元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「柳の木のように」

2005-12-29 18:48:38 | 映画の感想(や行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 幼い頃に失明して以来、光のない世界に生きてきた大学教授が手術で38年ぶりに視力を取り戻したことで生じる波紋を描くイラン映画。

 なるほど、人間というのは勝手なものだ。いわゆる“不惑”をとうに過ぎ、社会的地位にも恵まれたはずの主人公も、急に“目が見えるようになった”という想定外の事態を迎え、自分が築き上げてきた実績をかなぐり捨ててまでも“自由に生きたい”との身も蓋もない欲求を抑えきれなくなる。

 特に、自分を支えてきた妻の顔立ちが地味であることに初めて気づき、その恩も忘れて妻の美人の妹に恋心を抱くようになるくだりは苦笑した。

 だが、フランス映画あたりならばシニカルなコメディとして笑い飛ばせるような題材も、戒律の厳しいイランでは辛い。これでは単に愚かな中年男の小児的な迷走ぶりを鬱々と描いただけの重苦しいシャシンではないか。

 監督のマジッド・マジディは「運動靴と赤い金魚」をはじめとする児童映画では大いに才能を発揮したものの、大人を主人公にした前作「少女の髪どめ」以来どうも精彩がない。過去に彼が描いてきた“大人びた子供”と、本作の“子供っぽい大人”では、字面こそ似ているが中身はまったく違うのに、それを同じタッチで扱おうとしたことが最大の敗因だろう。映像が非常に美しいことだけが救いである。
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「マナサロワールの愛」

2005-12-29 08:32:36 | 映画の感想(ま行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 兄と弟が数年を隔ててひとりの女性に対しそれぞれ恋愛模様を繰り広げるというインド製のラヴストーリー。ラスト近くにインド人らしい宗教観のようなものが披露されるものの、中身は典型的なトレンディ・ドラマであることに面食らってしまった(笑)。

 本国では“インド・ニュー・ジェネレーションの誕生”と持て囃されているらしいが、なるほど上映時間も94分と短く、娯楽映画なのに歌も踊りも出て来ない。そして最大の目玉はセリフが英語であることだ(山奥の坊さんも英語ペラペラなのには笑った)。


 当映画祭に招かれた監督アヌープ・クリアンの話によると、共通言語である英語で撮られたことで、今まで15もの公用語で勝手に製作されていた作品群とは別に、グローバルに“インド映画”として通用する方向性が見出せたということである。若い世代にとっては、いつまでも“歌と踊りの連続で3時間”では飽き足らなくなってくるのは確かだろう。今後の動きに注目したい。

 映画自体は別にどうということもない内容だが、ヒロインに扮するネーハー・ドゥベイはすごい美人だ。さすが映画大国インド、女優のレベルは限りなく高い(^o^)。
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「はるか遠い日」

2005-12-29 08:29:48 | 映画の感想(は行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 60年代の激動のベトナムを舞台に、意に添わない結婚をさせられた夫婦の波乱の人生を描くホー・クアン・ミン監督作品。本国で50万部を超えるベストセラーとなったレ・リューの大河小説の映画化であるが、どうもパッとしない出来だ。

 確かにフランスとの戦いからベトナム戦争に至るハードな歴史はちゃんとカバーされているし、民衆の苦しみも描かれている。だが、それらの扱い方はすべて中国映画のコピーである。タッチが「芙蓉鎮」や「青い凧」等とほとんど同じ。バックの音楽も完全に中国流だ。

 国情も国民性も違う地域の映画の方法論を上っ面だけ借用してもサマになるはずもなく、事実、この映画の印象は限りなく“ぬるい”。そもそも出てくる連中の表情と仕草が、厳しい中国映画風の演出とまるで合っていないのだ。時折これ見よがしに挿入される長廻し場面も、ドラマを弛緩させる役割しか果たしていない。結果、2時間の上映時間が死ぬほど長く感じられることになる。

 もっとベトナム人のリズムに合った描き方があったはずだ。とはいえ、歴史の浅いベトナム映画では、これも試行錯誤の一つであろう。今後の展開を待ちたい。
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