元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「神さまへの贈り物」

2009-09-11 06:29:20 | 映画の感想(か行)
 96年のアジアフォーカス福岡映画祭で観た映画。監督はそれ以前にも「ザ・ブーツ」「チック・タック」の上映でこの映画祭でもお馴染みとなったモハマッド=アリ・タレビ。本作は日本資本による製作で、世界市場をもにらんだ出品となっていた。

 テヘランの下町に住む4歳の女の子ジェイランは公園に遊びに行きたくてたまらないが、母親は家事で忙しく、姉たちは学校に行っており、誰も相手にしてくれない。近所に住むマスメおばあさんは米の配給券を持っているのに息子が多忙で取りに行ってもらえないので途方に暮れている。ジェイランはおばあさんに同行して手伝うことを遊びに行く口実にして外出することになる。ところが、たどり着いた店でなんと30kgもの米を貰ってしまったおばあさんは、とても家まで運ぶことができない。果たして二人は無事に帰ることができるのだろうか・・・・。

 前2作にもまして素晴らしい出来だ。何より作者が登場人物たちを信じきっているのが快い。キャストはマスメばあさんを除いて全員が素人で、イラン映画得意の“ドキュメンタリー手法をフィクションの中で展開する”方法が全開状態で進むが、窮地に立った主人公二人を周囲の人々がイヤな顔ひとつせず助けてくれるパターンの繰り返しという、フツーの映画ならウソ臭くて見ていられないシチュエーションが、何と自然で温かく描かれていることか。

 おばあさんのメガネが溝に落ちてしまって、近くを通りかかった男の子(「チック・タック」の主人公)に頼んで取ってもらうシーンの、思わず微笑んでしまうようないじらしさ。一見無骨なバイクの男(実は教師)が二人を助けた後もフォローするように背後からついてくる場面のホッとする安堵感。たくさんの袋に分けて詰めた米を、通りがかりの小学生たちが歩道橋を一列になって運んでやるシーンのほのぼのとしたユーモアなど、まさに“渡る世間に鬼はなし”といった感じの楽天的な展開が観客の心の琴線に触れてくるのだ。

 もちろん、牧歌的な市井の人々の優しさを綴っただけの作品ではなく、外に出られない幼児や老人の欝屈した気分を、戦争後のイラン社会に投影していることは確かである。でも、勇気を持って外に出れば何とかなる。希望を持って生きれば皆優しく接してくれる。ラストでおばあさんは寛大にも、苦労して持ち帰った米を近所の人々にふるまってしまうが、作者はこのヒロイン像を作るにあたり、往年の日本映画の傑作群の女主人公を参考にしたという。

 そういえば、イラン映画は通算50本近く観ているのだが、根っからの悪党が登場する映画は少ない。実際のイラン社会がこんな善人ばかりだとは思わないが、映画が“夢”を創造するメディアであるなら、こういう人間関係のユートピアが、人々の“理想”であり映画はそれに奉仕するものだ、という健全な図式が成り立っているのかもしれない。

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