気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

葦舟  河野裕子  つづき 

2011-02-19 00:55:14 | つれづれ
その身体ひき受けてあげようと言ふ人はひとりもあらず たんぽぽ、ぽつぽ

残すほどの何があらうかこんなにも短い一生は駅間(えきま)の時間

乗り継ぎの電車待つ間の時間ほどのこの世の時間にゆき会ひし君

青葉梟(あをばづく)ほつほーほつほーと鳴く夜に紙に現れる歌を待ちゐる

笑ひ事ぢやないから笑ふほかなくて三分咲きの桜見にゆかうぢやないの

てのひらに木苺ほろろ母のうへに草かんむりの木苺ほろろ

さやうなら きれいな言葉だ雨の間(ま)のメヒシバの茎を風が梳きゆく

誰からも静かに離れてゆきし舟 死にたる母を葦舟と思ふ

しやうもないから泣くのは今は止(や)めておこ 全天秋の夕焼となる

(河野裕子 葦舟 角川書店)

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河野裕子の晩年の歌の特徴は、自然体ということだろうか。力が抜けているような感じ。
初期の作品とは違ってきている。オノマトペは、ずっと多い。
毎日毎日、たくさん作られたのだろう。