高知3日目。この日もスタートは朝の旅ランから。
高知市街(高知城下)の特徴の一つは、町中のいたるところに日本史ゆかりの傑物たちの石碑があることだ。坂本龍馬はもちろん、山内容堂、吉田東洋、武市半平太、板垣退助、片岡健吉、後藤象二郎、植木枝盛、中江兆民、寺田寅彦・・・。日本史の教科書や歴史小説に登場する人物の碑がうようよある。この日は、前日確認漏れの石碑たちを道標に走り始める。まさに石碑オリエンテーリング。
まずは、お城のふもとにある山内容堂の誕生地。容堂公は幕末の四賢公の一人に数えられる大名で、徳川慶喜に大政奉還を建白したことで有名だ。もともと山内家の分家の生まれで、一族では殿様には一番遠いポジションだったが、後継者や候補者が次々と病没したり病気になりお鉢が回ってきたらしい。分家だったがゆえに、誕生地はお城の脇だったようである。(以下、写真が曇っているのは、高い湿度とランニングの熱気でレンズが曇ってしまったため)
まずは、お城のふもとにある山内容堂の誕生地。容堂公は幕末の四賢公の一人に数えられる大名で、徳川慶喜に大政奉還を建白したことで有名だ。もともと山内家の分家の生まれで、一族では殿様には一番遠いポジションだったが、後継者や候補者が次々と病没したり病気になりお鉢が回ってきたらしい。分家だったがゆえに、誕生地はお城の脇だったようである。(以下、写真が曇っているのは、高い湿度とランニングの熱気でレンズが曇ってしまったため)
城の境界を左回りに巡って、明治の物理学者であり文筆家、そして夏目漱石の弟子としても知られる寺田寅彦の邸宅跡(記念館になっている)を通る。そして開成門へ。1866(慶応2)年土佐藩が富国強兵、殖産興業の目的をもって建てた学校である開成館の表門だそうだ。
その近くには、民主的な憲法草案を作ったことで知られる自由民権活動の植木枝盛邸跡がある。今では、普通の今風の家が建っている。
そこから升形商店街を経由して西に向かうと市立第四小学校の前に「婦人参政権発祥の地」という碑がある。婦人参政権運動と言うと大正デモクラシー期の平塚らいてうと日本史教科書の知識だが、ここ高知では、明治時代に楠瀬喜多という女性が日本で初めて女性参政権を求める運動を起こしたということだ。隣には、獄洋社という自由民権運動の結社の碑がある。
続いて、天神橋通商店街を通って、お寺の表門脇に板垣退助の誕生地が、そして20メートルぐらい先に片岡健吉の誕生地がある。自由民権運動、立志社で知られた二人だが、お隣さんだったのね。それにしても、予備校時代に近代史で習ったような人やエピソードに関連する碑が次から次へと出てくるのが、驚きだ。
はりまや橋のアンパンマン石像を確認(あんま似てない)し、ちょっとリラックス。その後、武市半平太の邸宅跡へ向かう。地域の公園内にあったのだが、工事中で仮設トイレの裏に隠れていて見つけるのに一苦労だった。しかも、仮設トイレの匂いがダイレクトに充満してかなり臭い。武市半平太に知られたら、間違いなく切り殺させる。
そこから北上し、ランの最終道標へ。これまた明治の自由民権運動家である中江兆民の誕生地跡。兆民先生といえばルソーの「社会契約論」の翻訳者。著作の『三酔人経綸問答』は10年近く前に読んだ。兆民先生も土佐の生まれなんだ〜。
結局、この日のランは1時間10分かけて8キロ。碑を探しながら走っているし、写真撮ったりしているのでペースの遅さは止む無し。Garminの走行軌跡もギザギザだ。朝7時にして汗べっとりになって、ホテルに帰還した。
※単なる石碑と言えば石碑でしかないのですが、無味乾燥な教科書の日本史がリアルに感じられる高知の石碑巡りは、少しでも勉強しておけば旅行の楽しみも増えることが実感できて、一部の人にはお勧めです。
(3日目 朝)