気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

メチレンブルーの羊  川井怜子  つづき

2010-10-30 20:24:23 | つれづれ
日日ここに落葉掃くひと自らもふくろに入りしかけふはあらざり

月光は大人の時間コンビニの袋ゆらしてぶらんこに乗る

コスモスの花ばかりなる野原(のつぱら)にツアーの女性がひとり戻らぬ

ネックレスの糸一瞬に切れ よろこびてすり抜けてゆけるもの止められず

六十歳から七十歳までが楽しき日日深く頷くうなづきてさみし

若き日に住みゐし家を一つづつ訪ねてみむとかたる月の夜

雨あがる空のまほらをちちと鳴きいのちまるごと翔ぶつばくらめ

救急車を呼びし隣家の玄関がくちなし色に開かれてゐる

(川井怜子 メチレンブルーの羊 砂子屋書房)

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一首目、三首目。怖い歌である。この夏話題になった高齢者の行方不明のことを連想してしまったが、歌はそれ以前に作られたものだろう。予言とも言える。
二首目、五首目。これからまだ人生は面白くなるのだろうか。面白くしようという意欲があれば、まだ行けるかもしれない、それには健康とお金も必要で、これが問題だ。しかし、それよりも「楽しもう」という根性が大事なのかも。まずは、周囲に遠慮する意識は捨てなければ!
作者は、そのあとのことを思って「さみし」かったのだろうか。
六首目。川井さんは、あちこち引っ越しをされたのだろうか。この歌を読んで、ふと涙ぐんでしまった。私は一回しか引っ越しをしていなくて、それも同じ区の中だが、思い立ってむかし住んでいた家を見に行ったことがある。ほぼそのままの様子で丁寧に住んでおられるようで、嬉しかった。表札は外人さんの名前になっていた。結句の「月の夜」がいいなあ。
七首目は、歌集の最後の歌。これもこわい。


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