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生涯学習の部屋

資格取得数243。6つの修士と20の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

面接授業の申込!

2008年10月26日 15時01分19秒 | 放送大学
まだ、モチベーション的には復活していないものの、今のうちから仕掛けておかないといけないものもある。

放送大学の面接授業も本日が第2次申込の最終日。子供の公開授業の合間を縫って、申込をしておいた。

モチベーション最低の時期に、一旦書いた申込書を廃棄してしまったが、再度、書き直しての申込。

一から学習する意味で「初歩の中国語」を申し込んだ。この授業、中国語の未習者に対する授業であり、自分を今一度見直す意味で申し込んだ。

思い返せば、学生時代、中国語なんて、全く話せないし、むしろ嫌いな言語であった。理由はK先生。彼の教え方にはついていかなかったし、単位が取れない生徒をあれほど出したことをどう捉えているのか。

その反対に、中国語を好きにしてくれた先生はI先生とC先生。このお二方がいなければ、短期とはいえ、中国で働いていた自分は存在しなかったと思う。

で、時代はめぐりめぐって・・・その面接授業の実施責任者は、私に中国語で唯一の「可」をつけたK先生なのだ!不思議なものである。

ちなみにI先生は九州の某大学で学部長をしており、C先生は関西の某大学で教授となっている。I先生から頂戴した長男の出産祝いが未だに、我が家に飾られている。

いい先生にめぐり合うことがどれだけ大切なことか理解いただけることだろう。そして、いい先生にめぐり合うためには、アクションを起こす必要があるし、多くの先生にめぐり合うことで、運命の先生とであう確率が高くなることも理解いただけることと思う。
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ツワモノ!

2008年10月26日 09時37分45秒 | 生涯学習
先般の公開講座で「生涯学習の鬼」ともいえる先輩の話を聞いた。

某先輩は、産能MBAを修了後、ビジネスブレイクスルー大学院大学(BBT)の門を叩いたそうな・・・

産能は産能なりの良さがあるのだが、BBTには産能にない、「激しさ」というか、「荒さ」というか・・・産能を「草食動物」と例えると、BBTは「肉食動物」というような感じの授業らしい・・・

教え方には色々な方法があるので、何が一番いいかということは言い切れないし、受講者の属性によっても、ベストのやり方は変わってくるといえる。

しかし、複数の大学or大学院に行くこと自体は、非常に良いことだと思っている。私自身、大学・大学院ともに、通学・通信の両方に行っているが、それぞれに、学習者にとってのメリット・デメリットがあることを認識している。

ただ、「行かなかったこと」と「行ったこと」を比較するなら、断然、行ったほうのメリットが大きい。

生涯学習とは、死ぬまで学習すること。自分で強制終了しない限り、学習は永遠と続くのだ。しかも、終了した後に、再度、開始することもできる、気軽なものだ。

その負荷の度合いは、各人が決めることで、強制されることではない。しかし、一般的には、負荷を高めれば高めるほど、見返りは大きいとされる。

しかし、生涯学習の魅力は「見返り期待」ではないと私は思っている。日常の生活では感じることのできない、活き活きとした自分を認識することが、最大のメリットだと思っている。「日常」と「非日常」。無論、生涯学習が「日常」となることもあるが、それは、生涯学習が、なくてはならないものに、昇華したことによる事象と考える。

そこまで行けば、すばらしいが、一般人にはなかなか到達することはできない。それは、能力が劣っているからとかいう理由ではなく、時間がない、経済的に耐えれないといった、本質とは離れたところにある。

だからこそ、私は、ほとんど全ての人々に、生涯学習に取り組みたいといった欲求はあるものと信じている。条件さえ合致すれば、誰でも生涯学習をしたいのだ。ただ、エクスキューズが多いだけ。

その言い訳をしない人だけが、現在、生涯学習に取り組んでいる人々なんだろうな・・・そして、神は平等にも、その、生涯学習に取り組んだ時間の分だけ、能力を付与してくださる。仕事では使えない能力ってものもあるが、本人だけは、自分が何に取組み、どういったスキルがついたのか、漠然と認識することができる。

そして、その培った能力は、ほとんどが、無意味なものとなるが、タイミングさえ合致すれば、想像を絶するような力を与えてくれることもある。

そう、宝くじは買わないと当たらない。外れることも多い。それと一緒。生涯学習も、ほとんどはその能力を発揮しないまま、人は死んでいく。しかし、宝くじ同様、当たると大きい!生涯を賭けるだけの仕事になることもある。

ただ、宝くじとの違いは、ある程度、その方向感にバイアスをかけることができる点。自分の将来や好きなことに取り組むことで、当選確率を高くすることができる。

無論、思っていなかった才能が開花することもあるし、事後、止むにやまれず、学習に取り組まざるを得ないこともある。

色々な形。ただ、いずれにせよ、何かをやらねばはじまらない。そして、その決断をできるのは「自分」しかいないのだ。
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MBAなのか?

2008年10月26日 08時52分40秒 | 産業能率大学大学院
我が母校、産業能率大学大学院は来春より「マネジメント大学院」に変わってしまう。

今までは「MBAコース」だったから、疑いなく、修了後は国内MBAと名乗ることができたが、これからは「マネジメント大学院コース」ということなので、MBAといえるのか心配である。

そもそも、MBA⇒ビジネススクールとはケース中心の授業と、「経営学」「会計学」「人材資源管理」「マーケティング」「経済学」「ファイナンス」等々、必要最低限の授業を満遍なく履修することが求められる。だから、必須科目があり、それらの履修無しには修了できない。

当初、私がMBAを避けていたのも、やりたいのが人材であり、簿記2級も合格できない水準では、会計学がクリアできないと思ったからである。

当時の産能MBAでは、「経営戦略」「マーケティング」「人材組織」「会計」の4つの分野にそれぞれ必修科目があり、それらの単位なしには修了できない仕組みとなっていた。

ありがたいことに、管理会計の先生が、わかりやすく授業を教えてくれたことと、単に数字の会計ではなく、私の専門分野である、「オペレーショナルリスク」と「内部統制」に対して、管理会計としての意義をわかってくださっていたことで「A」の評価をいただいて、なんとか、会計をクリアすることができた。

会計の授業は唯一、その1科目だけ。銀行員の癖に、財務会計とか、ファイナンスとか全然わからないから・・・


それが、来年から、好きな科目を履修して、「マネジメントに関する課題解決ゼミ」を履修すれば修士となれるように読み取れる。なんせ、履修科目一覧には「全て選択科目」とされているから。

修了のしやすさからいけば、一般の授業については、従来の半分程度のエネルギーで済むのではないかしら。必須科目もなくなった上、土曜日集中開講講座や、土・日集中開講講座もできるそうだから。

苦労して、仕事を調整して授業に駆け込んだ時代と比べれば、本当に受講しやすくはなった。しかし、それによって失うものもある。結果については、これからの歴史が判断してくれる。

されど・・・学生数が37名⇒34名⇒26名⇒24名⇒13名と減少の一途をたどっていた本学。何もしないで待つより、失敗してもいいからアクションをすることの方が本学らしくてよい。

本学通信教育課程の社会人を対象とした「学内推薦入試」も始まるようだし、それはそれで、チャレンジしてく姿勢は評価できるものと、私は思っている。
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学位授与式!

2008年10月26日 07時37分18秒 | 産業能率大学
昨日、産業能率大学の通信教育課程の学位授与式があったそうだ。

ブロガー仲間のあおしまさんも、この度、卒業されることとなる。おめでとうございます。

あおしまさんは私が1度しかなしえなかった「上野奨学生」を3度もゲットした秀才である。ブログも私の「長文・だらだら・饒舌」とは違い、画像をふんだんに使った、読んでいて疲れないもの。台湾旅行記等を見ると、学生時代に大韓民国から中華民国(台湾)に、デルタ航空を使って乗り込んだことを思い出す・・・

ブロガーの集いや、SC帰りに何度かご一緒させていただいたのが、昨日のように思えます。そうか・・・もう卒業なんだ。

本当なら、学位授与式や、学生会の卒業祝いの懇親会にもちょこっと顔を出したかったのだが、体調がよくないことに加え、京都から両親が来ていることから、家内の許可が下りなかった。

家内の判断は常識的な判断である。そもそも私の両親が長男の誕生祝いに来てくれいてる訳で、私が仕切る必要がある。また、体調が悪く、酒を飲めない体なので、懇親会に行くことも許可されなくてしかるべきだ。

家内は場の雰囲気に飲まれるタイプの私の「単純な性格」を知り尽くしており、注がれれば、いやとはいえない私を気遣ってくれている(と思っている)。

夫婦円満の秘訣といえるのか・・・私は、家内の応諾がでないものは一切やらない(いや、できない・・・)。例えば、大学院に行くのも最初は許可がでないが、根気よく家内を説得する。

「今はキャリアの時代だから大学院で勉強したいんだ!」とお願い
「お代官さま、おねげーすますだ・・・」と土下座
「行かせてくれなきゃヤダヤダ~」とダダをこねる
「大学院選出馬のフラ夫、最後のお願いに参りました~」と街頭演説
「許してくれないなら死んでやる~」と脅迫

半ば強引に、説得工作が成就すると、家内は入学申請書の保証人欄に自署押印してくれる。

全てにおいて、家内に「報告・連絡・相談」し、「許可」がなければ諦めることで、無用の夫婦間の軋轢を回避することができるのではないか?コミュニケーションを良くして、お互いの意地やプライドを通さないことが大切だと思うのだが?

いつの間にか、学位授与式から大きく離れた内容となっていた。途中で朝食に行ったことも、タイトルと内容のギャップに繋がっているやもしれぬ。


それはさておき、卒業を迎えた皆々様、本当におめでとうございます。ただ、卒業はゴールではないので、新たな生涯学習に向かって頑張ってください。
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