舞台版であれば、眼前の俳優たちのシビアな台詞のやりとりに退屈するヒマはないのかもしれないが、スクリーン上ではそれを2時間も引っ張れるほど奥の深いテーマでは成り得ないのも辛い。

 実際はそんなヒネた見方やゲーム的な感覚をやり過ごしつつも、みんな何とか納まるところに納まっていくし、そうでなければダメになってしまうものだ。映画が描くべきは、その“まっとうな納まる過程(あるいは破局のプロセス)”の方であろう。

 それでも監督マイク・ニコルズは映画版のメリットを活かしつつ舞台版のテイストをも反映させるべく奮闘している。特に登場人物を絞りながらも移動撮影を多用してカメラを各キャラクターに貼り付ける等の工夫は認めて良いし、冒頭とラストにダミアン・ライスの『Blower's Daughter 』という曲を流すあたりも効果的だ。

 でも観賞後の居心地の悪さは、やっぱり映画と演劇との溝は深かったと言わざるを得ないだろう。

 主要キャクター4人のうち3人は、演じる俳優たち(ジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウ、クライブ・オーウェン)のクサさもあり(笑)、実に鼻持ちならない印象を受ける。救いはナタリー・ポートマン扮するストリッパーで、恋愛遊戯に荷担しながらも真っ直ぐな純情ぶりを捨てきれないあたりが観る者の共感を呼ぶ。やはり“若いって素晴らしい”のである。
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「バットマン ビギンズ」

2005-12-16 06:53:37 | 映画の感想(は行)
 パート1よりさらにさかのぼった時代を描いた“バットマン誕生篇”である。映画版のシリーズの全部を観ているわけではないが、本作が一番面白いと思う。


 「メメント」等のクリストファー・ノーラン監督はキャラクター造形に卓越したものを見せ、コウモリの格好をして悪人退治稼業に勤しむ“フツーの人間(スーパーマンやスパイダーマンみたいな超能力者ではない)”という主人公像を、その屈折ぶりを含めて噛んで含めるように描き、見事に実体化させている。

 ブルース・ウェインが頭抜けた金持ちである点も効果的なネタで、並の人間のように悩みつつも、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていることを描出しているあたりも上手い。特にホテルのレストランでボーイに注意された腹いせに、その場でホテルを丸ごと買い取ってしまうくだりは痛快だ。

 悪役が正体をあらわすまでが少しモタモタするが、アクション場面はなかなかキレがある。クリスチャン・ベイルは好演。主人公と絶妙の掛け合いを演じる執事役のマイケル・ケインをはじめ、リーアム・ニーソン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマン、ケイティ・ホームズら脇のキャストも万全だ。渡辺謙の出演場面が少ないのは残念だが、まあ、こんなものだろう(笑)。

 バットモービルをはじめとする大道具・小道具がアピール度満点で、イギリスやアイスランドでロケされた映像も美しく、今後のシリーズが楽しみになってくる快作だ。
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三浦展「下流社会 新たな階層集団の出現」

2005-12-15 19:01:29 | 読書感想文
 話題になっている新書版の中身が充実していた試しはないが(実例:ベストセラーになった「バカの壁」など)、この書物も実に「軽い」。

 何より、消費者をいろんな細かいセグメントに分けてレッテルを貼りまくるという方法論(本書のかなりの割合を占める)は、マーケティング専門家である著者の自己満足にはなるかもしれないが、読む側は鼻白むばかりである。それに“こんな本を書いているオレって上流だぜっ!”という鼻持ちならない態度が文章のあちこちに透けて見えるのも愉快になれない。


 だが、本書が指摘する「中流社会から下流(注:下層ではない)社会へ」なるトレンドの顕在化についてはその通りだとは思う。向上心どころか損得勘定にさえ興味を示さない“下流の人たち”が今後も増え続けると社会全体が衰退するのは必定だ。

 この本はそれを“下流の人たちは努力を忌避するメンタリティに問題があるのだ。頑張らないからイケナイのだ。でも、機会の均等化だけは与える必要はあるだろうね”という安直なレベルで片付けてしまうが、事はそんなに単純ではない。

 たとえば、もし私の身内にフリーターやニートに身をやつしている者がいたとしたら、ケツを蹴っ飛ばしてでも精進させて正業に就かせるだろう。だが、世にあふれる“下流の人たち”に向かって“みんな、現状を変えたいのなら努力しろ!”と叫んでも無駄だ。なぜなら、社会全体に彼らをすべて正職員として受け入れる職域が存在しないから。

 現場の仕事をそつなくこなし、10数年前ならば正社員として雇われていたような連中が、今ではバイトか、せいぜい派遣社員の身に甘んじているケースが周りにゴロゴロしている。いくら努力しても正職員の椅子の数が限られているため、多くはあぶれてしまう。そして経営側もバイトや派遣社員みたいな“使い捨てに出来る働き手”を欲している。このへんの構図に踏み込まずに、単に下流の人間を“意欲がないからダメだねェ”と笑い者にするばかりでは何もならないだろう。

 もっとも、作者は“下流の人間は本なんて読まないから、どんなに罵倒しても良い”と思っているのかもしれないけどね(脱力)。
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「キングダム・オブ・ヘブン」

2005-12-15 06:58:59 | 映画の感想(か行)
 リドリー・スコット監督作品としては明らかに「ブラックホーク・ダウン」の延長線上に位置する。しかも、アメリカ側から描くしかなかったあの作品とは違い、12世紀のエルサレムを舞台に十字軍とサラセン帝国との抗争を題材にした本作では、余計なしがらみ無しに容赦なく“戦争の真実”に迫ることが出来る。

 その“真実”とはつまり“戦争は善悪の彼岸にある”ということ、そして“平和とは危ういパワーバランスの間でかろうじて達成できるもの”ということである。聖地エルサレムを巡ってはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒それぞれの“正義”があり、各勢力の利権も複雑に絡み合う。

 たまたま当時はハンセン氏病に冒されたキリスト教側のエルサレム王と、イスラム側の指導者サラディンが有能であったため束の間の休戦状態を維持していたが、エレサレム王亡き後たちまち戦争が勃発。それでも主人公バリアン卿の奮闘により和議が成立するが、題名通りの“天国の王国”を追い求める人々の願いとは裏腹に、900年経った今でも火種は消えていないという苦い事実が残るのみだ。

 テーマ自体がシビアであるため、娯楽性は希薄。特に史実の紹介に明け暮れる中盤までは退屈でもある。しかし、そこはオーランド・ブルーム主演作、後半からはヒロイックな活躍場面が目立ってくる。クライマックスの戦闘場面は監督の力量がフルに発揮されており、見事な特殊効果も相まって観客を圧倒する(「トロイ」なんて忘却の彼方だ)。

 基本的に英雄譚ではないのでスカッとした娯楽活劇を求める層には不向きだが、主題の堅牢性は捨てがたく、見応えのある映画だと言える。
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「オペレッタ狸御殿」

2005-12-14 20:04:44 | 映画の感想(あ行)
 製作側は“デートムービーだ”と言っているそうだが。それは明らかに間違い。絶対他人には薦められないシャシンである。この映画に途中退場せず最後まで付き合えるのは“鈴木清順作品の特徴”を熟知した手練れの映画ファンか、あるいは熱狂的なオダギリジョーのファンだけである。いずれも社会的には“超少数派”だ(笑)。何も知らないナイーヴな“ただの映画好き”が観たら、チャチなセットと支離滅裂な筋書き、そして必要以上に大仰なキャストの演技に完璧“引いて”しまうだろう。

 ただしそれらを“清順映画の約束事”だと認めてしまえばこっちのものだ。前作「ピストルオペラ」ほどの切れ味はないものの、めくるめく魅惑の“清順ワールド”にどっぷり浸れる2時間弱である。

 とにかくキャラクターが濃い。特に由紀さおりが演じる“びるぜん婆々”が強烈。彼女が薬師丸ひろ子扮する“お萩の局”と大々的なバトル(?)を繰り広げた後『びるぜん婆々のマイウェイ』という奇っ怪な曲を歌い上げるまでのシークエンスは、この映画のハイライトと言える。

 ヒロイン役のチャン・ツィイーの舌足らずの日本語は可愛いし、平幹二朗、山本太郎、市川実和子、パパイヤ鈴木ら脇役も実に楽しそうにスクリーン上を飛び回る。大島ミチルと白井良明による音楽がめっぽう良く、東京スカパラダイスオーケストラの演奏も快調で、主役二人によるデュエット曲「恋する炭酸水」は今年の邦画界を代表する名曲だ。

 そして美空ひばりの“デジタル出演”にはびっくり。過去の映像の合成ではなく、最初からCGで作り上げるという無謀な試み。短いシーンに限定することにより抜群の効果を上げている。今後は版権や肖像権さえクリアできれば、往年の名俳優がデジタルで次々と蘇るのかもしれない(笑)。
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