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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書、1996年

2024-12-23 07:30:02 | 

30年近く前の刊行でいささか古いが、16世紀以降、砂糖がいかに世界商品化されていったかが分かりやすく記述されている名著。大航海時代、植民地のプランテーションと奴隷制度の仕組み、三

角貿易の構造、産業革命などに触れられ、世界経済史の絶好のケーススタディといえる。

現代社会では、本書で取り上げられた砂糖やチョコレートのみならず、あらゆる製品、食品、サービスが世界商品化され、まさにグローバルバリューチェーンの中で生産され、消費されている。世界商品化は光と影の部分が常にセットであり、現代においても、影の一面として児童労働や強制労働などの問題もあり、砂糖のプランテーションの例と相似形ともいえる。現代との連続性を意識させられる。

グローバライゼーションは、これからも不可逆的に進行していくだろうから、影の部分をどう克服していくのかというのが課題になる。

教科書的なことを言ってもしょうがないかもしれないが、ステークホルダーとして企業の責任は大きく、様々なSDGsにおける行動目標を地道に実直に進めて行くことが大切だろう。

余談だが、過去記事になるが、2011年2月に、好きなビートルズの聖地巡礼目的でイギリス・リバプールを訪れた。その際に、偶然「International Slavery Museum | National Museums Liverpool (liverpoolmuseums.org.uk)」(国際奴隷博物館)という博物館があることを知り、立ち寄ったのだが、そこでは本書で言うリバプールを起点とした奴隷の三角貿易について、かなり詳しく展示されていた。

アフリカの黒人文化の紹介、奴隷貿易の実態、リヴァプールとの関わり、プランテーションでの奴隷の生活、黒人開放の歩み、そして現代での黒人の活躍ぶりが、模型やコンピュータグラフィックも活用して、物語、歴史的遺品、フィルム、パネルなどによって語られている。なかなか行く機会は少ない都市だとは思うが、もし訪ねる機会があったら、奴隷博物館訪問もお勧めしたい。ロンドンからも2時間ちょっとで行ける。

 

(付録)以下、印象に残った部分を引用。

・1)さとうきびの栽培には、膨大な人数の、命令の行き届きやすい労働力が必要と言う事と2)それが地味、つまり、土地の植物を育てる能力を急速に失わせる作物であったと言うことが、・・・さとうきび栽培は、早くから奴隷のような強制労働を使い、プランテーションの形を取る大規模な経営が取られ、新しい土地と労働力を求めて、次々と移動していったのです。(p.28)

・イギリスのリバプールを出発した奴隷、貿易船は、奴隷と交換するために、アフリカの黒人王国が求める鉄砲やガラス玉、綿織物などを持っていきました。それらを西アフリカで奴隷と交換したわけです。ついで、獲得した奴隷を悲劇の中間航路に沿って輸送し、南北アメリカやカリブ海域で売り、砂糖(稀に綿花)を獲得して、リバプールに帰るのでした。奴隷貿易を中心とする三角貿易によって、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの3大陸は、初めて本格的に結びつけられたのです。(pp55-56)

・ 砂糖入り紅茶の朝食は、いわば地球の両側から持ち込まれた、2つの食品によって成立しました。言い換えれば、イギリスが世界商業の(中核)の位置を占めることになったからこそ、このようなことが可能になったのです。都市から始まったイギリス風朝食は、やがて農村にも広がっていきます・・・イギリス国内の農民の作る穀物などより、奴隷の作る砂糖の方が、地球の裏側から運んできたとしても、安上がりになったということです(p170)

・ カリブ海にいろいろな産業が成立しなかったのは、・・・この地域が世界商品となったさとうきびの生産に適していたために、ヨーロッパ人がここにプランテーションを作り、モノカルチャーの世界にしてしまったことが、大きな原因だったのです。カリブ海で砂糖のプランテーションが成立したことと、イギリスで産業革命が進行したこととは、同じ1つの現象だったのです。(p206)

 

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アラン(訳:石川湧)『幸福論』(角川ソフィア文庫、1951)

2024-12-18 07:27:04 | 

プライベートで参加している読書会の課題図書として読みました。ヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)は三大幸福論と呼ばれているそうで、その中の一冊となります。本書を読んで、「幸福観」について考えようというお題です。書き様は平易ですが、なかなか私の頭の中には浸み込まず、難儀しました。

人生の警句に満ちた書なのですが、特に幸福関連の記述からいくつか引用すると。

・「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である」(44ディオゲネス、p127)

・「幸福はいつでもわれわれを避けるという。・・・自分で作る幸福は、決して人を欺かない。それは学ぶことであり、そして人は常に学ぶものである。知れば知るほど、学ぶことができるようになる。」(47アリストテレス、p137)

・「幸福になることを欲し、それに身を入れることが必要である。」(90幸福は高邁なもの、p254)

・「幸福になることは常にむずかしい。それは多くの人々に対する闘争である。・・・幸福になろうと望まないならば、幸福になることは不可能だ。自分の幸福を望み、それを作らなければならないのである。」(92幸福たるべき義務、p261)

一貫して本書で語られるのは、幸福は待っていて訪れるものではなくて、自ら求め、作るものだという、「意志」への拘りです(「闘争」とまで言っています)。1920年代に世に出た書であるので、時代背景や社会情勢の影響もあるとは想像しますが、私自身、「幸福」を静態的な状態を表す言葉として捉えていたので、行動指針のような「幸福観」は新鮮でした。

幸福観は個人の価値観、人生観によっても異なるため、「どのように生きていくのが幸せなのか」に正解はないと考えます。「個人として、未来に向けて、今につながっている過去の資産を活用しつつ、現在を精一杯生きること」が幸せなのでは?という極めて一般的な「幸福観」が今現在の自分解という結論に落ち着きました。

 

(附記)

幸福については、以前読んだユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』の記述があったのを思いだし、該当部分(下巻第19章)を読み返してみました。以下、自分のためのサマリーです。

『サピエンス全史(下)』第19章「文明は人間を幸福にしたのか」pp..214⁻240から

・過去の研究成果:幸福は客観的な条件(富・健康・コミュニティ)よりも、客観的な条件と主観的な期待との相関関係に拠ってきまる

・生化学側面重視:私たちの精神的・感情的世界は、進化の過程で形成された生化学的な仕組みに支配されている。人間を幸せにするのは、体内に生じる快感である(神経やニューロン、シナプス、ゼトロリン、ドーパミン、オキシトシンのような生化学物質からなる複雑なシステムによって決定)

・認知的・倫理的側面重視:幸せかどうかは、ある人の人生全体が有意義で価値あるものとみなせるかどうかにかかっている。(しかし、人生に認める価値あるかどうかは、主観的なものであり妄想に過ぎない。それであれば、人生の意義についての妄想を、時代の支配的な集団妄想に一致させることが幸福につながる)

・仏教の教え:苦しみの根源は、束の間の感情(快も不快も)を果てしなく、空しく求め続けることにある。幸せへのカギは真の自分を知り、感情は自分自身とは別物で、特定の感情を追い求めても不幸になるだけを理解すること。最大の問題は、自分の真の姿を見抜けるか。

雑感:「幸せ」の定義により、その捉え方・測り方が異なるということ。仏教の教えから筆者が導く、感情を切り離し、真の自分を知ることにより得る幸せの世界は、凡人にはあまりにもハードルが高いように思われます。

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西田宗千佳『生成AIの核心 「新しい知」といかに向き合うか』(NHK出版新書、2023)

2024-12-11 12:02:26 | 

生成AI使っていますか?

この夏から業務で使える生成AIが社内展開されて、仕事でも使えるようになった。使いこなしているとは言い難いし、未だ嘘(ハルシネーション)も多々あるので恐る恐るの活用だが、その能力は恐ろしいほどだ。自ら使いつつ、客観的に捉えて考えたいと思い、手軽に読めそうな新書をいくつか読み始めた。

本書は23年9月発刊なので、1年と3カ月しか経ってないが、その情報の多くが既知のものになっていることがこの分野の凄まじい発展を物語っている。筆者自身も「生成Aiについて書くのは大変だ。・・・最新事情をかいたつもりがすぐに古びてしまう」と「おわりに」で書いてあるが、まさにその通り。

ただ、そうとは言え、その仕組み、影響度、利用上の注意、そして未来について、基本的な理解を得るのに良くまとまった入門書。筆者はテック分野で多くの著述もあり、知見も広い。

個人的に面白かったのは、同じ質問を違う生成AIのアプリ(Chat-GPT/Bing/Bard)に質問を投げた際の回答の違い(p.122)。本書のこの部分は、生成AIを使った「壁打ち」による思考訓練の例として紹介してくれているが、私は少々違って捉えた。アプリの学習のさせ方やロジックの組み方で、検索エンジン同様、回答は異なってくるわけで、そうした裏側を知ったうえで、使う側は回答を客観的に捉えないと、容易にソフト作成側に操られる怖れがあるということだ。

また、生成AIが普及すると、結局、人間の価値、得意とする仕事は「肉体」であり「肉体を使う仕事」という指摘も、目から鱗が落ちた。「柔軟かつ低コストな運動性能」(ロボットは柔軟ではない)が人間の差別化要因という(p.206)。人の仕事の未来はどうなっていくのだろうか。

著作権の問題、政府の規制、学習(タグ付け)のための人手、大量の電力消費などの諸課題も提示されていて、考えるきっかけになる。生成AIを使う方の入門書としてお勧めできる。

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日本企業の現場力は死んだ? : 遠藤功『新しい現場力』(東洋経済新報社、2024)

2024-12-04 07:30:41 | 

筆者は、日本企業の強みである「現場力」の重要性を20年以上にわたって訴えてきた「現場力おじさん」(敬意を持って勝手に名付け)である。その筆者が、昨今の日本企業の現場力の劣化を憂い、「現場力は死んだ」とまで言わざるを得ない状況が日本企業を覆っていると述べている。本書は、様々な事業環境の変化を踏まえ、「新しい現場力」を構築する必要性について論じる。

本書で言う「新しい現場力」とは、①競争戦略、②現場力、③組織・カルチャーという事業経営の3つの要素が、「経営理念・ビジョン」によって一貫して繋がっているものである。本書では、その具体的な内容や実践企業の例が紹介されている。

正直、これらのフレームワークは既存の経営理論の焼き直し感もあるが、本書の指摘にはいくつか気づかされる点があった。

後半では「新しい現場力」を実現するために必要な「新しいリーダーシップ」について解説されている。「ビジョナリー」と「キャプテンシー」の2つを備えた「溶け込むリーダーシップ」が重要であるとの指摘だ。キャプテンシーとは、スポーツチームにおけるキャプテンのように「フィールドで汗をかき」「ハンズオン(自ら参加し、手を動かす)」で動くことだ。「新しいリーダー」には監督とキャプテンの2つの役割が求められるのだ。私自身、これまで欧米の起業家経営者たちと接してきた体験から常に感じていたのは、まさにこのキャプテンシーの強さであったため、この主張には大いに賛同できる。

また、これは野中先生の主張の紹介ではあるが、日本企業をダメにしてきた3つの過剰についても全くその通りだと思う。「分析の過剰」、「計画の過剰」、「管理の過剰」である。これは、まさに「あるある」である。

キャプテンシーとは少し異なるが、「経営者は数字を語るな。『大義・大志』を語れ」というのも非常に納得できる意見である。「パーパス経営」というバズワードもここ数年の流行りではあるが、「大義・大志」と言った方がしっくりくる。数字や個々の事業戦術ももちろん大事だが、働く者としては、リーダーには大義・大志を語ってもらいたいと強く感じる。

非常に読みやすいので、出張時のお伴に良い。既知のことも多いかと思うが、どこか自分の関心にひっかかるビジネス・パーソンは少なくないと思う。

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宮島奈央『成瀬は信じた道を行く』(新潮社、2024)

2024-11-26 07:30:16 | 

『成瀬は天下を取りに行く』の続編。大学生(京大生!)になった主人公成瀬あかりが引き続き、地元膳所を舞台に、常人とは一段も二段も違うレベルでの行動で活躍する。

気軽に読めて、ほっこりする人情も差し込まれる各エピソードは、疲れた現代人の心を和ませてくれる。個人的には3章め「やめたいクレーマー」の地元スーパーでアルバイトする成瀬と「クレーマー」呉摩氏の「こだわり」者同士のやりとりが一番の笑いを誘った。

前作同様、ここまでのヒットシリーズになるのは意外感はあるけど、読んで気が休まるお話集だ。

 

<目次>

ときめきっ子タイム

成瀬慶彦の憂鬱

やめたいクレーマー

コンビーフはうまい

探さないでください

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宇多川元一 『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』NewsPicksパブリッシング、2019年

2024-11-20 07:29:24 | 

(今年読んだ本のメモが全然書けてない。今年もカウントダウン間近なので、とりあえず簡単ですが、書けるものを書いていきます)

 

既存の方法では解決できない複雑で困難な問題(適応課題)を解くために、組織のコミュニケーションを「対話」と「ナラティブ」を切り口に分析する。理論と実践(実務)のバランスが取れた信頼できる本と感じた。

「ナラティブ」とは「物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと」(p32)。そして、「対話」とは人それぞれの異なるナラティブに橋を架け、新しい関係性を築くこととする。組織とは関係性そのものであるから、対話とナラティブは新しい関係性を築く組織論となる。筆者は、そのための方法論を実例を交えて説明する。

準備、観察、解釈、介入と言う対話のプロセスとその実践例は納得感ある。また、「マネジメントは現場を経営戦略を実行するための道具扱いしない」、「立場が上の人間を悪者にしておきやすい「弱い立場ゆえの正義のナラティブ」に陥らないように」、「対話の罠として「迎合」「馴れ合い」といった事象への注意」などの個々の指摘も身につまされる。

節目節目で読み返し、その時々の自分と対話すると、そのたびに新しい気づきが得られる気がする。職場でも、良書として紹介した。

 

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シニアのための良心的で、優しく、易しい仕事への向きあい方の本:高尾義明『50代からの幸せな働き方』(ダイヤモンド社、2024)

2024-11-16 07:30:50 | 

今年前半に石山恒貴氏の『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』 (光文社新書、2023)を読んで、「ジョブクラフティング」という考え方・手法が紹介されていたので、読んでみた。

ジョブクラフティングとは「みずからの仕事体験をよりよいものにするために、主体的に仕事そのものや仕事に関係する人たちとのかかわり方に変化を加えていくプロセス」(p.14)のことである。ジョブクラフティングには、業務クラフティング(業務の内容や方法を変更する)、関係性クラフティング(人との関係性の質や量を変化させる)、認知的クラフティング(仕事に関わるものの見方を変える)の3つの手法がある。公私ともどもに環境変化が起こり得るミドル・シニア社員には、特にジョブクラフティングのマインドややり方が、仕事へのやりがいや生活の充実につなげる有効な方法となる。本書はその具体的なやり方を、さまざまなフレームワークらとともに指南する。

読者の立場にたったとっても良心的で優しい記述で、内容理解も非常に分かりやすいので、仕事への向き合い方に悩むシニア社員にお勧めしたい。私自身、新しい知識や気づきがあったし、多数のシニア社員やその予備軍が在籍する私の職場においても、紹介したい考えでありアプローチだ。

私にとっての学びを列挙すると、

・上記のジョブクラフティングの3つの形式には、縦軸に「仕事の変化の性質」を置き「物理的変化/認知的変化」、横軸に「変化させる対象(変化する境界)」を「タスク(業務)境界/関係的」の4象限に分けて考えると分かりやすい。物理的変化が期待できるタスク的境界は「業務クラフティング」、物理的変化だが関係的境界では「関係性クラフティング」、認知的変化によりタスク境界や関係的境界に変化を与えるものは「認知的クラフティング」となる

・ジョブクラフティングを進める上でマインドがとっても大事になる。例えば、「MUST」、「CAN」、「WILL」のフレームワークがあって、CANとWILLが揃って初めてWillの実践(Jジョブクラフティング)に結びつく。

・業務を、投入時間の「多い/少ない」、自分のエネルギー「得られる/放出する」の2軸4象限に分けて棚卸(エネルギー・マッピング)する。そのうえで、「投入時間大×エネルギー放出」と「投入時間小×エネルギー獲得」の2つの象限をクラフティングの優先度の高い業務とする

・仕事に「自分の一匙を入れる」ことの大切さ

・ひとりよがりなジョブクラフティングのやりすぎは周囲との軋轢につながる恐れもあるので注意する

まあ、当たり前の話だが、この手の指南書は読んだだけでは何も得るものは無い。机に座って、自らを省みる作業が必須だ。まずは、その時間を作って、考えてみることにしよう。

 

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『OPEN INNOVATION ハーバード流 イノベーション戦略のすべて』産業能率大学出版部、2004年

2024-11-10 06:50:36 | 

この秋、『デジタルトランスフォーメーション(DX)の組織的影響』について勉強する、短期の異業種勉強会に参加している。アカデミックな香りも漂う会なのだが、そこの参考図書として挙げられていた1冊。

2004年発行の書籍(原著は2003年)ということで20年前の本なので、かなり古く、今更という感じもしなくてもないが、今でこそコンセプトや方針としては当たり前になっている「オープン・イノベーション」の走りとなった文献とのことだ。第2次大戦後の企業発展を支えたクローズド・イノベーションは、労働者の流動性の高まり、高学歴者の増、ベンチャー企業の発展、製品開発スピードの早期化、顧客やサプライヤーが賢くなったこと等から維持可能とは言えなくなった。変わって「アイディアを商品化するのに、既存の企業以外のチャネルを通してもマーケットにアクセスし、付加価値を創造する」オープンイノベーションの時代になった。本書は、オープンイノベーションの特質を考察し、IBM・インテル・ルーセントの事例を示す。そして、その成功のための戦略と戦術を探る1冊だ。

今となっては、インターネットやクラウド、ソフトウエア化の進展でオープン化の流れは当時よりも加速しているし、日系企業でも事業連携等に拠るオープンイノベーションを歌っていない会社は少ないだろうし、私が所属する企業グループの親会社も相当、鼻息荒い。なので、今の時代で書籍にするなら、日系企業などでの成功や失敗の様々な事例を集め、分析し、成功と失敗の要因を探って、今後の在り方を考えるような内容が求められるだろう。なので、本書は一般論過ぎて、物足りないといえば、物足りなかったのだが、まずは研究や導入の歴史を振り返るという点においては、抑えておくべき1冊のようだ。

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堀田創、尾原和啓 『ダブルハーベスト 勝ち続ける仕組みを作るAI時代の戦略デザイン』(ダイヤモンド社、2021)

2024-10-17 07:32:19 | 

似たような企業は多いと想定するが、弊社でもAI活用が事業・業務における課題であるので、そのヒントになればと思い、本書を手に取った。共著者の1人である尾原和啓さんは数年前に読んだ『アフターデジタル』(藤井保文氏との共著)が、オンライン世界がオフライン世界を呑み込んでいく(一体化していく)世界観が示された良書であったので、本書にも期待したところである。

AI活用にあたっては、ネットワーク効果により買い手と売り手の双方が増加していく仕組みを整え、その仕組みの中で、データを継続的に収穫できる仕掛け(ハーベストループ)を構築することが重要であること。そしてそのループは1つに頼ることなく、2つ以上のループを構築し、回すことによって、継続的にビジネスが成長していくことが大切と言うのが本書のポイントだ。加えて、ハーベストループの作り方、実装にあたっての注意点についてまとめている。

網羅的かつ構造的にAIの活用法について解説されているので、導入本として優れていると感じた。プラットフォームビジネスにおけるネットワーク効果や、ネットワーク効果を最大化させビジネス戦略に中に織り込むことでプラスのスパイラルを生んでいく必勝パターンは、アマゾンやウーバーなどのケースを例に散々語られてきていることだが、AIの時代になってもその原則はそのまま当てはまるということなのだろう。

一方で、やや中途半端さを感じるところもある。考え方は構造的に理解できるものの、紙面の都合からか、実装や運用までを具体的にカバーしているとは言い難い(言及はある)。また生成AI時代前に書かれたものであるため、AIの活用もこれからアプローチが代わってくる可能性も大いにあるだろう。

そうした手の届かなさは感じたものの、ループ構造をいかに築き上げるかという点をAI活用の柱に置いた本書のメッセージは明確だ。あとは、如何に自らの環境に適用できるかを自分で考えて行くことだ。

また、最終章で語られる共著者の堀田創さんの指摘は、エンジニアであり起業家である実体験に基づいた納得感の高いものだった。事業には「できること」を増やすことよりも、「なぜやるのか」と言ったパーパスがより大事であること。そして「パーパス」を頂点に「ハーベストループ」と「UX(ユーザエクスペリエンス)」を車の両輪で回し、3項関係で考えていくことの重要性を強調しているが、その通りだと思う。

 

(抜き書きメモ)

・ハーベストループ:売り手がたくさん集まって、回答及び買い手がたくさん集まって、さらに売り手を呼ぶ。こういった相互のネットワーク効果、そしてそれをつなぐ取引データがどんどん溜まっていき、そのデータによって最適化を実現すること、これをハーベストループと言う。(p.28)

・ループ構造を作らないまま、AIを活用しようとしても、やがて行き詰まる。AIに食べさせるデータを用意できなければ、AIは成長できないからだ。AIにデータをフィードバックして強化すると言う学習プロセスを忘れないこと(p.151)

・まずは、「増大させる最終価値 (売り上げ増大/コスト削減/リスク損失予測UX向上/AD加速?)」を見極め、そのうえで「競争優位を築く戦略」を考える。そして、更にループ構造を作って、競争優位を持続させる

・ダブルハーベストループ(p.148~)

成長するAIを駆動力とするハーベストループ最初のループが原動力となって、もう一つ別のループが回り出すこと。

・パーパスを見出すアプローチ法:

その1)MTB(マッシブ・トランスフォーマティブ・パーパス):野心的な変革目標2つの問いに対する答えを記述する。

 1どんな大きな問題に取り組むのか? 2.それをどのように解決するのか?

 この問題/解決をアウトプットする際には、対象となる顧客のことを想定しながら、10年から30年の大きなスパンで考えることが推奨される。その解決策を徹底的に極めるとどのような変革を生まれるのかを書く。(p.237)

その2)自分自身がどんな未来を作りたいのか?と言う問いかけを発送の起点にしてみる(p.239)

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土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫、2021)

2024-10-11 07:30:39 | 

自主読書会の課題図書として読んだ。「一汁一菜」をキーワードに、日本人の食事、生活についての筆者の思いが打ち込まれた一冊。

「栄養的に一汁一菜で本当に大丈夫?」「復古主義的過ぎないか?」と感じるところもあったが、食事の意味合いや重要性について、私自身、日常であまり意識していないことが、分かりやすく言語化されていた。改めて食について見直す機会になり、気づきの多い書である。

文化・伝統・自然としての食事の意味、「ハレ」と「ケ」の区別、家庭料理の重要性、家庭料理・チェーン店・料理店(レストラン)の機能の違い、箸・茶碗・お膳なので食器類の重要性などなど、子供の時からの今に至るまでの今までの食にまつわる自分史についても振返ることができる。

「一汁一菜」という表面的なアウトプットに目を奪われるのではなくて、その考え方・思想について理解し、日常に取り入れるところまで実践したい。一方で、時間の余裕無し・誘惑多しの現代社会においては、実践にはそれなりの意思が必要だろう。まずは、これまでの人生で単身赴任期間を除いて殆ど料理をしてこなかった自らの行動改革から始めるとするか。

 

(自分のための引用メモ)
・人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべての始まり。生きることと料理する事はセットです。(p15)

 ・一汁一菜とは、ただの「和食献立のススメ」ではありません。一汁一菜と言う「システム」であり、「思想」であり、日本人としての「生き方」だと思います。(p16)

・人間の能力の1つ発達してきたものが、それぞれの風土の中で民族の知恵となりました。ですから、食材に触れて料理すると、意識せずともその背景にある自然と直線的につながっていることになるのです。(p21)

・私たちがものを食べる理由は、おいしいばかりが目的ではないことがわかります。情報的なおいしさと、普遍的なおいしさとは区別するべきものです。(p26)

・家庭料理を失った食文化は、薄っぺらいものです。家庭料理は人間の力です。(p31)

・日本には、「ハレ」と「ケ」と言う概念があります。ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常です。日常の家庭料理は、いわば家の食事なのです。手をかけないで良い。そのケの料理に対して、ハレ晴れにはハレの料理があります。両者の違いは「人間のために作る料理」と「神様のために作る料理」と言う区別です。 (p32)

・人間にとって人生の大切な時期に手作りの良い食事と関わることが重要です。新しい家庭を築く始まりに、また、子供が大人になるまでの間の食事が特に大切だと思います。そして、自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。(p.45)

・料理することのない人生は、岡潔が「生存競争とは無明でしかない」とすることにも重なるのかもしれません。無明とは、仏教で言うと、人間の醜悪にして恐ろしい一面です。(p.46)

・家庭料理に関わる約束とは何でしょうか。食べることと生きることとのつながりを知り、一人一人が心の暖かさと感受性を持つもの。それは、人を幸せにする力と、自ら幸せになる力を育むものです。持続可能な家庭料理を目指した一汁一菜で良いと言う提案のその先にあるものは、秩序を取り戻した暮らしです。一人ひとりの生活に、家族としての意味を取り戻し、世代を超えて伝えるべき暮らしの形を作るのです。そしてまた、一汁一菜は、日本人を知り、和食を知るものでもあるのです。(p96)

・人間の暮らしで一番大切な事は、一生懸命生活することです。料理の上手、下手、器用、不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命した事は1番純粋なことです。そして純粋である事は最も美しく、尊いことです。それは必ず子供たちの心に強く残るものだと信じています。(p.99)

・お料理と人間との間に、箸を揃えて、横に置くのは、自然と人間、お天道様から生まれた恵みと、人間との間に境を引いているのです。私たちは「いただきます」という言葉で結界を解いて、食事を始めるのだと考えられます。(p.139)

・よそ行きのものよりも、毎日使うものを優先して、大事にしてください。人間は道具に美しく磨かれることがあるのです。家族それぞれ、自分に自分のお茶碗や湯のみ、お箸と決められたものを「属人器」といいますが、日本を含む東アジアの一部だけのことらしいです。それによって、自分だけが使うものに強い愛着、心(愛情)を持つのです。 (p.170)

・お膳を勧めるのは、お膳の縁が、場の内側と外側を区別して、結界となるからです。(p178)

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中村 計『落語の人、春風亭一之輔』(集英社新書、2024)

2024-10-02 07:24:03 | 

一之輔の落語は、ホールでの三人会や独演会で聴いていて、その毒舌や落語のリズムが醸し出す、斜に構えたり、緩かったり、締めるところは締めるメリハリといった独特の雰囲気にいつも取り込まれる。著者が一之輔や周辺の人々へのインタビューを通じて、一之輔の人や考えを炙りだそうとする一冊。

冒頭の「はじめに」で、サブタイトルで「長い言い訳」とした通り、今回の企画がいかに難しいものだったかが長々と記載されている。「はじめに」以降も筆者の苦労がにじみ出ている。捉えどころがなく、変化球の多い一之輔への取材をどうまとめて、読者に何を伝えるかが、相当もがいたのだろうと思わせる。

確かに、読んでいて、焦点がぼけているというか、核心に触れられないもどかしさは読んでいて感じるところではあった。ただ、段々とこの万華鏡的な、個々の要素はバラバラで、多様に変化はするのだが、総体としてバランス取れてまとまっている。これが、一之輔の生きざまであり落語道であり美学なんだという自分なりの納得感を得た。古典も大胆に改変する、寄席を大切にする、人情噺も泣かせないといったポリシーも彼なりの拘りなのだ。

落語初心者の私には、筆者の合間合間での解説や一之輔との会話を通じて、一之輔以外の落語界の知識も増えありがたかった。師匠と弟子の関係、寄席の「ビジネスモデル」(入場料の半分を寄席が取って、残りを出演者に比重分配)、鈴本演芸場と落語協会の関係、落語協会と芸術協会のカルチャーの違い、落語家から見た客席/客層、立川流などなど、「そうなんだ~」「なるほど~」のところも多々あった。

一之輔ファンであってもなくても、楽しめる一冊だ。

 

【目次】
はじめに ~長い言い訳~

一、ふてぶてしい人
前座時代の一之輔が放った衝撃のひと言/不機嫌そうに出てきて、不機嫌そうにしゃべる/「自分の言葉に飽きたらダメなんです」/挫折がなさ過ぎる

一、壊す人
YouTube著作権侵害事件/西の枝雀、東の一之輔/保守的な落語協会と、リベラルな落語芸術協会/「跡形もないな、おまえ」/師匠を「どうしちゃったの?」と驚かせた『初天神』/食わせてもらったネタ/たった一席の二十周年記念/逸脱が逸脱を生む「フリー落語」/一之輔の稽古は「うーん」しか言わない/同志、柳家喜多八

一、寄席の人
談志の弟子にならなかった理由/寄席への偏愛/寄席は落語家の最後の生息地/「捨て耳」という修行/劇っぽくなってきた落語

一、泣かせない人
人情噺に逃げるな/泣かせる側に落っこちてしまうことが怖い/泣く一メートル手前までいく人情噺/一朝は一之輔に嫉妬しないのか

おわりに ~頼むぞ、一之輔~

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松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021)

2024-08-24 07:33:28 | 

普通に当たり前のものとしてある国家や政府の生い立ちや役割を0ベースに立ち戻って問い直し、巨大にシステム化された現代の政治経済社会の中で「どうしたら自分たちの身の回りの問題を自分たちで解決できるのか、そのために何が必要なのかを考えること」(p151)の重要性を説く。筆者はそれを人類学や民俗学の知見や筆者自身のフィールドワーク経験を踏まえて考察する。人任せにしない、顔(宛先)の見える活動で政治・経済を自分たちに取り戻すこと(くらしのアナキズム)を勧める。

大きなテーマなので具体的なアクションについての言及が弱いのは残念だが、生き方、考え方のスタンスとしてとっても参考になるし、勉強になる。この半年で読んだ民俗学や人類学などの書籍と関連するところも多く、頷かされるところ多い。とっても良書だと思う。

 

(興味を引いた具体的記載等については、別途、時間あるときに追記予定)

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人事や経営の仕事についている人にお勧め: 小林祐児『リスキリングは経営課題』(光文社新書、2023)

2024-08-22 07:33:45 | 

ここ数年内に手に取った人事関係書籍の中で、とっても勉強になった一冊。

タイトルには「リスキリング」とあるが、日本人の「学び」全般について考察している。「世界で最も学ばない」と言われる日本の社会人であるが、それはなぜなのか、個人・企業はどう取り組むべきなのかについて、社会学・心理学の知見や調査データを活用して、論を展開する。私が属する組織の人事育成について考えるヒントになったし、自らの学びについての相対化、振り返りにもなった。

本書で印象的だったのは次の3点。

1)育成の「工場モデル」の否定

 ・過去において被育成者、育成者、育成企画担当者として、さんざん「求められるスキル→現状とのGap分析→研修・育成」という工場モデルに関与してきた。一方で、このモデルの限界(静態的、労多いが本当の業務への成果が見えない等)を感じていただけに、本書の工場モデル否定は非常に腹落ち度が高かった。

2)学術的な知見、筆者自身のリサーチ結果、筆者の自論の3点がバランス取れている

・「中動態」(國分浩一郎)、「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」、「安心社会・信頼社会」・「関係性検知の地図重視」・「他者への信頼の無さ」(山岸俊男)と言った社会学・心理学的な知見に加えて、著者自身の研究やリサーチ結果等を踏まえて幅広い視点で議論を展開しているのも印象的だった。単なるリスキリング議論に閉じていない広がりがあり、興味が高まった。

3)学びそのものよりも関係性重視のアプローチ

 ・今の社会人に欠けているものは「自己ではなく、他者を通じた動機付け」。企業が考えるべきは集団的なメカニズムの中で学びの意欲に「もらい火」的な延焼を起こすこと(p193)という社員個人としての学びを超えて、関係的・環境的な視点でアプローチをしている点が新鮮であった。

分析に対しての打ち手として、筆者は「目標管理制度の立て直し」や「学びのコミュニティ化としてのコーポレートユニバシティ」、「対話側ジョブ・マッチングシステムによる学ぶ意思の醸成」などをあげる。前段の分析に比べるとパンチ不足の感はあったが、有効な打ち手は各組織や読者、それぞれの環境で異なるであろうから、自ら考えるしかないだろう。

人事・育成関係者やシニアマネジメントの方には自信をもってお勧めできる。

 

(以下、メモ)

■「工場モデル」の限界

 ・個への過度のフォーカス(学びと他者の相互性を軽視している)/学びの偏在性(学ぶ人しか学ばない)/スキル明確化の幻想(スキルは明確化できない)/「獲得」と「発揮」が等値(行動して発揮してこそ意味あり)

■日本人の学ばなさ

 ・学びへの「意思の無さ」、なんとなく学ばない
 ・中動態的キャリア:「オプトアウト」方式の平等主義的・競争主義的な昇進構造、「置かれた場所で咲く」マインド
 ・「仕事は運次第」という意識
 ・歳を取るごとに「受動」と「能動」の区別に追いやられ「中動態」であることが許されなくなる

■変化を起こすことへの抑制(変化抑制意識)

 ・「多元的無知」、「沈黙の螺旋」、「認知的不協和」
 ・相互援助の文化が変化抑制の意識を「上げる」方向に作用する
   →日本企業の横のつながりがイノベーションにブレーキ
 ・個人の<変化適応力>

■3つの学び行動

1)アンラーニング(捨てる学び):「中途半端な成功体験」がアンラーニングを妨害
 ・「変わらない役職」と「中途半端に良い評価」が阻害
 ・「限界認知」がアンラーニングを促進

2)ソーシャルラーニング(巻き込む学び)
 ・「社会関係資本」が重要
 ・やる気は外からやってくる、「炭火型」動機付け

3)ラーニング・ブリッジング(橋渡す学び)
 ・「関係性の地図重視のコミュニケーション」「他人への信頼の無さからくる〈社会開拓力〉の欠如」を前提に考える必要あり

■行動変化の仕組み:他者を含んだ環境の相互作用の中で起こる、「創発」的な営み

 ・企業がすべきこと:変化を如何に起こすか?そのための仕組みつくり(「変化創出モデル」)
 ①変化報酬型施策(△?)、②「挑戦共有」型施策:
 ・ベースは、目標管理制度の立て直しに拠る「予測改革」

■学びのコミュニティ化:企業をキャリアの学校に/コーポレートユニバシティ

 ・「学ぶ意思」を創る:対話側ジョブ・マッチングシステム

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クレイトン・クリステンセンほか著、櫻井 祐子 翻訳『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』(翔泳社、2012)

2024-07-24 07:17:59 | 

代表作『イノベーションのジレンマ』で著名な筆者は、職場のハーバードビジネススクール(HBS)の講義では、「幸せで充実した人生の送り方」について学生と議論するという。本書はその講義の内容を書籍化したもの。

彼自身が出席する卒業後5年ごとに開催されるHBSの同窓会において、卒業して10年も経つと、満たされない生活、家庭の崩壊、仕事上の葛藤、そして犯罪行為に苦しんでいた同級生が少なからずいるという。そんな状況から、本書では1)どうすれば幸せで成功するキャリアを歩めるだろうか、2)どうすれば伴侶や家族、親族、親しい友人たちとの関係を、ゆるぎない幸せの拠り所にできるだろうか、3)どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろうか、について経営理論を個人の人生にも援用しつつ説く。

読む人により腹に落ちるところは様々と思うが、個人的に強く刺さったのは、以下の点。3月で終了したTVドラマ「不適切にもほどがある」の主人公役(阿部サダヲ)の名言「あなたのやってほしいことが僕ができること」にも通じるものがある。まあ、今更、こんなことを「その通り!」と納得しているようでは、自分の未熟さが露呈しているに過ぎないのだが。

「愛する人に幸せになってほしいと思うのは、自然な気持ちだ。難しいのは、自分がその中で担うべき役割を理解することだ。自分の1番大切な人たちが何を大切に思っているのかを理解するには、彼らとの関係を、片付けるべき用事の観点から捉えるのが1番だ。そうすれば、心からの共感を養うことができる。『伴侶が私に1番求めているのは、どんな用事を片付けることだろう?』と自問することで、適切な視点を持って、物事を考えられるようになる。関係をこの観点から捉えれば、ただ漠然と自分のなすべきことを憶測するより、ずっと明確な答えが得られるはずだ。
 ただし伴侶があなたに片付けてほしいと思っている用事を理解するだけではダメだ。その用事を実際に片付ける必要がある。時間と労力を費やし、自分の優先事項や望みを喜んで我慢し、相手を幸せにするために必要なことに集中するのだ。」(pp..106⁻107)

筆者の著作『ジョブ理論』を個人の人間関係に応用した教訓だろう。マーケティング理論と人間間の愛情を同列で扱うのも、短絡的すぎる気がしないまでもないが、この通りだと思う。

これ以外にも、私自身が参考になったいくつのアドバイスを抜粋しておく。

「友人や家族との関係への投資は、成果の兆しが上がる、見え始める、遥か以前から行わなくてはいけない・・・時間と労力の投資を、必要性に気づくまで後回しにしていたら、おそらくもう手遅れだろう。大切な人との関係に実りをもたらすには、それが必要になるずっと前から投資するしか方法は無いのだ。(家族や大切な人は注目を浴びるために声高に主張することはない。気が付かなくてはいけない)」(106ページ)

「人生において重要な道徳的判断を迫られるときは、警告標識は現れない。私たちは大きなリスクが伴うようには思えない、小さな決定を日々迫られる。だが、こうした決定が、やがて驚くほど大きな問題に発展することがあるのだ。」(202ページ)

「生の目的をはっきりすることが欠かせない。目的がなければ、自分にとって大切な物事をどうやって優先できるのだろう。・・・じっくり時間をかけて、人生の目的について考えれば、後で振り返った時、それが人生で発見した。1番大切なことだと必ず思うはずだ。・・・あなたが人生を評価する物差しは何だろうか。」(231ページ)

変なテクニック論やお説教とは異なる真正面からの真摯なアドバイスから、何らかの人生のヒントを得ることが出来ると思う。

 

(目次)

序講 01
第1講 羽があるからと言って

第1部 幸せなキャリアを歩む

第2講 わたしたちを動かすもの
第3講 計算と幸運のバランス
第4講 口で言っているだけでは戦略にならない

第2部 幸せな関係を築く

第5講 時を刻み続ける時計
第6講 そのミルクシェイクは何のために雇ったのか?
第7講 子どもたちをテセウスの船に乗せる
第8講 経験の学校
第9講 家庭内の見えざる手

第3部 罪人にならない

第10講 この一度だけ
終講
謝辞
訳者あとがき

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空海『三教指帰』 (角川ソフィア文庫 358 ビギナーズ日本の思想、2007)

2024-07-20 08:12:59 | 

5月に空海展を訪れた際に、事前に読んでみた。若き空海による代表作の一つと言われている。儒教、道教、仏教の三教の中で、仏教がいかに優れているかを、仮名乞児(若き日の空海)が論じる。

私の未熟な読解力のため、特段の感銘を受けるところはなかったというのが、正直な感想である。訳は非常に読みやすいし、平明に書いてある。儒者、道教宗、仏者それぞれの主張も「理解」するも、なぜ仏教が他を上回っているのか、仏教の教えとは何なのか、は分からなかった。

若き空海の仏教にかける強い思い、文章の修辞など感嘆したところももちろんある。思考や世界観の広がりの違いがポイントのようだが、夫々異なった思想・教えの中で良いとこ取りで良いのでは。優劣の問題ではないのでは、と感じたりするのだが、そういう緩い姿勢では駄目なようだ。

古典中の古典であるため、歴史的に大きな影響を残してきた書物なのだが、私には合わなかった。

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