アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。
幼い頃に失明して以来、光のない世界に生きてきた大学教授が手術で38年ぶりに視力を取り戻したことで生じる波紋を描くイラン映画。
なるほど、人間というのは勝手なものだ。いわゆる“不惑”をとうに過ぎ、社会的地位にも恵まれたはずの主人公も、急に“目が見えるようになった”という想定外の事態を迎え、自分が築き上げてきた実績をかなぐり捨ててまでも“自由に生きたい”との身も蓋もない欲求を抑えきれなくなる。
特に、自分を支えてきた妻の顔立ちが地味であることに初めて気づき、その恩も忘れて妻の美人の妹に恋心を抱くようになるくだりは苦笑した。
だが、フランス映画あたりならばシニカルなコメディとして笑い飛ばせるような題材も、戒律の厳しいイランでは辛い。これでは単に愚かな中年男の小児的な迷走ぶりを鬱々と描いただけの重苦しいシャシンではないか。
監督のマジッド・マジディは「運動靴と赤い金魚」をはじめとする児童映画では大いに才能を発揮したものの、大人を主人公にした前作「少女の髪どめ」以来どうも精彩がない。過去に彼が描いてきた“大人びた子供”と、本作の“子供っぽい大人”では、字面こそ似ているが中身はまったく違うのに、それを同じタッチで扱おうとしたことが最大の敗因だろう。映像が非常に美しいことだけが救いである。
幼い頃に失明して以来、光のない世界に生きてきた大学教授が手術で38年ぶりに視力を取り戻したことで生じる波紋を描くイラン映画。
なるほど、人間というのは勝手なものだ。いわゆる“不惑”をとうに過ぎ、社会的地位にも恵まれたはずの主人公も、急に“目が見えるようになった”という想定外の事態を迎え、自分が築き上げてきた実績をかなぐり捨ててまでも“自由に生きたい”との身も蓋もない欲求を抑えきれなくなる。
特に、自分を支えてきた妻の顔立ちが地味であることに初めて気づき、その恩も忘れて妻の美人の妹に恋心を抱くようになるくだりは苦笑した。
だが、フランス映画あたりならばシニカルなコメディとして笑い飛ばせるような題材も、戒律の厳しいイランでは辛い。これでは単に愚かな中年男の小児的な迷走ぶりを鬱々と描いただけの重苦しいシャシンではないか。
監督のマジッド・マジディは「運動靴と赤い金魚」をはじめとする児童映画では大いに才能を発揮したものの、大人を主人公にした前作「少女の髪どめ」以来どうも精彩がない。過去に彼が描いてきた“大人びた子供”と、本作の“子供っぽい大人”では、字面こそ似ているが中身はまったく違うのに、それを同じタッチで扱おうとしたことが最大の敗因だろう。映像が非常に美しいことだけが救いである。