元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「女の子ものがたり」

2009-09-12 10:26:50 | 映画の感想(あ行)

 観ていて気分を害した。ヒロインの子供時代に扮した森迫永依と、高校生から20代前半の頃を演じる大後寿々花の“外見”がどうしようもないからだ。断っておくが、別に見てくれに難のある女優を起用してはイケナイと言っているのではない。それ相応のドラマ的な必然性と達者な演技さえカバーしておけば、どこからも文句は出ないのだ。

 しかし、彼女たちの成長した姿が、深津絵里のようなチャーミングなルックスを備えた女性だというのは、絶対納得出来ない(大笑)。特に出演時間が長くて実質的な“主演”である大後の御面相は、とてもスクリーン上でのアップに耐えうるものではない。昨今は嬉しいことに日本映画界での若手女優の層が厚くなり、大後よりも数段可愛くて演技力もある人材がいくらでもいるのに、いったい何を考えて製作側は彼女を起用したのか理解に苦しむ。

 さて、キャストうんぬんを別にしても、これはどうにも気勢の上がらない映画である。それは、登場人物全てが“頭がよろしくない”からだ。主人公は36歳になる女流漫画家だが、10年前に突出した作品を一本モノにして以来、ずーっとスランプに陥っている。浮き沈みの激しい漫画家稼業とはいえ、満足出来る作品を描けない状態に対する自己分析を10年間も怠っているのは、いくら何でもアホではないか。

 映画はふとした拍子に彼女が昔のことを思い出し、それから再起の糸口をつかむ様子を描いているが、過去を回想して故郷を思うなんてことは10年の間にいくらでもあったはずだ。それがどうして今回だけ特別なのか、まったく腑に落ちない。

 彼女に絡んでくる編集部員もまったく風采が上がらず、ヒロインが若い頃に連んでいた二人の女友達に至っては、悲しくなるほど愚かだ。彼女たちは自らの思慮の浅さにより、最後まで貧乏くじを引きまくる。もちろん、愚昧な人間達を描くこと自体は問題はない。でも、本作の居心地の悪さは、その“愚かさ”に関して作り手がまったく“共感”も“理解”も示していないことだ。常時“上から目線”で、登場人物達のスマートならざる所業を冷笑するのみ。

 ならば作者はどの程度の“賢さ”を備えているというのか。骨太なドラマツルギーをも形成出来ない者が、利いた風な口を叩くなと言いたい。この監督(森岡利行)は無能である。舞台になっている愛媛県の田舎町は風情はあるが、撮影が凡庸なので画面に奥行き感が出ていない。おおはた雄一の音楽も印象に残らず、これは凡作と言わざるを得ない。

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