(原題:寒暇)アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。断じて万人向けの映画ではないが、不可思議なユーモアとシニカルな視点が全編を覆い、観る者を飽きさせない。2010年のロカルノ国際映画祭で大賞を獲得した注目作。今回観ることが出来て良かったと思う。
舞台は中国北部、内モンゴルにある田舎町。冬休み最後の日を何気なく過ごす中学生たち、およびその家族の有り様をスケッチ風に描く作品だが、まず目を引くのはその映像リズムだ。冒頭、拡声器からリフレインされる物憂い宣伝文句をバックに、路地の一角が映し出される。カメラ固定の長回しで、人物がなかなか登場しないまま画像だけが流れる。

ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」の最初のシーンを思い起こさせるが、本作にはああいう底意地の悪い緊張感の押しつけ(注:これはホメているのである ^^;)はない。代わりにあるのは、弛緩しきったカラッポの風景である。
余白ばかりの空疎な画面が流れた後に、申し訳程度に登場人物が出てきて、ボソボソと会話を交わす。内容は、何もすることが無い連中の取るに足りないイージートークばかりだ。しかし、言葉を発している側からすればそれなりに切迫した話題なのである。
たとえばそれは、恋愛や家族についての悩みだったりする。ところが観ている方は、どれもこれも退屈でコメントする気も起こらないようなネタに思えるのだ。それどころか、わざわざこんな話をしなきゃならない彼らに対して滑稽味さえ感じてしまう。
人間、突き詰めてしまえばこの程度の意思伝達をするために生まれてきたに過ぎないのではないか・・・・という、極端に冷笑的な見方がある種痛快に思えるような、屈折した作劇だと言える。もちろんそれは、社会の発展から取り残されたような地方の沈滞したムードとも無関係ではないだろう。

やがて冬休みは終わり、新学期初めての授業が行われる。生物授業担当の教師はカリキュラムを完全無視して“人生なんてほとんどが無意味だ!”というような意味のセリフを吐くが、その後の展開がまさに皮肉たっぷりで、呆れつつも笑ってしまった。
監督のリー・ホンチーの他の作品にもこういうテイストが満載らしく、目の離せない作家ということが出来るだろう。寒々とした内蒙古地区の風景と、超脱力の音楽も相まって、忘れられない印象を残す。
舞台は中国北部、内モンゴルにある田舎町。冬休み最後の日を何気なく過ごす中学生たち、およびその家族の有り様をスケッチ風に描く作品だが、まず目を引くのはその映像リズムだ。冒頭、拡声器からリフレインされる物憂い宣伝文句をバックに、路地の一角が映し出される。カメラ固定の長回しで、人物がなかなか登場しないまま画像だけが流れる。

ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」の最初のシーンを思い起こさせるが、本作にはああいう底意地の悪い緊張感の押しつけ(注:これはホメているのである ^^;)はない。代わりにあるのは、弛緩しきったカラッポの風景である。
余白ばかりの空疎な画面が流れた後に、申し訳程度に登場人物が出てきて、ボソボソと会話を交わす。内容は、何もすることが無い連中の取るに足りないイージートークばかりだ。しかし、言葉を発している側からすればそれなりに切迫した話題なのである。
たとえばそれは、恋愛や家族についての悩みだったりする。ところが観ている方は、どれもこれも退屈でコメントする気も起こらないようなネタに思えるのだ。それどころか、わざわざこんな話をしなきゃならない彼らに対して滑稽味さえ感じてしまう。
人間、突き詰めてしまえばこの程度の意思伝達をするために生まれてきたに過ぎないのではないか・・・・という、極端に冷笑的な見方がある種痛快に思えるような、屈折した作劇だと言える。もちろんそれは、社会の発展から取り残されたような地方の沈滞したムードとも無関係ではないだろう。

やがて冬休みは終わり、新学期初めての授業が行われる。生物授業担当の教師はカリキュラムを完全無視して“人生なんてほとんどが無意味だ!”というような意味のセリフを吐くが、その後の展開がまさに皮肉たっぷりで、呆れつつも笑ってしまった。
監督のリー・ホンチーの他の作品にもこういうテイストが満載らしく、目の離せない作家ということが出来るだろう。寒々とした内蒙古地区の風景と、超脱力の音楽も相まって、忘れられない印象を残す。