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6.アコモデーション改造車62系の登場〔昭和49(1974)年〕
旧形車のアコモデーションを改善して乗客サービスの向上を図る試みは都市圏の73系(72系)電車に始まり、多くは全金属化改造と称して新性能車と変わらない車内設備、アルミサッシ化された窓とウインドシル・ヘッダーのないすっきりとした外観に改造された。
photo.0016〔 62系(1980.08.15 甲府) 〕
アコモデーション改造(以下、「アコモ改造」)は地方線区にも波及して、一見新性能車と見まごう103系高窓車と同様の車体を載せた仙石線の事例もあった。仙石線のアコモ改造車は四扉ロングシート車であり、番台区分の変更はあったものの73系電車に分類された。
一方、身延線には12両の73系を近郊型三扉セミクロスシートの車体に載せかえるアコモ改造が実施された。
上回りには運転席後部が広い115系300番台(新製冷房車)と同様の車体を載せ、113系と同じ塗分けであったが、旧形車の台枠に裾絞りが収まらない形状に特徴があった。なお、車体は新製であったが冷房装置は搭載されていない。
photo.0017〔 モハ62形低屋根部(1981.07.16 富士) 〕
12両はTc・M・M・Tc’の4両編成3本として中間電動車はモハ62形、制御付随車はクハ66形とされた。モハ62形のパンタグラフはPS13形で取付け部は低屋根化されたが、800代を名乗ることなく、種車の違いにより 0代と 500代(クハ66形は 0代と 300代)の番号が付された。
73系12両をアコモ改造する計画は、昭和48(1973)年度の車輌配置計画であったが、身延線に投入されたのは翌昭和49(1974)年9月からである。
まず鷹取工場担当分の1編成が昭和49(1974)年8月に完成、9月23日に沼津から富士電車区に入った。ほかの2編成は10月入線の予定であったものが12月の完成となり、3編成が揃って営業に入ったのは昭和50(1975)年に入ってからと思われる。
中央西線・篠ノ井線の全線電化に合わせた昭和48(1973)年度車輌計画については、「路線と運転(追補)」として後述する。
photo.0018〔 戦前型のクハ47形と並んだクハ66形(1981.06.01 甲府) 〕
既存の戦前型旧形国電との連結が可能であり、富士口では62系4両編成に戦前型2両が連結された6両編成も見られたが、補助回路の関係から62系が中間に入ることはできなかった。
昭和45(1970)年3月、12両の62系投入と引き換えに、クモハ41800および二扉電動車のクモハ43形800代4両すべて(810代を含む)とサハ45形3両およびクハ68017の計9両が北松本に転出した。
62系を除く残った旧形国電62両が、身延線最後の戦前型であった。
7.旧形国電の終焉~身延線の新性能化~〔昭和56(1981)年8月〕
photo.0019〔 世代交代を迎えた身延線(1981.08.15 西富士宮) 〕
地方ローカル線に活躍の場を得ていた旧形国電は、車齢50年を迎える車輌もあり、老朽化による乗客サービスの低下や保守現場の負担を考慮して早急な新性能車への置換えが必要だった。
これまで地方路線の車輌更新の多くは、都市圏に新製車を投入し、余剰となった既存車輌を玉突きの要領で地方路線に配属替えすることにより行われてきた。
1970年代後半から1980年代初めにかけては、多くの路線で新製車を直接投入する計画が実行された。旅客用新性能車としては初めて1M方式の電動車を導入するなどの工夫もあって、地方路線の旧形車を次々に置換えた。
身延線には、昭和56(1981)年7月頃から新製115系電車が専用のカラーリングで投入され、旧形国電はアコモ改造車62系を存置し、戦前型車輌62両全車を廃車した。保存された車輌がなかったのは残念である。
photo.0020〔 廃車を待つ旧形国電(1981.08.15 富士宮留置線) 〕
同年8月31日にはクモハユニ44を連結した編成による「旧型電車」さよなら列車が運転された。
遡ること二年前の昭和54(1979)年、御殿場線の73系電車は小山電車区から沼津機関区に115系が転入して新性能化された。モハ114形はすべて低屋根の800番台であり、将来は御殿場線と身延線を共通運用としたい、との思いが含まれていたようだが、実現されていない。
車輌の必要数の違いはあるが、何かの条件やタイミングがずれていたら、身延線に小山区からの115系湘南色が走り、御殿場線に新製の御殿場カラー(富士山をイメージしたようなブルーを基調とした色合いか?)が誕生していたかもしれないなどと想像するのも趣味ならではの愉しみである。
参考文献
鉄道ファン1973年9月号,1975年2月号,1976年2月号,1981年12月号(交友社)
鉄道ピクトリアル1974年11月号,1974年12月号(鉄道図書刊行会)
旧形国電ガイド(ジェー・アール・アール,1981年)
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貴重なお写真、大変興味深く拝見させて頂きました。
近郊型電車の車体デザインに更新されていても、薄汚れていて、パンタグラフや台車など目に見える要所も一目で古いものと分かり、新製された新性能電車とは異なる雰囲気を感じます。
西富士宮を出て、身延に向けて山に分け入る辺り、ガタガタと揺れながら、吊り掛け駆動の音を響かせながら走っていた様子を、私も見てみたかったと感じます。
更新されてからは、そこまで長くは活躍できなかったのでしょうか。115系が走り始め、荷物電車を改装した単行電車が活躍し、さらに今のステンレスの綺麗な電車だけに統一された身延線、隔世の感があります。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/