気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

葦舟  河野裕子 

2011-02-16 18:10:40 | つれづれ
あなたには何から話さうタカサブラウ月が出るにはまだ少しある

終点まで乗りてゆかうと君が言ふああいいよ他に誰も居ない

ひとごとのやうにその日も晴れてゐて父は死んだと聞かされたのだつた

わたしらはもののはづみに出会(でお)うたよあんなに黄色い待宵の花

どの人も一度は泣いたに違ひない一様にしづかな眼を眼の奥に収(しま)ふ

ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい

誰からも遠くに居たいと地下鉄のベンチで電車二本やり過す

慰めも励ましも要らぬもう少し生きて一寸(ちよつと)はましな歌人になるか

ありがたうの「あ」の口の形わたしらに母が最期の挨拶なりき

(河野裕子 葦舟 角川書店)

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河野裕子の最後の歌集『葦舟』を読む。三度目くらいかもしれない。

あとがきには「五十年ほど歌を作ってきてほんとうに良かったと、このごろしみじみ思う。・・・わたしの人生に於いて何ひとつ悔いるものは無い」とあるが、やはり切ない。
生の声をそのまま投げ出したように見える歌もあり、さすがに巧みだと思わせる歌もあり、読み返してこちらもしみじみした気持ちにさせられる。