気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

エウラキロン  真中朋久歌集

2008-08-23 00:50:54 | つれづれ
をさなごの泣くこゑがもれてくるほどのやはらかき夜の雨が来てゐる

ゑのころを見るたびに摘むをみなごの父なれば手にゑのころ五本

ゆるやかに小潮若潮かすかにも夕刻の海の輝くが見ゆ

広辞苑を装ふクロスの青のごとき朝はやがて靄ふかき谷

ぎんいろのレールがゆるくたばねられ車庫から本線へ流れ入りたり

ひとを抱きたましひを抱かぬさびしさもあるべしその逆もあるべし

手に豆ができたらつちに播いてごらん雲梯の木がのびてゆくから

森のうへにほかりと白い雲があるあなたを支配してはならない

(真中朋久 エウラキロン 雁書館)

***************************

塔の真中朋久の第二歌集を読む。以前、どこかの批評会の流れの居酒屋で、テーブルの向こうで飲んでおられるのを見かけた。気象関係のお仕事をしておられて、生活が真っ当なので、歌も真っ当な感じがする。いいお父さんなのだろうと思わせる温かい歌をいくつも見つけた。気象をはじめ理科全般にくわしく教科書で見たような言葉が出てくる。ちょっと懐かしくなる。生活者として足が地にしっかりついているので、好感が持てる。

夕立がやむまでここにゐる人の湯呑みにすこしお茶を注ぎたす
(近藤かすみ)