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2.富士電車区の移転と富士・富士宮間の複線化~富士駅周辺の線路付け替え~
photo.0005〔 身延線電車の所属表記 〕
身延線の電車は、鉄道省時代は名古屋鉄道局富士電車区(名フシ)の所管であったが、戦後に日本国有鉄道(国鉄)が発足すると昭和25(1950)年の管理局制への移行により静岡鉄道管理局が設置され、静岡鉄道管理局富士電車区(静フシ)の所管となった。
昭和44(1969)年4月10日に富士電車区を富士駅東方から西方に移転し、交番検査・特仕検査・中間検査Aは沼津機関区で行い、富士電車区は派出業務・仕業検査・小修繕を残して車輌無配置とされた。これにより、身延線の旧形国電は静岡鉄道管理局沼津機関区(静ヌマ)所属となって廃車までを過ごした。
新たな富士電車区には車輌を格納する電車庫や検修庫はなく、広い留置線のような造りになった。
同年9月28日、富士・富士宮間複線化および一部高架化に伴う富士駅周辺の線路付け替えが行われ、富士を出る列車は東回りから西回りのルートに変更された。これにより、本市場駅は移設して柚木駅に改称、竪堀駅は約400メートル西に移転した。
photo.0006〔 西側から富士駅に進入する回送列車 〕
それまで甲府方面に向かう列車は、富士駅から東へ東京方面に出ていたが、線路付け替えにより東海道本線を左に見ながら西の神戸方面に向かって出発するようになった。
東京方面からは入換なし(折り返さず)に富士宮に入ることができるようになって、宗教臨の扱いは省力化されたが、静岡からの急行「富士川」は折り返さなければならなくなった。
身延線の列車の向きは、富士駅を基準として東京方が奇数向きと決められていたので、竪堀・甲府間では列車の向きが逆転した。向きを揃えるための処置は、切り替え前日の9月27日から以下のように行われた。
(1) 切り替え直後の9月28日に富士発となる列車は、前日に富士電車区に入庫して準備した(富士駅基準で転向は不要)。
(2) 一方で甲府方に滞泊する逆向きの列車は、転向のため、身延駅を境に二通りの対応をとった。
(身延以南滞泊の列車)
9月27日に旧線で富士まで戻り、新線を通って向きを変え、滞泊駅に戻って翌日の仕業に備えた。
(身延以北滞泊の列車)
9月28日および29日に新線で富士駅に到着後、旧電車区付近に仮設した列車転向用の三角線を使って転向。
なお、富士・富士宮間の複線化は、五年後の昭和49(1974)年に完了している。
photo.0007〔 富士駅1番線ホームの東側は行き止まり 〕
モハ14形以降の旧形国電の編成では、急行・準急用の80系電車を除いて付随車は奇数向き、電動車は偶数向きと揃えられていたので、写真から方向を判断するのは容易いことだった。
線路付け替え前後で、竪堀以北の列車写真を見ると、列車編成の向きが変わっていることに気付くはずである。
また、富士駅から東回りの旧線跡の一部約2000メートルは、富士緑道として整備されている。
参考文献
鉄道ファン1969年8月号,1970年5月号(交友社)
レールガイ1980年10月号(丸善出版,1980年)
旧形国電ガイド(ジェー・アール・アール,1981年)
鉄道ピクトリアル1996年2月号(鉄道図書刊行会)
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