気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2009-09-21 22:19:29 | 朝日歌壇
してやった方が早いが百歳の自分でするをじっと見ており
(香取市 関沼男)

日本語の文字にたくさん窓あると手紙見て言うネパールの人
(国分寺市 三浦雅美)

秋冷の水を色濃くにごらせて新米をとぐ心は満ちる
(佐倉市 船岡みさ)

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一首目。百歳のご老人になると何をするのにも手間取って時間がかかるのだろう。周りの人間がやった方が早いのだけれど、本人が「自分でする」というのでじっと見ている。この歌の「百歳」を「三歳」にしてもそのまま歌になると思い、不思議な気持ちになった。「自分でする」にかっこをつけたら、もっとわかりやすいくなるのではないだろうか。
二首目。ふだん日本語を使って読み書きしている私たちは気付かないが漢字には「窓」が多い。日、目、品、田、皿、晶などどれも窓に見える。ネパールの人だからこそ気がついたこと。それを掬いあげて歌にした作者の目も良かった。
三首目。新米をとぐことの有難さ、満ち足りた心が伝わってくる一首。丁寧にといで炊かれた新米はさぞ美味しいことだろう。

鳥は還らず  筒井早苗 

2009-09-21 00:58:17 | つれづれ
うたた寝に二駅がほどを過ぎてをり終着駅にはまだ少しある

<時間>このかたちなきもの追ひかけて追はれてひと日の辻褄が合ふ

黒雲を出でし夕日の保つ朱がしまらく帰路の車窓に嵌る

冷えたりし紅茶の渋みひろごるは胃の腑に近きこころのあたり

きんぴら牛蒡ほどよき味に仕上がりてきはきはと黄をほどくつはぶき

死顔の口許ややにゆるべるを父が笑ふと言ひてかなしむ

昧爽を髭剃り終へてにつこりと<男の美学>と言ひて睡れる

あるかなき意識に交したるものを別れとなして天翔りたる

生きゆくにたゆたふなかれ君在りし日も亡きのちもわたしはわたし

(筒井早苗 鳥は還らず 短歌新聞社)

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先日、日本歌人クラブ近畿短歌大会で、私の歌を選んでくださった筒井早苗先生(新月編集人)の歌集を読む。
あとがきにもあるように、この歌集の歌が詠まれた平成二年から六年にかけて、短歌の師である加藤知多雄師、御父上、御夫君を亡くされ、その挽歌が中心となっている。
筒井さんが実際の年齢よりずっと若々しく見えるのは、短歌の効用だろうか。
身近な人の死という悲しみを歌にすることで、客観視し、悲しみを和らげておられるように感じた。またお会いしたい素敵な方だった。

ミサイルが飛んだ青空 ああ何も知らず口笛など吹いてゐた
(近藤かすみ 日本歌人クラブ賞 於・近畿短歌大会)


キャラ

2009-09-19 10:24:05 | きょうの一首
性(さが)といふ言葉をキャラに置きかへて暗きひびきの払拭さるる
(花山多佳子 木香薔薇)

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たしかに性(さが)という言葉は重たい。性分、性格といった意味だろうが、どうにもならない運命や業のようなものを感じる。
それにひきかえ「キャラ」は軽い。自ら選んで「なりきる」という積極性が感じられる。知っててやっているという感じ。
いつの間にか、キャラをかぶるという言葉を私も使うようになった。自分で自分をプロデュースする感覚がある。ペンネームで歌を作ることは、近藤かすみというキャラを立てたということ。このキャラがうまく活躍するように、素の私はプロデュースをする。もうちょっと頑張らせようとか、休ませてやろうとか。自己を俯瞰すれば、すこし気が楽になる。

西洋朝顔

2009-09-16 16:35:31 | きょうの一首
この秋の残りの時間の中に咲く西洋朝顔のひと色の青
(河野裕子 歩く)

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久しぶりの「きょうの一首」です。
題詠ブログの自作を延々と載せるのも芸がないので・・・。

河野裕子の第九歌集『歩く』の「手術前夜」と題された十首のなかから。
手術への不安を詠った歌に混じって何気ない身の回りの植物が詠われていると、読む者もほっとする。しかし秋という季節、残りの時間、青という色の冷やかさに、ただごとでないものを感じる。病があってもなくても、残り時間が少なくなっていることはだれにも共通する。病を持つと、それが一層強く心に迫ってくる。