元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「トウキョウソナタ」

2008-10-08 06:42:09 | 映画の感想(た行)

 黒沢清監督の新境地が開示された映画かもしれない。彼の作品のテーマは“世界の終わり”である。ホラーを撮ってもファンタジーを手掛けても、それぞれの破滅的なラストはみんなこのモチーフに収斂されている。しかし本作は“世界の終わり”とは具体的なこの世のカタストロフではなく、各人のパーソナルな問題として存在しており、それは十分に映画として描くに値する題材である・・・・という、一歩踏み込んだスタンスに移行しているのは見逃せない。

 それを実体化しているのが、冒頭主人公(香川照之)が会社をリストラされることだ。中堅企業の管理職として手腕を振るい、それなりの実績もあげてきたはずなのに、会社の経営方針の変更であっさりと戦力外通知を受ける。するとそれまで彼が当たり前のものとして認識してきた家庭生活をはじめとする人間関係がもろくも崩れ去ってしまう。

 これは黒沢が今まで取り上げてきた“世界の終わり”は、自然災害にせよ戦争にせよ異世界からの侵略にせよ、すべてがマクロ的なものであった。それらはいくら事態が深刻でも皆が平等に直面する危機である限り、映画では明確に描かれないにせよ、当事者たちの連帯意識の発露が想像できる。

 しかし、この映画の“世界の終わり”は主人公だけに降りかかってきた災禍である。つまり彼自身にとっての“終わり”でしかない。かつての同級生である“リストラ仲間”(津田寛治)も登場するが、主人公は彼に対して何もしてやれない。つまらぬ見栄のために手助けするハメにもなるが、それが逆に破局を早めてしまう。それぞれが同じ危機感を覚えているのに、それを共有できないディレンマ。“世界の終わり”はグローバルな大波としてはやって来ない。我々一人一人にピンポイントで襲いかかる。そして主人公の妻(小泉今日子)のように“誰かここから引っ張って!”と呟くしかないのだ。

 しかし、本作のプロデューサーである木谷靖と木藤幸江は健闘した。黒沢の破滅願望を役所広司扮するコソ泥だけに収斂させ、一方で強引に家族の再生ドラマに持って行くという荒技を披露している。それは決して取って付けたような作劇ではなく、終末感漂う中盤までの暗さが存分に活きている。個人が直面する“世界の終わり”は他者(この場合は家族)と分かち合うことにより回避できる可能性がある・・・・と作者は殊勝にも思ったのかもしれないが、映画としてはこの終盤の展開によってまとまりを見せ、普遍的な感銘を観る者に与える結果になった。

 芦澤明子のカメラがとらえた透明感のある街の風景が魅力だ。香川をはじめとするキャストも好演。音楽の使い方が秀逸で、劇中に小出しにしてラストでじっくりと聴かせる作戦が功を奏しており、余韻は深い。観て損のない映画だ。
コメント
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