その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

震災復興ボランティアをやってみた

2013-09-07 00:30:15 | 日記 (2012.8~)
 天災ですのでどうしようもないのですが、2年前の3月11日の地震の時日本に居なかったことが、喉に引っかかった魚の小骨のように私の中に残っていました。ロンドンでも募金活動のチャリティに参加するなどできることはやってきたつもりなのですが、日本で直接体験をしていないためか、あの震災に対しては私は日本人としての当事者意識に欠けているではないかと思うことがあります。そこでナイーブですが、現場で何らかのことをすることで、当事者の端くれには加わえるのではないかと思ったのです。ですので、昨年夏に帰国以来、少しでも何か具体的アクションを取りたいなあとぼんやり考えていました。そんなところ、とある企画で宮城県中部の海岸沿いの町での復興ボランティアのツアーの募集があり、良い機会だと思い参加してみました。

 バスで土曜の夜に東京を出発し、日曜の朝から夕方まで作業を行い帰京する0泊2日の強行日程のツアーです。現地ではボランティアセンターのリーダーの指示に従い作業を行います。今回は、震災前は市民緑地公園であった所の再生のための草取りや耕地作業です。海岸線からは500メートル程離れた公園の受付センタは、建物こそ残ってはいるものの、壁には当時2メートルほどの高さに到達した泥波の跡がまだ残ってますし、周囲にあった水飲み場が内部の鉄筋も含めてひしゃげたまま残っていたりして、いまだ地震の爪痕は残っています。除草作業を行っていても、ちょっと土を掘り起こすと瓦礫がごろごろ出土します。こういったものを一つ一つ完全に取り除くのは機械では難しいだろうし、かといって人手をかけても気の遠くなるような作業であることが分かります。


≪作業風景≫

 ただ、この地域を初めて訪れた私には、町の風景そのものは復興を十分に感じるものでした。というよりも、津波に見舞われたこと自体が信じられないほどでした。海岸沿いの松の木を超える高さ(5メートル強)の津波があり、1キロ近く離れた国道まで波が押し寄せたとのことですが、この日の喉かな田園と綺麗な住宅が広がる様は、津波の面影は殆ど写りません。そんな感想を一緒に作業をしていたボランティアのかたに話をしたら、こんなことを話して頂けました。「2年前とは大違いだよ。2年前に来たときは、このあたりは泥と瓦礫で一帯が埋まってたんですよ。(指を指して)あの辺りの瓦礫撤去を私はやったんだけど、今朝、その田んぼに稲穂が垂れているのを見て、ホント胸が熱くなったよ。ボランティアやってよかったと心底思った。」毎年、定期的にボランティアに来られている人ならではの味わい深い話でした。この方の他にも、ボランティアの中には毎年この時期に愛知県から来られ、一週間泊まり込みで作業をして帰られるというような方もいらして、参加にも色んな形があることも知りました。

 一体、こんな1日の自分の作業がどれほど役に立つのか正直甚だ疑問なところがあるし、32℃を超える直射日光の中、慣れない土仕事で都会人の無能さを露わにした形だったのですが、夕方になり、朝に雑草が生い茂り刈った土地が実に綺麗になっているのを見ると、少しは仕事の成果はあったようです。

 なかなか帰国以来行行動が取れなかったのですが、ボランティアってあんまり大層なことを考えず、まずは参加してみるのが大切なようです。自己満足と言ってしまえばおしまいなのですが、仕事でも趣味でも味わえない不思議な満足感が残ります。現地のお役に立てているということを前提にすれば、難しくいろいろ理屈を考えるよりもまずはやってみることが大切なことであることが分かりました。喉の小骨が取れたとは言いませんが、気持ちとして一つ前に出たような気がします。
コメント (4)
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