(原題:The Tree Of Life)今年観た映画の中で、一番つまらない。ただ、ネット上での本作に対する否定的評価を見ると“意味不明で分かりにくい”といったものが散見されるが、私は決してそうは思わない。作者の意図しているものは大方は理解できる。しかし問題なのは、その“作り手の意思”とやらが救いようがないほどレベルが低いことだ。
1950年代のテキサス。両親と3人の息子からなるオブライエン家は新興住宅地に居を構え、平凡ながらも幸せに暮らしていた。しかし、父親は次第にビジネス的な野心を抱き、家を空けることが多くなる。それと同時に子供達に厳格に接するようになり、長男はこの高圧的な父の態度に反感を抱く。そんな中、次男が若くして世を去り、残された家族は深い悔恨の念にとらわれる。長男が中年世代になった現在、彼は成功して裕福な生活を送っているが、父との関係に今もわだかまりを持っており、事あるごとに少年時代に思いを巡らせる。
要するに、父親とのコミュニケーションの不全や若い頃の家族の不幸に対して屈託を引きずっている主人公が、何とか折り合いを付けて生きていこうとする話だ。それならそうで、父親のバックグラウンドをはじめとする家族の外面と内実とを長いスパンに渡って丹念に追えばいい。ところが伝説の監督(?)テレンス・マリックは何を思ったか、このミクロな主題を神の目から見たような“壮大な映像詩”に仕立ててしまった(爆)。
作者から見れば、親子の確執なんてのは、遠い古代から進化を重ねた生物たちの(今のところ)頂点に立っている人類の原罪の一つとでも言いたいのだろう。さらに、冒頭近くの母親のモノローグで綴られる“神を受け入れた者は実直で、反対に世俗に執着するとロクなことにならない”といったようなことは、語るに落ちるような二元論でしかない。
このオールオアナッシング的な単純な価値観が、一神教を信奉する多くの欧米人のメンタリティなのだろうか。たとえそうだとしても、斯様にあからさまな方法論を映画全体のコンセプトとして採用するというのは、普通赤面ものではないのか。それを得々としてやっているこの作者には“恥を知れ!”と言いたい。
しかも、前半から延々と続く心象風景的な映像のコラージュというのが退屈きわまりない。これは明らかな「2001年宇宙の旅」の劣化コピーではないのか。それとニュアンスとしてタルコフスキーやケン・ラッセルあたりからの盗用も感じられ、ついでに「ジュラシック・パーク」もどきのシーンも挿入されるに及んでは、脱力するしかない。無駄に長い上に、イマジネーションの欠片もないのだ。クラシックを多用した音楽も、饒舌に過ぎて邪魔なだけ。
父親役のブラッド・ピットと成長した長男に扮したショーン・ペンは好演で、母親役のジェシカ・チャスティンも悪くない仕事ぶりだ。しかし、映画の出来自体が話にならない以上、評価するわけにはいかない。とにかく、今年度ワーストワンの最有力候補である。