元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ナデルとシミン」

2011-09-26 06:28:55 | 映画の感想(な行)

 (英題:Nader and Simin, A Separation )アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。これは素晴らしい。イラン映画の秀作だ。本映画祭でも上映された「彼女が消えた浜辺」(映画祭でのタイトルは「アバウト・エリ」)に引き続き、アスガー・ファルハディ監督の手腕はますます冴えている。

 テヘランに住むナデルとシミン夫婦は離婚寸前。妻は中学生の一人娘の教育環境を考えて、海外に移住したいと思っている。夫としては、認知症の父親を放ったまま外国に居を移すことなんか出来ない。とりあえず妻は夫を置いたまま実家に戻ってしまうが、その間に夫が雇った家政婦が重大なトラブルを引き起こす。

 彼女はナデルの父をベッドに縛り付けて勝手に外出。娘と共に帰宅した彼は、意識不明でベッドから落ちた父親を見つけることになる。激怒したナデルは彼女を怒鳴りつけて家から追い出すが、その弾みで彼女は階段を転げ落ち、妊娠していた赤ん坊を流産してしまう。イランでは相手が妊娠しているのを知っていて流産させると、殺人罪に問われるのだ。

 果たしてナデルは妊娠の事実を知っていたのか。そして家政婦が仕事を放棄して外出した本当の理由とは。家政婦の失業中の夫との訴訟合戦が始まり、妻シミンをはじめ隣人や娘の学校の担任教師など、周囲の人々を巻き込んで事態は混迷の度を極めていく。

 前作「彼女が消えた浜辺」では、リゾート地で失踪した一人の女性をめぐる因縁話がスリリングに展開して観る者を瞠目させたが、あれは舞台設定や筋書きが一種の“トラベルミステリー”(?)のようなフィクションの体裁を取っていた。だから観る側は(シビアな作劇に圧倒されながらも)一歩引いたスタンスの位置にいられたのだが、今回はそうはいかない。いつ我が身に降りかかってくるか分からない、リアリティの大きさがクローズアップされてくる。

 BGMは皆無で、登場人物に対する接写の連続。まさに逃げ場を封じた切迫感が横溢し、全編を覆うテンションの高さは尋常では無い。次々と明らかになる意外な事実、読めない展開、特に味方だと思っていた人間が“諸般の事情”により簡単に寝返ってしまう危うさは相当なものだ。

 さらに、イスラム的慣習が真相の解明をいっそう困難にする。家政婦がナデルの父親を介護しようとして逡巡し、教祖に相談してしまうことが後々まで尾を引くことになる。そもそも、シミンが離婚を意識する原因になったのが、この国のそういう事情なのだ。またそれは、古くからの因習と西欧的価値観との葛藤という、グローバルな問題をも提起している。

 主演のレイラ・ハタミとペイマン・モアディは好演。他の面々もクセ者揃いで作品の底の深さを際立たせている。2011年のベルリン国際映画祭での大賞受賞作であり、アジアフォーカス福岡国際映画祭でも観客投票による“福岡観客賞”を獲得している。一般公開の際(邦題は「別離」になる)は要チェックだ。
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